本当に「受験には役に立たない」のか?

〜検証「新しい歴史・公民教科書」〜

つくる会が残したもの

早いもので、「新しい歴史教科書をつくる会」が執筆し、扶桑社から刊行された『新しい歴史教科書』と『新しい公民教科書』が検定を合格したのが、もう1年前の事である。今年は高校の教科書の検定が行われ、「『進出→侵略』書換え事件」を引き起こした『新編日本史』を改稿した教科書も検定を通過したと言う。こちらは相当遠慮した内容だったようで「市民」団体や中共韓国に目を着けられることは無く、新聞で合格が報じられたぐらいであった。扶桑社教科書が、検定前から非難喧喧囂囂だったのを考えると実に対照的である。

ところで今回の高校教科書検定に、歴史方面で韓国が評価を与えた、との記事が新聞に在った。昨年もそうだけど、なんで韓国や中共に日本の歴史認識を「評価」していただく必要性があるのだろう。逆に日本が向こうの歴史を「評価」したらどうなるか。反発は必至だろう。しかし新聞の記事は「評価していただきありがたいことだ」と言うような論調なのである。日本や中共、韓国の歴史学者が集まって、共通の歴史認識、歴史教科書を作ろう、と言う動きが「つくる会」の運動に対抗する形で起こっている。。「共通の歴史認識」など絶対無理だ。イギリスとアメリカとの間で「共通の歴史認識」など作れるだろうか。それと同じようなものだ。中共の教科書から「南京大虐殺」、韓国の教科書から「檀君」や「文化を伝えてあげた」だの「従軍慰安婦」とかの記述が消えるのならいいけど、どうせ日本側が、向こうに平伏してお終いだろう。

元「つくる会」のメンバーである大月 隆寛氏が言うように、「つくる会」は歴史や政治学の専門家集団ではあっても、教科書の執筆は素人である。出版した扶桑社にも教科書販売のノウハウは無い。「つくる会」は「全国で採択率10%」を目指していたが、それは一寸希望的観測に過ぎるだろう。そもそも「つくる会」の失敗の最大の原因は、余りにも悪いイメージがつきすぎてしまった事に有る。中韓からの外圧や市民団体の「内圧」、それに追い討ちを掛けるようにマスコミが攻撃する。つまり教科書自体が問題なのではなく、採択する事が問題となってしまったわけだ。当時の状況で扶桑社教科書を採択するのはよしりんが言うように火中の栗を拾うのに等しい。「つくる会」も世間に流布する悪いイメージを放置し過ぎていた。「つくる会」は採択での惨敗を受けて4年後(今からはもう3年後だけど)のリベンジを誓い、運動を今も続けている(よしりんは抜けた)が、それには「つくる会」及び扶桑社教科書に貼り付けられたレッテルを剥がさなければ為らないが……相当難しいだろう。

だが「つくる会」の運動は教科書業界に風を吹き込んだ。素人が教科書を作ってもいいのである。これまで教科書業界は、それこそ「公民」で教えられるような「寡占」の状態が続き新規参入が難しかく、内容も似たような教科書ばかりだったのだが、扶桑社教科書の参入は、結果は惨敗だったにせよ、新しい道を切り開いた。

井沢 元彦氏が言うように、ばりばりにファシズムな教科書が有ったっていいし、その逆に、滅茶苦茶マルキシズムな教科書も有っていい。現在は、マルキシズム的教科書が殆どだから、少々ナショナリズムな教科書が有ったっていいじゃないかと始められたのが「新しい歴史教科書をつくる会」の運動なわけである。

失言の時代

この教科書検定問題の当時の首相は森 喜朗氏であった。そう、あの「失言総理」だが、「(選挙に興味が無いなら)寝ててくれ」とか「北朝鮮に拉致された人を第3国で発見した事にして」とかは流石にどうかとは思うが、最も取り沙汰された「神の国」発言はそれこそ偏った歴史観と、森氏を端から支持していなかった連中が「失言」にしてしまったと言えよう。森氏は、扶桑者教科書を合格にしたことと(総理が直接審査するわけではないにせよ)、李 登輝前台湾総統の訪日を許可した事は最近の首相の中でも滅多に無い功績を残したと言えるのだが、結局「失言」で辞めさせられたようなものである。と言うわけで当時のマスコミは「失言」が一時流行語であった。

さて扶桑社教科書を巡って、反対、賛成、双方から様々な発言が飛び出した。まあ反対意見は「軍国主義」「皇国史観」「女性蔑視」のどれかに当て嵌まるのだけど、そのなかで1つの意見を取り上げてみよう。

扶桑社教科書が検定に合格した後、この教科書の是非を巡ってTV朝日系「朝まで生テレビ!」で討論が行われた。賛成側には勿論「つくる会」の当時の会長西尾 幹二氏や理事の藤岡 信勝氏、他にも秦 郁彦氏、黄 文雄氏、高市 早苗自民党議員など、反対側には姜 尚中東大教授や和田 春樹氏、『脱ゴーマニズム宣言』上杉 聰氏、福島 瑞穂社民党議員などの錚々たる面々が出席していた。

討論は西尾氏が思わずエキサイトしてしまう場面があったものの終始賛成派が余裕のリードで、反対派は殆ど難癖に近い事しか言えてなかった。放送後のアンケートでも扶桑社教科書に賛成の票が集まり、賛成派の勝利、と相成った。とは言えこの番組の中だけの話で、結局採択に繋がるような動きには至らなかったのだけど。

ところで番組の中で、姜氏がこの教科書は(高校)受験の役に立たないと言う発言をした。要するに歴史観が偏っている教科書で勉強すると誤った歴史を覚えてしまい、受験にも失敗する、と言うわけである。この発言に以前から同意見だった上杉氏が賛同し、その後web上で扶桑社教科書が如何に受験に役に立たないか、受験に出る用語が記載されておらず、逆に神話などの受験と関係無い記載が多い右翼教科書、などと繰り返し主張し、さらに受験に役に立たない事を大々的にアピールすべきだとまで言っている

しかしこの「受験に役に立たない」発言は、反対派の大きな失言ではないのか。

扶桑社教科書は文部科学省の検定を合格している。つまり指導要領に沿っている、と認定されたのである。一方、高校受験は、少なくとも公立高校の試験では指導要領から逸脱した問題は出ない。言うなれば扶桑社教科書の内容から受験問題は出されるのだ。

逆に、受験問題が扶桑社教科書に不利であるとすれば(有利であっても)これは問題である。特定の教科書に対し不利、或は有利な問題は公正さを欠くからだ。A社の教科書で勉強した生徒と、B社の教科書で勉強した生徒とで、正解率に違いが発生すると言う事態は有ってはならないのだ。

本当に扶桑社教科書が受験に不利であるならば、入試問題を作成した方の責任が問われなければならないのである。

検証・扶桑社教科書

さて、扶桑社教科書は本当に「受験に不利」なのか? 実際に受験問題と照らし合わせてみれば、検証は簡単である。

本来ならば、扶桑社教科書が採択された都県、東京、三重、岐阜などの、実際に使用される今年度の受験問題で、他者の教科書とも併せて検証しなければならないのだが、指導要領が県レベルではな全国的なもので、県ごとに問題の相違は大きくないと思われる事、指導要領が今年度と前年度とで大きく変わっているわけではないこと、また試験問題や他社の教科書の入手が困難な事から、前年度(平成13年度)の新潟県の公立高校入試問題に拠って検証する事とした。

問題は、新潟日報平成14年3月12日付の紙面から転載した。

〔1〕

問題〔1〕クリックで拡大されます。

地理の問題なので除く。

〔2〕

問題〔2〕クリックで拡大されます。

地理・歴史の複合問題。

(1)

地図

Aはp201「北海道の開拓」に「新政府は1869(明治2年)に蝦夷地を北海道と改称し、士族・屯田兵の集団移住や諸産業の開発を積極的におし進めた」とあるので、北海道のことと分かる。拠って県名の解答は北海道と分かる。

Cはp137「江戸・大阪・京都の繁栄」に「大阪は米、木綿、しょう油、酒などのさまざまな物産の集散地になり、「天下の台所」と呼ばれて栄えた」とある。従って県名の解答は大阪府

(2)

前述の通り、屯田兵

(3)

解答はだが、吉野ヶ里の記述は扶桑社にはない。だが他の3つ、イ三内丸山はp25「縄文時代の生活」に縄文時代の遺跡、ウ岩宿はp21「旧人と新人」に旧石器時代の遺跡であると記されている。エ登呂はp28(4)稲作の始まりと弥生文化の図版に示されているが、登呂遺跡のある静岡県は、地図では示されていない。拠って、残る吉野ヶ里遺跡が正答と分かる。なお(1)のBが、図版にあるように稲作が韓半島から北九州に渡ってきたことから、gであることが推理できる(県名は佐賀県)。

(4)

地理の問題

(5)

p176「ペリーはなぜ日本にきたか」1853(嘉永3年)、4隻の巨大な黒塗りの軍艦(黒船)が、江戸湾(東京湾)の入り口に近い浦賀(神奈川県)の沖合いに姿をあらわした。(中略)率いるのはアメリカの提督ペリーで(後略)とあり、回答はペリー。因みにこの記述で、(1)Dの解答も神奈川県、東京湾の入り口にあるcと分かる。

(6)

地理の問題

〔3〕

問題〔3〕クリックで拡大されます。

(1)

図版

Iは大勢の鎧武者が鉄砲を構えている絵、IIはジャンクが爆発している絵、IIIは皮衣を着た戦士が日本の鎧武者に射掛けている絵である。それぞれ、Iはp117に「長篠合戦」、IIはp173「アヘン戦争」、IIIはp87に「モンゴル軍と戦う御家人」として、図版が掲載されている。拠ってIはd、IIはe、IIIは先述の図版の下「元寇」に「1度目は1274(文永11年)に、約3万の兵が300隻の船に乗っておそってきた」と記述されているので、b文永の役と分かる。

(2)

年表の「平城京がつくれらる」という記述から、奈良時代であると分かるが、p66〜67「天平文化」に「奈良時代、(中略)平城京には東大寺、興福寺などの大きな寺院が建てられた。(後略)また、校倉造という方法で建てられた東大寺の正倉院には、(中略)中国や西アジア(筆者注:ペルシア)、中央アジア(筆者注:インド北部)などとの結びつきを示す工芸品も多く、国際色の豊かなこの時代の様子がうかがえる」とあるので、正答は

(3)

p86「モンゴル帝国」に「モンゴル帝国の5代目フビライ・ハンのとき、大都(北京)という都をつくり、国号を中国にならって元と称した。(中略)やがて宋を倒して、中国全土を支配するようになった」、また(1)のIII、即ち元寇からも時代が近いので、解答は

(4)

正答はだが、p112の図版から、バスコ・ダ・ガマがインドに到達したことは分かるが、当時の大航海時代においてヨーロッパ人がインド東南アジアを目指した目的に就いては扶桑社には書かれていない。

(5)

p128「朱印船と日本町」に「16世紀末から、大名や大商人たちが貿易のために、東南アジア方面にさかんに船を出すようになっていた。1604(慶長9年)、江戸幕府は日本船の信用を高めるため、国として認めたことを示す朱印状を船に与えるようにした。この船は朱印船と呼ばれ、その数は、この後ほぼ30年の間に350隻にのぼった」と言う記述がある。拠って解答は朱印船

(6)

扶桑社の記述に従って書くならば、p168「産業革命と資本主義」及びp170「二つの革命の明と暗」より、「大量生産を行えるようになり、安い原料の確保や自国の商品を売る市場を求めたため」となろう。正答例は「産業革命によって可能となった大量生産のために必要な原料の確保と、生産される商品の市場の獲得を目的としてアジアに進出した」

(7)

アp287「聖断下る」より1945年、イp270「廬溝橋における日中衝突」より1937年、ウp268「満州事変を世界はどう見たか」より1933年、エp276(68)大東亜戦争(太平洋戦争)「初期の勝利」より1941年。年代順に並べると、ウ・イ・エ・ア

(8)

p298「独立の回復」に1951(昭和26)年9月、サンフランシスコで講和会議が開かれ、日本はアメリカを中心に自由陣営など48か国と、サンフランシスコ講和条約を結んだ。さらにアメリカと日米安全保障条約(日米安保条約)を結び、米軍の駐留を認めた」とある。よって正解は

〔2〕(1)は地理と歴史との複合問題、(4)、(6)は地理の問題であるので除くとして、歴史〔2〕〔3〕の問題全12問中、扶桑社に記述がないものが1問(〔3〕(4))、記述はないが他の個所から正解を導き出せるもの1問(〔2〕(3))、記述があるものは10問であった。

〔4〕

問題〔4〕・〔5〕クリックで拡大されます。

(1)

p82「政党」に「なお、政権を担当する政党を与党といい、それ以外の政党を野党という」とある。拠って、解答は野党

(2)

p91「議院内閣制」より、「内閣は国会の信任に基づいて成立し、国会に対して連帯して責任を負うものであり、これを議院内閣制という」との記述がある。従って答えは

猶ア、ウ、エは同じく「議院内閣制」より「衆議院によって内閣不信任案が決議された場合には、内閣は国民に直接の信を問うために10日以内に衆議院を解散するか、総辞職しなければならない(69条(筆者注:憲法第69条))。(中略)内閣総理大臣は国会議員の中から国会で指名される任命される(67条(筆者注:憲法第67条))。内閣総理大臣は国務大臣を任命するにあたって、その過半数を国会議員の中から選ばなければならない。(68条(1)(筆者注:憲法第68条第1項))」とあり、不正解と分かる。

(3)

p85の図版から、国会が裁判所に対して持つ権利は「裁判官の弾劾裁判」であり、正答は。同じく図版から、アは裁判所が国会に、イは国民が裁判所に、エは内閣が裁判所に、それぞれ対する権利である。

(4)

p89「衆議院の優越と議事の過程」を基に書くならば、「衆議院に内閣の不信任決議権や解散の制度があり、より国民の意思を反映していると考えられているから」となろう。正答例は「解散のある衆議院のほうが、より国民の意思を反映させることができると考えられるから」。

(5)

直接の記述はないが、p71「勤労の権利と労働基本権」に、「また、使用者に比べて弱い立場にある勤労者に対し、労働組合を結成して団結する権利、団体交渉をする権利、団体行動をする権利を保証している(28条)」と書かれてあり、文中の「28条」とはp224に「学習資料」として掲載されている日本国憲法第28条〔勤労者の団結権〕であり、正解は団結権であると分かるが、この正解を導き出すには、些かの学習が必要であろう。

〔5〕

(1)

p141「需要と供給」より「売り手が希望する販売量を供給といい、買い手が希望する購買量を需要という」とある。表に拠れば、セーターが2,500円の時、需要量、即ち「買い手が希望する購買量」は150着であり、供給量、即ち「売り手が希望する販売量」は50着である。つまり、買い手が150着買いたいのに、売り手は50着しか売りたくない。この時150-50=100(着)となり、買い手は残り100着を買えない事になる。拠って正答は。これも内容を理解できるかどうかが問題となろう。

(2)

先ず(2)は、p142「価格の変化」を基にするならば、「セーターの価格が3,500円の場合、需要量は80着、供給量は120着であり、需要量が供給量を下回るため価格は下がって、需要量と供給量がつり合う3,000円となるから」。拠って(1)の解答もイとなる。因みに(2)の正答例は「3,500円では、供給量が需要量を上回っているため価格は下落し、供給量と需要量が一致する3,000円となるから」。これも学習が必要となろう。

(3)

p144「競争と独占」より、「市場が独占や寡占の状態に近づくと、少数の企業同士が協定を結び、生産量を制限し、価格をすえ置いたり、つり上げたりする場合が生まれる。これをカルテルと言う。或いは新しく生産や販売を始めようとする企業の登場を妨害したり、中小企業や零細企業に対して、不正な取引を押しつける場合もある。このような問題に対処するための法律として、独占禁止法がある」拠って解答は独占禁止法

公民の問題全9問中、正解を出すには多少の学習が必要と思われるものが3問(〔5〕(1)(2))、記述はないが他の個所から正解を導き出せるもの1問(〔4〕(5))、記述があるものは5問であった。

今回の検証では、扶桑社の歴史・公民教科書は必ずしも受験の役に立たないわけではないと言える。

検証で見た通り、本末転倒な言い方になるが扶桑社教科書の内容は試験問題をほぼカバーできている。歴史は暗記解答できる部分が多いが、公民は学習内容の理解と応用が必要ではある。無論、扶桑社教科書を読みさえすれば、試験に合格すると言うわけでは無い。内容をしっかりと熟読し、尚且つ理解することが大切となろう。「丸暗記」と勉強とは違う。教科書に記載されている情報を只々詰め込めばいいと言うものではない。知識を系統立てて吸収し、それを己の血肉とする事が出来なければ、「勉強した」とは言えないのだ。そして「受験」は勉強の結果を見るものであり、即ち教科書の内容をしっかり勉強できていれば、「いい点」は取れるのである。これは扶桑社のみならず、他の会社の、他の教科の教科書でも言えることではあるが。

誰が為の教育

そもそも勉強とは、受験の為にするものなのだろうか? 実情は兎も角、建前は違うだろう。義務教育は、子どもを1人前の人間にする為に教え育てる事であって、決して只々知識を詰め込みさえすればいいだけではない(筈)。特に、取り沙汰された扶桑社教科書が扱う歴史・公民は、日本が辿ってきた道程を知り、社会や政治、経済の仕組みを学び、これからの日本を背負い、国際社会に翔ける人間を育てる為の教科の筈だ。そして前述の「朝生!」で討論されたのは、その教材として扶桑社教科書は是か非かを話し合っているのであって、受験は二の次の問題に過ぎない。

姜氏としては苦し紛れに吐き捨ててしまった台詞(正に失言!)なのかもしれないが、それを持ち上げて、採択阻止の決定打だとまで言える人間が居るのは驚かされる(言ってもおかしくは無い人物だが)。そもそも姜氏も上杉氏も大学で教鞭を執る(姜氏は東大教授、上杉氏は関学講師)「教育者」である。「受験に役に立たない教科書は駄目」と主張するなら逆に言えば「受験に役に立つ教科書は良い」ことになるのだが、それでは中学校に通うのは「いい高校」に入る為なのだろうか? ならば彼らが大学で教えているのは、「いい会社に入る方法」なのだろうか?

教科書が「受験の役に立つかどうか」は先述の通り二の次の問題でしかない。教科書の内容を勉強さえ出来ていれば受験の問題が解けない筈は無いし、「受験勉強」をしたいのなら受験勉強用の参考書を別に買えばいい。教科書は「受験」の為にあるのではない。

教科書を採択するかどうかは、その地域の行政に委ねられるべきであり、地域の学校で使用する教科書として相応しいかどうか、それが採択の条件であり、マスコミによる偏見やその地域の住民でもない「市民」や、他国の歴史を自国の歴史に合わせる事が許されると考える「アジア諸国」の圧力が採択を左右することがあってはならない。だが残念ながら、そうした外部的要因が採択結果を捻じ曲げてしまった。扶桑社教科書の採択結果は「市民の勝利」などではない。

1度扶桑社教科書の採択が決まりかけた地域で、マスコミの先走った報道や市民団体の圧力に因って見送られてしまう、と言う事件が有った。その最中、この地域に属する町の町長の「この教科書を許すことは出来ない」という発言が新聞記事として掲載された。町長個人の意見として扶桑社教科書を否定するのはいいとして、採択が決定する前に町長がこのような発言をしていいものだろうか。「町長としての発言」であるならさらに問題である。自治体の首長が「この教科書だけは採択するな」と言っているのだ。この発言が、採択に影響を与えはしなかっただろうか。

昨年の教科書騒動で飛び出した「受験には役に立たない」発言を、教科書検定から1年経ったのを機に不完全な形ながら検証してみたのだが、扶桑社教科書を使って勉強する生徒たちには「しっかり勉強しろよ」と言いたい。それは「受験」の為などではない、自分の為になるのだ。それがこの教科書の理念である筈なのだから。

補遺;愛媛の夏

昨年の教科書採擇は、扶桑社の慘敗に終つた。「リベンジ」できるかどうかは3年後を待たなければならないが、リベンジに掩護となるかもしれない一撃があつた。今月15日、愛媛縣で、来年度新設される中高一貫校で扶桑社教科書が使用されることが決定したのだ。以前から、採擇は噂されてゐたのだが、例によつて採擇の決定は多いに報じられた。

扶桑社教科書反對の急先鋒俵 義文氏はマスコミに對して、誤つた記述が多く、授業で使用するには不適當な教科書であり、愛媛縣教育委員會に對し採擇の撤囘を求めると去年と變らないコメントを出してゐるが、んなこと言ふ權利が何で愛媛縣民でもない俵氏に有るのだらう。自治體の教育方針はその自治體に任せておけばいいんであつて、住民でもないのに方針に文句をつける權利など無い。まあ「つくる會」も署名を集めてたけどね。私も會員にこそなつてないが「つくる會」の趣旨には贊同してゐるので署名しようかとも思つたけど愛媛縣民ぢやないので止めとた。只「つくる會」に據れば愛媛縣だけで16萬人署名が集まつたさうで、これを無視するのは民主主義ではないなあ。誤つてゐると言つたつて、さう言つてるのは中共と韓國と、俵氏のやうな反日市民だけである。大體扶桑社教科書だつて檢定は通つてゐるのだから、扶桑社教科書に缺點が有るとすれば文科省の檢定委員會にも缺點があることになる。實際、檢定にも問題があると言つてるんだけどね。

教員側から提出されてゐた資料では最も評價されてゐたのは別の教科書だつた、と新聞で報じられたが、扶桑社教科書が「だめ」と書いてあるわけでもなく、「指導要領によく配慮されてゐる」と言ふ評價なのだから別に扶桑社でも問題無いのである。記事には選定資料が參考で或る事は一應書いてはあつたけど、教育委員會が獨自に採擇するのが國の方針である事は勿論書いてなかつた。

ところで愛媛では來年、多分教員による扶桑社教科書のボイコツトが起こるだらう。つまり教師が自分でプリントを用意したりして扶桑社教科書を使はない、と言ふ事態が有得る。若しあつたら「不祥事」になるんだらうか。發覺してもマスコミが取り上げるかどうか疑問だけど。(2002年8月18日)

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