失言でした謝罪します。アイアムソーリ。
冗談でもいはなきややつてられない。肌寒くなつてきてもハヘは沸くやうだ。
爺がブログを作つたのだが、カテゴリに御冗談でせう野嵜さん
てのが。最初からアンチ野嵜ブログであると宣言してゐるのだ。ずいぶんと建設的
なブログだ。
爺はどうやら「戰中生まれ」のやうだが、だとしたら現在70代なかば、34才のぼくと同じくらゐの「孫」がゐてもおかしくない。なんとまあ見苦しい「祖父」であることか。
私等戦後教育(しかも早期の)を受けた者からすると、これはとんでもない暴論であるし、そもそもどこから出てきた考へ方なのか理解に苦しむ。(まあ多分、福田氏の著書から引つ張つてきたのであらう。)
まづ、爺は自分が受けた戦後教育
とは異なる野嵜さんの主張をとんでもない暴論
と片付けてゐるのだが、つまりは自分が受けた戦後教育
、すなはち「自分の考へ」こそが絶對の「眞理」であり、それに異を唱へる野嵜はとんでもない暴論
でしかない、といつてゐるのだ。つまり爺は、自分が知つてゐることのみが「眞實」であり、それ以外は「間違ひ」だと頭から決め付けてゐるのである。理解に苦し
んでゐるわけではない、最初から理解
する氣などないのだ。
戦後教育
、といふか「自分の考へ」が「間違つてゐるかもしれない」とは微塵も思はないらしい。爺のいふことにはそれこそ「反證可能性」が無い。
ぼくはまへに爺に、「福田氏の『當用憲法論』を讀んでみてくれ」といつた。しかしまあ多分、福田氏の著書から引つ張つてきたのであらう。
、つまり今に至るまで讀んでゐないのである。野嵜さんも「橋本進吉の著作を讀んでみてくれ」と爺にいつたのだが、爺は「近所の圖書館になかつたので讀めませんでした」といひわけにもならないやうなことをいつてゐる。
爺は自分の不勉強は棚に上げて、他人の「無知」を嘲笑つてゐるのである。
野嵜さんもぼくも、自分の知識の限界を知つてゐる。だから「専門家や資料に當たつてくれ」とすすめてゐるのだ。しかし爺は自分で理解しやうとする努力は一切せず、ただあぐらをかいてふんぞり返り、「答へを出してください」と要求するばかり。いやぼくらも、自分の「分かる」範圍でなんとか「答へ」は出さうとした。しかし爺は先述したとほり頭からとんでもない暴論
の一言で片付けてしまふのである。
これが「科學」的な態度だらうか。
ニユートンだつてアインシユタインだつて誰かから「答へ」を教えてもらつたわけではあるまい。自分自身の努力で答へを探し當てたのだ。
しかるに爺の言動は「科學」とはまるでかけ離れてゐる。
かつて爺は、
受けいれられなかったら、「どうやって説得してやろうか」って風には考えられないのですか?「自分の方が正しい」と単にいいつのるは、「知的惰情」でしょう。
といつてゐた。これ自體には異論はない。だから野嵜さんもぼくも、単にいいつのる
のではなく、「ああいへば分つてもらへるのではないか」「かう書けば話を聞いてくれるのではないか」と一縷の望みをかけて手を盡くした。ところが爺は「あはは、『説得』してたつもりだつたんですか。あまりにもおつしやることがトンデモなのでまるで氣づきませんでした」と鼻で笑つてきたのである。
文字通り、「何樣のつもりだ」。
たとひ爺が「科學の専門家」、研究者や大學教授であつたとしてもだ、「生徒」でもないのになぜここまで虚假にされなければならないのか。いやむしろ本當に「専門家」であるのならば、「素人」を諭し、導いてくれればいいものを、「素人」を嘲笑ふのは「知つたかぶり」のすることだ。
いや爺は、最初の内は「国語學については素人です」と謙遜してみせたが、今や「野嵜さんの『かなづかひ』論は間違ひだらけです」と平氣な顏をしていつてゐる。「素人」がなぜ「間違ひ」だと分かるのだ。「素人」ならば「素人」らしく、「先輩」である野嵜さんに、頭を下げて教えを乞ふべきだ。
記事のタイトルでも無知杉爺
だとか素人爺
だとか謙遜して「みせて」ゐるが、「みせてゐる」のでしかないことは明らかだ。まさに「慇懃無禮」、人を--野嵜さんを--人とも思つてゐないのである。
爺は二言目にはぼくらを「周章狼狽してますね」と冷やかしたものだが、最初から「周章狼狽」させるのが目的であり、またしてもそのためだけにブログを立ち上げたのだ。
くりかへすが、なんとまあ見苦しい「祖父」であることか。
どうせ爺は、ぼくがなにをいはうが「御冗談でせう佐藤さん」とすましてせせら笑ふのだらう。
大變けつこうなことだ。
上記のやうに非科學的な、なほかつ「アンチ」の人達の方が
すなはち「義」やKirokuroのはうがあなたより「まとも」な事を言ってるように思えます。
といふやうな爺に「御冗談」呼ばはりされる、といふことは、野嵜さんもぼくも「まとも」だといふことだ。
改めて見ると、この記事に書いたことつて、結局「闇黒日記2.0」のコメント欄でさんざん言い盡くしたことなんだがな。
爺に限らずKirokuroも會長も、同じ事を蒸し返すしか能がないから、自然こつちの反論も同じ事の繰り返しになつてしまふ。ま、だからこその「アンチ」なのだけれど。