「従軍慰安婦」に関する覚書き

日本軍は朝鮮や中国、東南アジアなどの植民地、占領地で現地女性を強制連行、従軍慰安婦にしていた。

否。慰安婦は居ても「従軍慰安婦」と言うのは存在してないし、強制連行した証拠もなく、また行う必要性もなかった。「従軍慰安婦」と言うのは、軍が悪い意味で関与していたと言う意味での戦後の造語に過ぎず、当時「慰安婦」と呼ばれていたのに、「従軍慰安婦」と呼ぶのは誤りである。

従軍慰安婦が、強制連行によって集められていた事は、被害者である元慰安婦、加害者である元兵士、双方から証言がある。日本政府も調査の結果、河野官房長官(当時)が正式に認めている。韓国政府も従軍慰安婦は強制連行によるものだと報告している。

元慰安婦の「証言」は慰安婦になった経緯や、地名、自分の出自までもがころころ変わるような証言でしかない。元兵士の証言も、吉田証言のようなまるで出鱈目なものであったり、洗脳下において引き出されたようなものしかない。

日本政府の調査は聴き取りでしかなく、検証も一切行われていない。所謂河野談話は、韓国との取引による政治的な方便でしかない事が現在では明らかである。韓国政府の調査でも「強制連行」の証拠として採用されているのは結局吉田証言のみであり、また「慰安婦=強制連行」としか扱っておらず、出ているのは中間報告であり最終報告には未だ至っていない。

被害者である元従軍慰安婦が、偏見や中傷を恐れず勇気を持って名乗り出ているのだから、其の証言には十分に価値がある。況してや、其の言葉を疑い、証拠能力の有無を問うのはセカンドレイプである。

「検証」は証言の真実を確認し、また補強する作業である。もし元慰安婦の証言が真実であるのなら、検証を行い、十分な証拠能力を持つ事を明らかにするのが、偏見や中傷を封じるのには最も有効な手段であると言える。

検証もされない被害者の証言によって罪状が決定するのならば「冤罪」が量産されてしまう。

また中国や韓国のように日本を悪し様に言えば歓迎されるような土壌が在り、また民間の基金から保証を受け取ることにした元慰安婦が支援者から「裏切り者」呼ばわりされたり、インドネシアのように賠償によって齎される金額が一生分の収入に相当し、当時駐留していた日本兵の数より多く「元慰安婦」が名乗り出た、と言うような背景が在ったり、必ずしも元慰安婦が「勇気を持って」名乗り出ているとは言い難いのである。

「強制連行」の証拠は、政府によって隠匿されている。若しくは、終戦時に発覚を恐れた軍部によって全て処分されてしまった。そもそもが犯罪行為であると当時から分かっていたので、最初から証拠となる文書の類は作成されていなかった。

政府による調査や、また研究者による証拠探しは行われているが証拠は発見されていない。数年間は探して、それでも見つからないのだから「元々存在していない」と考えるのが妥当であろう。

証拠を完全に隠滅する事など不可能である。たとえ文書の類を全て処分できたとしても、当事者や目撃者の証言などを検証すれば証言も十分証拠として成立する。無論、さまざまな角度からの反証に耐え得る証拠能力は必要であるが。日本軍や政府が、徹底的に関わった人間の口を塞ぐ事ができたとすれば話は別だが、無論そんな事は無理である。

「強制連行」を軍隊自ら行ったわけではない。しかし業者による「広義の強制」は行われており、また慰安婦には慰安所から出られないと言う「強制性」も有った。「騙し」や「甘言」による広義の強制や、前借金や暴力による強制性に、日本軍は関与していた。其の証拠となる文書も見つかっている。

「慰安婦問題の最高権威」吉見 義明教授によって発見された文書は、確かに慰安婦の徴収や慰安所の設置に、軍が関与していた証拠を示すものでは有った。しかしそれは「強制連行や騙し、甘言によって慰安婦を集めるような業者に慰安所の設置を任せる事は、日本軍の名を汚すものであるから其の選定には注意せよ」と言う文書であった。つまり、軍は「強制連行」は勿論、「広義の強制」をも排除しようとしていたのである。吉見教授はこの文書について、「朝鮮にのみ通達された文書であり、他の植民地や占領地では適用されていなかった」としているが、他の地域で軍が強制連行や広義の強制に積極的に関わった証拠がないのもまた事実である。

軍隊が強制連行を行った例として、インドネシアで起こった「白馬事件」が知られている。これは、現地のオランダ人女性を兵士が強制的に慰安所で働かせていた事件だが、発覚後この慰安所は2ヶ月で閉鎖され、強制連行にかかわった兵士も戦後戦犯として処罰されている。

他にも「慰安所を監視し、慰安婦が働く環境を劣悪なものとしないよう」と通達する文書も見つかっている。慰安所が原因で、性病の類が隊に蔓延しては困るし、兵士の慰安施設として軍が設置するのであるから、設置の許可や、労働環境の改善に軍が関与するのは当然である。

これらの文書に対し、そうした強制が有ったから、軍は通達を出さざるを得なかった、と見る事もできるが、日本軍はそうした強制に対し積極的に関与したり、また放置していたわけではない事を示している。

拉致などの強制連行や騙し、甘言による広義の強制、前借金や暴力などの強制性に関しては、売春の現場では少なからずそうした強制性は存在するものであり、「慰安所だから」「軍が関与しているから」起こったわけではない。

「関与」に就いて、「関与」とは犯罪行為に対して用いられる用語であり、関与していたということはつまり日本軍は犯罪を行っていたのだ、と主張する大学講師が居るが……馬鹿じゃねーの。

従軍慰安婦問題は最初から「強制性」が論点だったのであり、強制連行に拘泥するのは問題を矮小化している。

「強制連行」でなければ日本軍や日本政府に責任を問えない。「軍が自ら女性を拉致し、慰安所に監禁しレイプしていた」「軍は自ら強制連行していたわけではないが、業者に強制連行させていた、あるいは黙認していた」と言う事件が在ったのであれば仕方ないが、それにしたところで、実際に被害に遭った元慰安婦に対してのみ謝罪と賠償はなされなければならない。

慰安婦の全てが、強制連行で集められているわけではないからだ。

「広義の強制」や「強制性」で責任が問えるかと言うと、当時は女性が身売りしたり、売春が商売として認知されていた時代であり、人権意識や女性の地位は現在よりずっと低かった。_慰安婦問題」と言うと取り沙汰されるのは外国人慰安婦ばかりだが、日本においても慰安婦にならざるを得なかった女性は居た。そもそもが慰安婦は日本人のほうが多いのである。朝鮮は、日本に併合されていたから貧しく、女性は身売りせざるを得なかったわけではない。本国であっても貧しかったのだから、そうした時代だった事に対して、日本軍や政府が責任を問われる謂れはない。

広義の強制や強制性を問題にするのは、論点の拡大であり、すり替えである。それに吉見教授が、「広義の強制」を言い出すまでそれが論点となった事はない。

国内外で「従軍慰安婦」と言えば「日本軍の強制連行によって慰安所に監禁、レイプされたかわいそうなおばあさん」であり、「広義の強制、強制性の被害者」だなどと言っているのは日本の1部の研究者や運動家だけである。

慰安所は戦場性犯罪の1つである。戦場性犯罪の抑止のため慰安所が設置されたと言う主張もあるが、慰安所が設置された場所でも戦場性犯罪は起こっている。

慰安所は飽くまで「売春施設」である。売春とレイプは、「性」の問題として同根かもしれないが、商売である「売春」と、犯罪でしかない「レイプ」とを同じ訴状に挙げるのは十把一絡げに過ぎる。売春施設が犯罪の温床となり得る事は否めないが、だからと言って「売春=犯罪」と見る事はできない。1部の客が売春婦に対して暴力的な行為を振るったとしても、それをレイプとは呼べない。

アメリカ軍の報告に拠れば、慰安所では余暇も有り、また兵士たちとの交流の機会も有ったと言う。他の資料に拠れば稼ぎも良く、辞める自由も有ったし、逆に稼ぎも良く、売春婦の中でも地位が高かった、と言う事も有って、他の売春宿から移籍してきた慰安婦も居たと言う。

無論、悪質な業者に引っ掛かり借金で縛られ、逃げ出して見つかれば暴力を加えられる、肉体を酷使され、ぼろぼろになった挙句捨てられ、終戦と共にせっかく稼いだ軍票も全て紙屑、と言う慰安婦も居ただろう。

しかし結局、現在の性風俗でもそうであるように、「いい慰安所」もあれば「悪い慰安所」もあった、と言うだけの話であり、慰安所は戦場性犯罪である、と言う結論にはならないのである。

戦場性犯罪の抑止、と言う観点からは、確かに慰安所が設置されていても戦場性犯罪が起こった例はあるが、慰安所の設置により戦場性犯罪の件数が減った、と言う報告もある。また戦場性犯罪に対し日本軍は時に死刑を科すほどの厳罰を持って対処していた。慰安所の設置も含め、戦場性犯罪を放置していたのではない事が分かる。

ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦に於いて、兵士が敵対する民族の女性を犯し、其の血を汚す事で敵対民族を根絶やしにしてやろうとする一種のホロコーストに因る戦場性犯罪が知られているが、日本も朝鮮に対し同様のことを考え、朝鮮民族を絶滅するため、慰安婦を連行したのだと言う説もあるけど、だったら慰安所なんかよりもっといい手段が有るでしょうに。

「従軍慰安婦」は、歴史教科書に記述すべきである。

激しく否! 慰安婦は性の深い部分に関わる問題であり、研究の対象とするならばいいが、性の知識が未だ乏しいうちに教育として教えるのは非常に危険である。もし、「慰安婦」を教科書に載せるならば、「遊郭」や「赤線」「ソープランド」も載せなければならない。

またこれまでに教科書に掲載されている「慰安婦」の記述には、「強制連行」や「挺身隊」などの誤った記述も多く、其の誤った記述が、「慰安婦」を教える危険性を増幅させる。「自虐史観」、日本や自分の父祖を憎む歴史を学んでしまうことになるのだ。慰安婦を教育の場で学ぶのは、決して反省ではなく、誇りの喪失であり、国際人を生むのではなく、他国に阿り奴隷と成り下がる道でしかないのである。

間違った、悲惨な性の知識を植え付けられると言う事は、性に対する嫌悪を生む。ウソであるにしろ、「慰安婦」は大人でさえ目を背けたくなるような話題に溢れていると言うのに、子供では性に対するトラウマになり兼ねない。そのトラウマは狂信的フェミニズムを生む。元々、慰安婦問題自体、狂信的フェミニストによる捏造だが、さらなる狂信的フェミニストを増殖させるわけである。

日本は、従軍慰安婦に対して反省し、謝罪と賠償をすべきである。

かどうかは、各自ご判断いただきたい。

参考文献


追記;2chの下書き(04/11/8)

「『廣義の強制連行(當時そんな言葉は無かつたが)』を行つて慰安婦を集めるやうな業者を使ふ事は、皇軍の名を貶める事に繋がるから、その選定には注意せよ」と言ふ通逹は、軍が慰安所の設置を愼重に行つてゐたと言ふ事を示してゐる。軍隊が賣春施設を作つてゐるなんて當時でも聞こえが惡かつただらうし、賣春は何時の時代でも大つぴらにできるものではない。だからこそ「慰安所」なんていふあいまいな名稱をつけたのである。その上慰安所ではあまりいい手段で慰安婦を集めてゐない、と噂が立てば餘計集めづらくなる。從つて日本軍は「業者の選定には氣をつけろ」と言ふ通逹を出してゐたのである。

業者によつて「廣義の強制」が行はれてゐたとすればそれを取り締まるのは軍ではない。警察である。慰安婦は日本人が最も多く、ついで韓國人、臺灣人などの植民地出身者であり、占領地の現地住民を徴集してゐたのは慰安婦の中でも少數である。軍による強制連行の例としてよく擧げられるスマラン島の事件だが、犯人は處罰されてゐるし、慰安所は閉鎖されてゐる。そもそも韓國、臺灣は當時日本であり、そこには警察も當然ゐた。小室 直樹氏が指摘してゐるやうに、場所が本土だらうが植民地だらうが業者が日本人だらうが韓國人だらうが、誘拐や掠取による徴集は道義だ國際法だの言ふ以前に刑法に觸れる。慰安婦の徴集に關しては、吉見 義明氏は軍と警察が結託し、業者を見逃させてゐた、と主張するが、そのやうな軍と警察との關係を示す證據は無い。

「廣義の強制」があつたからと言つて、その責任が日本軍にあつたとは言へないのである。

「強制性」なんて言ひ出したら、それこそ小林が言ふやうに「漫奴隸」でも「球奴隸」でも何奴隸でも謝罪と賠償を要求できてしまふ。それを上杉は「どれーも、これーも、みんな奴隸だ。すべての奴隸が連帶して性奴隸を解放しよう」と言つてゐるが、何處かで見たやうな臺詞だと思つたら『共産黨宣言』の「全世界のプロレタリアァトよ團結せよ!」ではないか。今時こんな純粹マルキストも珍しい。

ならば、「道義的責任」しか問へない50年も前の慰安婦より、現代の風俗孃をまづ救濟すべきだらう。

しかし『新ゴー宣』3卷の特輯ページで慰安婦本から引用してゐるやうに、客の囘轉をよくするため早く濟まさせるコツを後輩に教へたり、それこそ騙しや甘言で連れてこられて、いやだと泣き喚く新人慰安婦を、昔は自分もあんな風だつたと懷かしさうに見るベテラン慰安婦だとか、慰安婦たちの悲しい状況にありつつもあつけらかんとした仕事振りが伺へる。

以前「トゥナイト」と言ふ深夜番組があつて、風俗孃やAV女優の特輯を組んでゐたりしたが、借金の片に已む無くこの世界に入つたが、今はこの仕事が樂しい、男の人のかはいい一面を見る事が出來た、自分のテクで喜んでくれるのが嬉しい、とか言ふやうな天晴れなプロ根性をインタヴューで答へてゐた。

かう言つた慰安婦や風俗孃逹を、自分が性奴隸である事に氣が付いてゐないからこんな臺詞が吐けるのだ、と思ふかもしれないが、仕事と割り切り、またプロ意識やプライドを持つほどに從事してゐる女性がゐるのも事實なのである。そんな彼女たちを單純に被害者、性奴隸と呼べるだらうか。そして賣春と強姦とを同一視する事は、賣春婦に對する侮辱でもあるし、強姦の被害者を蔑視してゐる事でもある。ましてや言ふに事缺ゐて「プロの犯罪者」とはね。

>>702の續き(名前文字化けしてました)

>現代では賣春行爲自體違法

當時は公娼制度があり、違法ではない。大體「賣春は人權侵害」といふ考へ自體、近代社會になつて人權思想が生まれてから出てきたのであり、人類普遍の眞理ではない。賣春それ自體が犯罪といふ圖式は成り立たないのだ。當時問題が無いものを、現代では問題であるから裁かれなければ爲らないといふのは法の遡及であり、法の精神に反することだ。戰後、日本はサンフランシスコ媾和條約などで「賠償」は既に濟ませてゐるし、「戰犯」は極東軍事法廷で裁かれてゐる。「個々のケース」と言つても、さうした個々のケースは發覺したものに就いては處罰されてゐるのだし、全ての違反に對處出來る筈もない。強制を排する方針を軍は採つてゐたと言ふのに、排除し切れなかつたと言ふ責任まで負はなければならないのだらうか。

もう一つ言ふと、日本軍は慰安婦を「強制連行」する必要など無かつた。後に業者に因つても集められるやうにもなるが、最初は慰安婦は賣春宿から引き拔ゐてゐたのである。つまり元々が賣春婦だつたのだ。許 文龍氏に據れば、賣春宿に慰安婦の應募が來ると、かなり多くの數の希望が在つたと言ふ。慰安所は内地の宿より給料もよく、「お國の爲のサーヴイス」と言ふこともあつて、戰場に近く危險だがその分見返りも大きかつたのである。

軍隊が軍用の賣春施設を設置、管理運營してゐた、と聞けば確かに非常に道義に悖るやうに思へる。近代社會では無論かうした賣春施設など認められないから、例へばそれこそボスニアでの戰場性犯罪や、沖繩での米兵の淫行などの問題が噴出してくる。しかし金 完燮氏が言ふやうに、兵のリビドーをコントロールし、戰場での性犯罪を抑止すると言つた面で、慰安所は軍隊の組織管理として有效な手段であつたと言へる。實際、ベトナム戰爭に參戰したときにも、韓國軍司令部や政府首腦には日本軍に在籍してゐた人も多く、韓國軍では慰安所を設置してゐたといふことであるし、GHQが進駐した時、米兵相手の慰安所によつて米兵による強姦を抑えることが出來たのである。

それに「慰安婦の證言」と言ふと悲慘なものが多いが、當たり前である。悲慘な目に遭つたからこそ裁判に訴へるのだから。さらに言へば、韓國や中共は戰後、日本のことは惡し樣に言は無ければ爲らないと言ふ風潮が流れてゐた。日本軍に酷い目に逢はされた、假令嘘ででもさう言へば聞き入れて貰へたのである。だがさうした證言は、慰安婦の中の1部から出てゐるのであり、財産を築いたり兵士と結婚したり、いい目を見ることも出來た慰安婦もゐたのであつて、さうした慰安婦は別に名乘り出たり體驗を告白したりはしないのである。

そのやうな證言は支援團體にとつては逆に「不都合」でさへある。

そもそも、「廣義の強制」も「強制性」も從軍慰安婦問題の論點ではなかつたのである。「朝日ジャーナル」で「慰安婦に謝罪せよ」といふ主張が登場するのが89年、金 學順氏を原告1號として裁判が始まつたのが91年、吉見 義明氏が纒めた『從軍慰安婦資料集』に「廣義の強制」といふ言葉が出てくるのが92年。「廣義の強制」は後から出てきたのである。海外で「廣義の強制」なんて事は言はれてゐないし、日本でも一般的に流布してゐるのは「日本軍に強制連行された可哀相なハルモニ」である。

小林は「慰安所とソープランドは同じだ」なんて書いてない。ソープ孃を例にして「賣春はプロの仕事として認める」と言つてゐるのだ。上杉は「賣春=強姦=女性に對する人權侵害」としか考へないから、「慰安所=強姦所」なんて言ひ張るのだが、賣春は單純に人權で割り切れる問題ではない。

確かに『ゴー宣』ではあまり觸れられてゐないが、慰安所は軍命令で作られた軍の施設であることは事實だ。だからと言つて慰安婦を奴隸狩りして集めたはけでもなく、募集方法や勞働環境の配慮もされてゐた。上杉は「廣義の強制」や「強制性」も問題なのだ、としてゐるが、日本軍はそれらを排除する方針をとつてゐたのだし、女性が苦界に身を落とさざるを得なかつた事までも日本軍の責任にするのは「言ひ掛かり」「論點のすり替へ」の謗りを免れない。

それに「從軍慰安婦」のイメージとして世間に流布してゐるのは「奴隸狩りによる性奴隸」なのだが、そんな例は無いにもかかはらず「それもあつたはずだ」として放置し、「廣義の強制」や「強制性」も問題とするのは卑怯と言はざるを得ない。

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