村上地域でメジヤーな山といへば、まずは越後百山にも選ばれてゐる日本国といふことになるだろうけど、村上市街から離れてゐる(車でも1時間かかる)し、ちよつと山中にあつて名稍や歴史ともあひまつていささか「秘境」のおもむきがある。同じ百山の鷲ケ巣や光兎は初心者には少々敷居が高過ぎる。
初心者でもとつつき易く、名も知られた山となると、百山にこそ選ばれてはゐませんが、荒川の高坪山になるのではないだらうか。今回はここに登つてみることにした。
今回も用事があつたりして、運動公園奥の駐車場に車を停めたのが11時くらゐになつてしまつた。少しストレツチをしてから林道を歩き、虚空藏山荘を過ぎて虚空藏コースに入つた。
登山道は荒川の人たちがよく整備してくださつてゐて登りやすい。時折振り返ると荒川の町並みがどんどん低くなつて高さを稼いでいることがよくわかる。しかしだんだん木陰が覆つてしまひ、視界は惡くなつてしまつた。
しばらくすると「奥の院分岐」に出た。日本国や朴坂に登つた時は地図を持たずに行つたため、自分が今どのあたりにゐるのか分からず難儀したので今回は『新・にいがたファミリー登山』(新潟日報事業社)をコピーして持つていつたのだけど、そこに「奥の院へは3分ほど」と書いてあつたので、豫定はしてゐなかつたけど3分くらゐならと行くことにした。さすがに奥の院への道は登山道ほど整備が行き届かないらしく下草に覆われてゐたが、踏み跡はしつかりあつて迷ふことなく奥の院に着いた。
奥の院はまさしく山の懐にいだかれてひつそりと林に佇んでゐた。下山までの無事をお願ひして登山道へ戻つた。
「奥の院分岐」から尾根に出る「虚空藏峰」へはすぐである。ここからは尾根道で、まあまあ登りであつたそれまでに比べるとすこぶる楽だ。ただやはり景色は開けない。ときおり木陰はとぎれるもののそれほどの眺めでもない。どうも見晴らしは惡い山だ。しばらく行くとマイクロ波反射板が立つてゐる「飯豊連峰見晴臺」に出た。
見晴臺には先達がゐて、「ずいぶん遲い登りだねえ」といはれてしまつた。ぼくが着いたのが1時ちよいまへだつたものなあ。
先達は新潟市から來られたとのこと。もう高坪には何回も登つてゐて、「ほんとは風倉山に行きたかつたんだけど、足が惡いのでここにした」さうである。ぼくが「地元だけどはじめてです」といふと、「はじめて!?」と驚かれてしまつた。先達は飯豊の地形圖をとりだして、「あれが○○で、こつちが××。けふはかすんでて△△はよく見えないなあ」と教えてくれたが、この時はろくに知識がなかつたのでさつぱりわからず殘念であつた。興味も沸いたので、今度からはちやんと地形圖を持つてこようと思つた。
飯豊の眺望はさすがに素晴らしかつたが、ぶつちやけこの山はここくらゐしか見晴らしはよくない。ぼくが來たとき先達はすでに晝を終えてこれから山頂へ向かふとのことで、「山頂はあまり見晴らしが良くないからお晝はここでしたはうがいいよ」といはれたので、山男の友人Sにゆずつてもらつたガスバーナで湯を沸かし、ラーメンをつくつた。
ところで山にくるまへ朝飯にパスタをくつてきたのだけど、いまいちエネルギーにならないやうな氣がした。やつぱり米の飯のはうがいいのかなー。
とまれ飯豊をわからないながらも眺めながらラーメンをすすり、片付けて山頂へ向かつた。見晴臺から山頂も尾根道なので苦もなく山頂に着いた。
たしかに先達がいはれたとほりあまり眺めはよろしくない。日本海に粟島や佐渡が見えるのだが、天氣はあいにくだし木立がかなり邪魔してゐる。まあそれでもせつかく山頂にきたのであたりをうろつくと、近所の小學校の遠足の小さい記念碑が何本か立つてゐた。まあ小學生でも登れるだらうなと思つてはゐたが、さらには保育園の記念碑もあつた。まあ親子遠足ではあるのだけれど、「保育園児ですら登れるのかよ」とちよつとがつくりした。登らせるはうは大變だつただらうけど。
山頂からは「藏王コース」を下つた。
登山道を出て駐車場まで林道を歩いてゐると、道端の草むらでガサツと音が。見やると長い耳につぶらなお目々。ウサギでした。すぐに逃げてしまつたけど、野ウサギなんて初めて見た。まあウサギとかタヌキくらゐならいいけど、クマは勘辨してほしい。
登山道は登り下りともよく整備されてゐるし、勾配も急ではなくぶつちやけ「樂」な山であつた。見晴がよくなかつたのと「保育園児でも登れる山」といふ印象が殘つてしまつていつてしまへばさほど面白みはなかつた。
「飯豊」と「ウサギ」はよかつたけどね。今度は別コースで登つてみやう。