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DIVE特集 禁児賣法私考

はじめに 「マンガ」の定義

まづ始めにお斷りしておくが、この文章で「マンガ」と書いた場合、マンガそのもの及びアニメ、ゲームなどを引括めた意味で書いてゐる。この「アニメ・ゲーム=マンガの一形態」説は四方田 犬彦氏か夏目 房ノ介氏だつたかが確か言つてをられたのだが、つまりマンガとは元々紙の上で効果線や漫苻を使つて動きを、吹き出しや描き文字によつて音聲を表現してゐるが、アニメはそれを實際に動かし、音も本當に出るやうにしたものであり、またゲームは、特に最近はビジユアルに凝つたものが多く、「自分で動かせるアニメ」の樣相が顕著である。これらは上記のやうに表現形態に多少の違ひはあるものの、根本的な共通項がある。ひとことでいへば「オタク文化」としての性質だ。この共通項に據つて、アニメやゲームは文化としてのマンガの一形態だと看做すことができよう。

だから以下の文章で「マンガ」と表記した場合、上記のやうにアニメやゲームを含めた意味合ひがあると考へていただきたい。

禁児賣法私考1 ケーキ禁止法

「児ポ法」と畧されることが多い児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」だが、「児ポ法」ぢや児童ポルノをどうする法律なのかよく分からない。「児童ポルノ推進法」「児童ポルノ許可法」に間違はれるかもしれない。まづないだらうけど。

話は變はるが、ポルノとは性を商品化してゐると云ふ點で一種の賣春であると言へる。児童ポルノは、まづ児童買春があつてその副産物として出てくるものだ。だからわざわざ「児童買春、児童ポルノ」と區別するまでもないし、条文を見てもウエイトは買春のはうにをかれてゐる。それと「買春」といふ用語についてだが、児童を賣ることも買ふことも處罰するための法律であるのだし、そもそも「買春」なんてことばはこの法律か報道でもなければ出てはこない。だから法律の俗稱は「児童売春禁止法」でいいのではないか。畧すれば「禁児賣法」と言ふところか。從つて「児ポ法」ではなく「禁児賣法」と畧すことにしたい。

さて禁児賣法は3年前に成立したわけだが、この法律による児童賣春の檢擧數は成立以降増加してゐる。これは児童賣春が増えてゐるのではなく、法の成立によつて児童賣春に對する警察の取組みが強化されたためだとすれば、「児童賣春の防止」の見地からすれば禁児賣法はよく機能してゐると言へる。

禁児賣法には施行後3年を目途として改正を檢討する附則第6条が盛り込まれてゐるが、第156囘國會では改正は成立せず、閉會中審査となつたが、第157囘國會の解散により廃案となつた。ところでこの改正、いや法律そのものに反對の聲が擧がつてゐる。ジポネット連絡網 AMI-Webに代表されるやうに、特にオタク方面からの聲が大きい。彼らの言ひ分は、禁児賣法が改正されると、「児童に見える」と言ふ理由で例へば「ドラえもん」さへもが「しずかちやんの入浴シーン」があるがために規制の對象となつてしまひ、いはゆる「エロマンガ」のみならず普通のマンガまでもが讀めなくなつてしまふかもしれない、だから改正いや「改悪」に反對、と言ふところである。だがそのやうな規制が掛けられるとしたら、現行法でとつくに掛けられてゐてをかしくない。このやうな「ドラえもん」さへ讀めなくなると言ふ「普通に暮らしてゐる一般市民の生活がおびやかされる」式のアジテーシヨンは「メデイア規制法」や「盗聽法」、「有事法制」に對するネガテイヴキヤンペーンにも通じるものがある。「最悪の事態」と云ふ無用な不安を煽り、對象を攻撃するのである。「最悪の事態」が本當に現出する可能性は考慮する必要は無い。可能性があればいいのだ。尤も反對の本音を言ふならば、「ロリコンマンガが讀めなくなつてしまふかもしれない」と言ふところであつて、そんなスケベな理由では世間の贊同は得にくいだらうから、「ドラえもん」の焚書を建前にしてゐるのである。

わたしが思ふに反對派はケーキ禁止法を恐れてゐるやうなものだ。

世の中ケーキが食へなくたつて困らない人のはうがはるかに多い。どうしてもケーキぢやなきやダメなんだ! と云ふ人はおそらく世の中ではごく少數だ。ケーキが食へなければクレープだつてまんぢゆうだつてある。煎餅やスナツク菓子のはうが好きだと言ふ人もゐるだらう。何となればおれは菓子なんぞ食はねエと言ふひとだつてゐる。もしケーキを食ふことが法律で禁止されたら、私はきんつばにする。とは言へ一度ケーキの味を知つてしまつたからには、法で禁止されてゐるとしてもケーキが食ひたくなることもあるかもしれない。その時はパンにジヤムをつけて「これはケーキだ」と思ひ込んで食ふか、腦内の空想ケーキで我慢するしかない。腦内ケーキだつたらいくら食つても太らない。腹も全然滿たされないが。どうしても空想では我慢できなくなつたら……自分で焼くだらう。何しろおれは自分でケーキを焼けるのだ。けつこう上手いと自負してゐる。と言つても家で自分の分しか焼かない。秘密を漏らさない信用できる知り合ひになら分けてやるかもしれない。しかしケーキ禁止法は食ふことはもちろん、賣ることも焼くことも禁止されてゐる。ついでに國外で食つてもダメだから、マリフアナみたいにインドやオランダに行つて吸ふわけにもいかない。だからもしガサ入れがあつたらおれは捕まる。まア違法承知で食つたんだ。大人しくお縄は頂戴しよう。せめてケーキを分けた仲間の名前は隱し通すさ。

「ケーキ禁止法」は勿論あくまで例へ話であつて、児童ポルノとケーキとを同列には扱ふことはできない。だが大の大人が「ケーキでないとダメなんです」なんてのはあまり格好のいいものではない。「ロリコンマンガがないとダメなんだ」と言ふのは尚更だ。「お縄覺悟ででもケーキは食ふぞ」とは書いたけど、實際食ふことはないだらうねわたしは。

禁児賣法私考2 禁児賣法の役目とは

児童ポルノの禁止の名の下に、多くのマンガが發禁になると言ふこの問題は、もう十何年か前のことになるが、「成年コミツク」騷動を思い起こさせる。以前個人情報保護法とともに「メデイア規制法案」と攻撃された「青少年有害社会環境対策基本法案」と併せて、ロリコンマンガは基より、ポルノマンガ、ヴアイオレンスマンガとレツテルを貼られることでマンガが大焚書に遭ふと。つまり禁児賣法はメデイア規制法でもあると言ふわけだ。だとすればマンガ業界はこの法改正でマンガ業界は大打撃を蒙るはずなのに全然騷いでないし、個人情報保護法案に對しては散々ネガテイヴキヤンペーンを張つてはゐたが、「手心」が加へられると途端に大人しくなり、結局法成立以降何も後追ひ報道をしないマスコミもまるで取り上げない。これはつまり、大手メデイアにしてみれば禁児賣法は成立しようがしまいがどうでもいいことなのではないか。いざとなればやばさうなブツは切捨てればいいくらゐの商品価値しかマンガにはないのだ。困るのはロリコンをメインに扱ふマンガ出版社やゲームメーカーだけで、さう言つた企業は業界から見れば所詮消えても構はない存在でしかない。「成年コミツク」騷動のときもさうだつたやうに、行政による處分よりもむしろ、かうした業界のパージ、自主規制こそが問題ではなかつたか。自主規制において責めらるるべきは法律そのものよりも、法に觸れもしないうちに、寢た子を起こすことを恐れ「しずかちやんの入浴シーン」を削除してしまふ出版社であり、單行本を店先から取り除いてしまふ小賣店であるはずだ。

個人的に言ふとわたしは、マンガはもう死んでゐると思つてゐる。マンガの死についてはまた別項としたいのだが、マンガは出版業界全體から見れば、切捨てても問題ない程度の商品でしかないこともマンガの死因の1つだと思ふ。

2003年7月、澁谷、赤坂において、4人の小學生がマンシヨンに連れ込まれ數日間に渡り監禁されると言ふ事件が起きた。この事件は主犯の男ばかりに焦點が當てられ、事件の全容はまるで見へてこないまま忘れ去られさうだが、實は警察官僚や政治家も顧客となつてゐる秘密ロリコンクラブがこの事件の裏に存在し、それが明るみに出さうになつてしまつたため犯人は口封じに自殺に見せ掛け殺された、なんて噂もまことしやかに流れてゐるが、もしその噂が本當であるとすればまさに禁児賣法の對象となるべき事件である。變態の單髑犯にしろウラがあるにしろ、さうした實在の児童賣春を適發するために禁児賣法はあるはずだが、個人的な児童賣春は摘發されてゐると云ふのに、この事件以外にも多數存在してゐることは容易に想像できるかうしたロリコンクラブが明るみに出た、と言ふ話は寡聞にして知らない。この事件に限らず、ロリコンクラブの客は何者であるのか、禁児賣法の目的から言へばまづ追求すべき犯罪者であるはずなのだが、せつかく世間に暴露されやうとしてゐたアンダーグラウンドのロリコン業界の實體の一端はしかし、「主犯の自殺」と云ふトカゲの尻尾切りで終はり、いや終はらされさうな雰圍氣ではあるが、ならば禁児賣法は單獨犯と云ふ枝葉の剪定だけで根となる集團犯は掘り起こせない、警察の點數稼ぎくらゐにしか使へないザル法であると言ふことになる。

本物の児童賣春は見逃し、取るに足らないマンガを締め付けることにしか用ゐられないのであれば、たしかに禁児賣法は惡法と呼ばざるを得ないだらう。それも「ケーキ禁止法」ぐらゐバカバカしい法律である。

この事件で「ウラ説」に名前が出てゐる自民黨の元幹事長野中は實は禁児賣法の推進委員會に名前を連ねてゐた。名前が出てゐると言つても、被害者の少女の1人が野中の親族だつたと言ふ噂でしかないのだが、この件を機に野中がさらに委員會の活動にのめり込むか、と思つてゐたら総裁選の公約どほり議員を引退すると云ふことで、小泉の追ひ落としほどには熱心に委員活動してたわけではなかつたやうだ。そもそも野中の名前が出たこと自體ただのガセだつたと言ふだけの話なのだらうけど。前述のやうに前國會では禁児賣法の改正は成立しなかつたが、推進委員會に「抵抗勢力」の旗頭野中が居るのではイラク特措法が何しろ氣に掛かつてゐた小泉首相も、余計改正には乘り氣にならなかつたかもしれない。

禁児賣法私考3 努力の方向

「しずかちゃんの入浴シーン」だとか、親が自分の子どもと撮つたり未成年のカツプルが何かの記念で撮つたりしたヌード寫眞なんかまで取り締まられるやうにはならないと思ふ。「別件逮捕」の材料にはなるかもしれないが、警察だつて普通に生活してゐる家庭のアルバムを1冊1冊開いて廻るほどヒマではないだらう。

自分の子どもと一緒に風呂に入つて變態扱ひされるやうな世の中は世の中のはうがをかしいと考へるべきだ。

さう言ふ他愛もない、本當の變態でもなければ性慾を喚起しないものはともかく、例えば初潮も迎へてないやうな少女が何人もの男に輪姦され精液まみれになる、なんてマンガはさすがにわたしも眉をひそめざるを得ない。とは言へさう云つたマンガに需要が有るのは確かだし、わたしも眉はひそめつつもつい讀んでしまふこともある。そのやうなマンガが、ポルノ専門の書店であるとか、未成年は立ち入りできない店内の特別なコーナーに行かなければ入手できないのならばいいのだが、コンビニで普通の雜誌と並べて賣られてゐたりしてゐるのが實情である。ビニールが掛けられてゐたり、「このコーナーの雜誌の18才未滿の購入、立ち讀みを禁止します」注意書きがなされてゐることもあるけど、一切何も無しに子どもも手に取つて中を見ることができる店もあるのだ。實際、「セーラームーン」のエロパロデイマンガの單行本を小學生の女の子が立ち讀みしてゐるのを見掛けたこともある。尤も中を見て「あれ?」と思つたやうですぐに棚に戻してたが。都會の書店ではいざ知らず、田舎の小さな書店では店先の棚に「ジャンプ」や「マガジン」と一緒くたにエロマンガ誌が陳列されてゐるのは珍しいことではない。

これは禁児賣法よりも青少年有害社会環境対策基本法案の話になるのだらうけど、「しずかちゃんの入浴シーン」は削除し、エロ本はコンビニに並べる出版業界は自主規制すべき方向をあきらかに間違へてゐる。

これでは法による規制が掛けられても仕方ない。法を成立させる側に「口實」を與へてゐるからだ。出版業界は自主的に規制を行うから、法による公權力の介入など必要無い、と言ふ論法でもつて反對を叫ぶが、エロも普通の商品もごつちやに扱はれてゐる現状を見る限り、そのやうな自淨努力がなされてゐるやうには見受けられないのである。

禁児賣法私考4 マンガと犯罪の距離

児童賣春について言へば、わたしも禁止には贊成する。とりわけ、東南アジア邊りに児童賣春ツアーに出掛けるやうな連中は宮刑にしてもいいくらゐだと思ふ。同樣に、實在の児童を素材にした寫眞やヴイデオ、そして繪畫も取り締まるべきだ。だが児童ポルノマンガを取り締まる必要性はあるかどうかについては、その必要は無いやうに思はれる。想像上のキヤラクターが描かれることで、現實の児童が傷付くことがはたしてあり得るのだらうか。マンガのキヤラクターに年齢や、いはんや人權があると言へるだらうか。

ここで、マンガも取り締まりの對象とすべきだとする理由にいはゆる「飛び石理論」がある。藥物で言へば、最初に煙草やシンナーのやうなライトドラツグに手を着けることでお次は大麻、覺醒剤、LSDへと擴がつていく、と言ふ説である。だがビールを飲む人は、次第に日本酒、ウヰスキー、ウヲツカと度數の強い酒を飲むやうになるかと言ふともちろんそんなことはない。児童ポルノ「と看做しうる」マンガを見てゐるうちに寫眞やヴイデオと云つた「本物」の児童ポルノへと手を出すやうになつたりはしない。理性があればむしろマンガで嗜好は滿たし、實際に児童ポルノに手を伸ばしたりはしないのではないか。そもそも「しずかちゃんの入浴シーン」から児童ポルノに走るやうなこと自體、あり得ないと思ふが。「しずかちゃんの入浴シーン」で興奮するのはよほどうぶな少年か、さもなきやよつぽどの變態、本物のペドフイリアであらう。

児童ポルノマンガがあるから本物の児童ポルノに手を出すやうになるのだ、と言ふのは例へて言へば人を殺すことを考へてゐる人間が居て、偶々ナイフを目にして、それを掴んで相手のところに走る、と云ふ事件が起こつたとして、犯人はナイフが無かつたとすれば首を絞めるためのロープを手にしてゐたかもしれない。児童賣春をしてゐた犯人が捕まつて、その住居から児童ポルノマンガが出てきた、だからと言つてマンガを讀んでゐたから賣春にも手を出してしまふやうになつたのではなく、児童賣春するやうな人間なのだから児童ポルノにも手を出してゐた、と考へるはうが妥當ではないのか。殺人犯にとつてナイフやロープは殺人と云ふ目的のための手段に過ぎない。同樣に児童賣春犯にとつては、児童嗜好と云ふ目的のための手段として児童賣春、児童ポルノがあつたのであり、マンガはその方法の1つであるだけだ。児童ポルノマンガは犯罪の必要条件であつても十分条件ではない。

だからと言つてマンガが無ければ實際に手を出すぞ! と言ふのは犯罪者の脅迫でしかないのだが。

禁児賣法私考5 アジテーシヨン學入門

「○○法に反對!」と叫ぶスローガンには、「盗廳法」でも「有事法制」でも「メデイア規制法」でも判で押したやうに「○○法の成立によつて、管理社會が到來する」と二の句が續く。禁児賣法も例に洩れず、児童賣春や児童ポルノを口實に、別件や微罪による逮捕が横行し、市民に對する管理が行われるやうになると。

だが「管理社會」と云ふのは法律が1つ2つ出來ただけで急に現出するものではないし、禁児賣法の改正によつて自分の子どもと風呂に入つただけで變體扱ひされ、社會的にも抹殺されるやうな世の中になる、と言ふ主張も前述したやうにあるけれども、むしろそのやうな異常な社會のはうが先にあつて、法律は社會に着いてくるものでしかないのではないか。「盗廳法」が施行されて何年も經つし、個人情報保護法も施行されたが、はたして現在の日本が「管理國家」となつてゐるだらうか。

よく國民管理法の代表とされ、「惡法」の代名詞とも言はれるのが戰前の治安維持法だが、維持法が取締まつてゐたのは共産主義や反戰思想など當時の政府にとつて邪魔な存在であつて、無論、さうした思想の自由が何者によつても制限されることは許されないが、思想も何も無い、普通の一般市民に維持法は何も手出し出來なかつたのではないか。する必要もそもそも無かつたらうけど。

かつてのスターリン政權下のソ連や、冷戰時代の東歐諸國のやうな密告社會が、治安維持法の下で形成されただらうか。

第一、児童ポルノマンガを取締まるのならば現行法ででも充分に可能である。現行禁児賣法の条文によると、

(定義)
第二条  この法律において「児童」とは、十八歳に満たない者をいう。
2(略)
3  この法律において「児童ポルノ」とは、写真、ビデオテープ「その他の物」であって、次の各号のいずれかに該当するものをいう。
(後略)

この「その他のもの」に絵、すなわちマンガを適用することはできる。刑法にも

第二十二章 わいせつ、姦淫及び重婚の罪

(わいせつ物頒布等)
第百七十五条  わいせつな文書、図画その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役又は二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処する。販売の目的でこれらの物を所持した者も、同様とする。

とあつて、先の「松文館裁判」の一審判決に見られるやうに、児童ポルノマンガに限つたことはなくポルノマンガそのものをわいせつ図画として取り締まることだつてできるのだ。では現在、ポルノマンガ、いやポルノは取り締まられてゐるだらうか。税關に行けば、無修正ポルノの沒收は行はれてゐるし、「非合法」とされるヤミのポルノ賣買の摘發のニユースはたまに耳にする。松文館事件の場合は市民の投書により摘發された、といふ「ことになつてゐる」。もつともこの事件の場合、有罪判決の根據となつたのは禁児賣法ではなく刑法ではあるが。

しかし、店頭に竝んでゐるポルノが一齊に摘發された、なんてニユースは寡聞にして聞いたことはない。現在取り締まられてゐないものが、新たな法律が出來たのならともかく現行法の條文が多少改正されたところで取締りの對象となるだらうか。法律によるポルノの禁止が行はれるとすればまづポルノを犯罪視する社會があつて、それにあはせて法律が成立するのではないか。禁児賣法の成立こそが、さうしたポルノ・マンガを禁止する社會への第一歩なのだと反對派は反論するのかもしれないけれど。

森山眞弓氏編著のよくわかる児童買春・児童ポルノ禁止法といふ本がある。森山氏は禁児賣法の第1案いはゆる「自社さ案」を提出した議員の1人で、自民黨内でも野田聖子氏と竝んで禁兒賣法成立を推し進めた人物である。この本は禁児賣法の成立までや逐條解説、Q&Aが掲載されてゐるのだが、成立の過程をみると、與黨(當時は自民社會さきがけ)内や同樣の法案を出してゐた民主黨など野黨との會談などの間に、最初の案からかなり修正されて國會に提出されてゐる。規制が嚴しすぎる、社會の實情にそぐはないといふ理由からだ。ずいぶん世間におもねつて禁児賣法は成立したのである。

結局禁児賣法は一部の推進派と反對派が騷いでるだけで、世間ではまるで問題にされてゐないのが實情ではないか。ましてや「児童ポルノマンガ規制」についてなんやかやいつてるのはごく一部の反對派だけである。

推進派の1つである團體日本ユニセフ協会の禁児賣法についてのシンポジウム「児童買春等禁止法改正に関するユニセフ公開セミナー報告」が行はれ、反對派AMI-webの代表が「兒童ポルノマンガ規制」について質問してゐるのだけど、野田氏は コミックに関しては現在議論が続いていますが、事務局長預かりの試案には含まれていません。もっと重要なことから手をつけていくべきです。コミックの議論は3年前の法成立のときからあったことから、問題意識を持っている人の多さは実感しています。しかし、もともとこの法律を成立させた背景には売春では買う人にとって犯罪にはならないが、児童の場合買春という言葉で買い手の行為を犯罪とするという児童擁護の原則があります。とマンガについては優先される問題ではないと發言してゐる(なぜかこの發言のもっと重要なことから手をつけていくべきです。といふ部分、AMI側の議事録には掲載されてゐないのだけど)。

改正案によつても児童賣春を撲滅することはできない、被害者となる児童が守られるとはいひがたい、といふ議論ならまだしも、法の改惡によつて児童ポルノ規制の美名のもとマンガが規制され、法の惡用が行はれ監視社會警察國家の時代が幕を明ける、といふ主張は現實味のない飛躍でしかない。

最惡のシナリオをあたかも實現する可能性が高い未來であるかのやうに宣傳し、恐怖をあふる、かうした理窟ではなく感情に訴へる手段は「アヂテーシヨン」と呼ばれる。アヂテーシヨンが惡い、といふつもりはわたしは無い。目的のために手段は選ばないのであればアヂもまた手段の1つである。だが「児童ポルノマンガ、いやマンガを規制から守る」といふ目的はどんな手段を用ゐてでも逹成すべき崇高な目的なのだらうか? この疑問については一先ず後述とするが、わたしには逹成すべき目的だとは思へない。

自分が弱者であること、弱者の味方であることをよそほふのもアヂの手法の1つである。同情を集めることができるからだ。禁児賣法反對運動でも、マンガの主な讀者層が弱者である子どもであることから子どものマンガを守るためといふ主張を見ることがある。中には讀むだけでなく、描くことにも興味があるから、子どももマンガの未來を摘み取る法律には反對して書名を寄せてくれたといふ宣傳もある。

国会で議論されている方々には若干想像しにくいことかもしれませんが、現在、「マンガを描く」中高生は、おそらく数万人はいます。その半数以上が女子です。

中高生に限れば女子のほうが署名参加に熱心だったという感触を私たちは持ちました。これら中高生にとって、「マンガ規制」は、まさしく「自分自身の問題」なのです。「表現者である」中高生自身の問題です。

「自分たちが描くものを、一部の大人の意見で制約されるのはいやだ」という素直かつ真摯な意見に、署名を集めていた私たちも奮い立たせられる思いがしました。

マンガを規制すべき理由が見つかつた。子どもがマンガを讀んだり描いたりして勉強しなくなつてしまふではないか。署名したといふ學生たちへ。マンガなんか描いてるヒマがあつたら勉強しろこのばかちんがあ。

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