實は私は「これマジ!?」やTBS系「USO」のやうな番組は嫌ひではない。寧ろ好きである。ええ好きですとも。嫌ひなら見ないさ。と言つても、このサイトのコンテンツを見て頂ければお分かりに爲るかとは存ずるが、ネタとして樂しんで見てゐる。まあ「と学会」的視聽ですな。だから「ギャオ」なんかも好きである。それにしてもマジで信じてる人たちは「ミステリーサークル」や「キヤトルミユーテイレーシヨン」なんか見たらどう思ふのだらう。私は好きなんだがな。以降一寸ネタばらし。ミユーテイレーシヨンに遭ふ牛はアメリカの牛の筈だけど、アメリカ牛には狂牛病はないんぢやなかつたつけ。あツ、それもアメリカ政府に依つて隱蔽されてゐるのか!? さー言ふ深いテーマだつたのか!
とまれ、小説や映畫を見るやうに、UFOだとか心靈だとかを飽くまで「ネタ」として樂しむのである。隨分いやな野郎だな、と思はれるかも知れないが、實際ヤな奴である。だからTVは一人で見る事にしてゐる。家族と一緒に見るとつい「これはをかしい」「變だよこれ」と言つてしまひ、えらく嫌はれるからだ。特に妹は眞劍に見てるので一緒に見たがらない。單に煩ひからだけかもしれんが。
TVドラマ「X-ファイル」の主人公モルダーのオフイスの壁に貼つてあるポスターには、こんなコピーが書かれてゐる。
"I WANT TO BELIEVE"「私は信じたい」。
モルダーは單なるUFOマニアではなく、眞實を知りたいのだ。だからUFOの話だからと言つて何でも頭から信じてしまふわけでもない。まあ「X-ファイル」の世界は宇宙人は實在してるし、影の政府もあるし、モルダーの主張はさうした方面にどうしても話は傾いてしまふが。宇宙人がゐるかどうか分からない、多分地球には來てないだらう世界に居る私はモルダーとは逆の方向に考へがいく。UFOやら心靈やらは一先づ信じない。だ・け・ど、本當は信じたいのである。
手品が面白いのは、タネも仕掛けも分からないからだ。しかし、タネも仕掛けも分かる手品を見せられたつてちつとも面白くない。今有るトンデモは、大抵タネも仕掛けも見當がつく安手品ばかりなのだ。騙すなら、もつと巧く騙してくれ。
「アポロはインチキ」だと言はれたのは、「これマジ!?」が初めてではない。このネタを追ひ續け、「これマジ!?」にも登場したバート・シブレル氏は十數年時間を無駄にして取材を續けてゐると言ふから、少なくとも十數年以上前から噂はあつたことになる。恐らくは、11號の月面着陸が放送された翌日からはもう既に噂されてゐたのではないか。實際、「月面着陸の放送中、コーラのビンが畫面を横切つた」と言ふ都市傳説はオーストラリアを中心としてかなり早い時期からあつたらしいし。
「アポロはインチキ」のどこがをかしいか、と言ふのはここでくだくだしく書くより「月の雑学」を讀んでいただくとして、「アポロはインチキ」は衝撃の新事實などではなく、昔から有るネタを引つ張り出してきたものでしかないと言ふ事は知つておいていいだらう。
最近TVで「お菊人形」を取り上げてゐたけど、私が小學生の頃、雜誌のオカルト特輯でよくお菊人形が出てたので結構懷かしかつたのだけど、詰まりはこれまた20年も前のネタなのである。何故このやうに古いネタが引つ張り出されてくるのか?
「謎がまだ解き明かされてないから」ではない。「1度忘れられたから」である。アポロの月面着陸なんてもう30年以上も前の話だし、お菊人形の話も隨分昔だ。若い人は話自體を知らない人も居るわけだし、聞いた事があつても、そんな前の話ぢや忘れて當然である。でまあ、忘れられた頃にやつて來る、と。
私の豫想では、そろそろ「水晶のドクロ」邊りが再登場してくるのではないかと思ふのだが。
どーでもいいんだが、miを使つてこの文章をまとめてゐたら、「お菊人形」を撰擇したらポツプアツプウヰンドウに「"お菊人形"の検索」「前の"お菊人形"」「次の"お菊人形"」と出てちよつとヤだつた。
前述した「アポロはインチキ」のバート・シブレル氏は十年以上この謎を追つてゐると言ふけど、にしてはちつとも決定的な證據が出てゐない。例へば月面着陸映像の撮影に關はつたスタツフの證言とか、撮影に用ゐられたスタジオや小道具とか出てきても良ささうなものだけど。結局、「アポロはインチキ」の證據として擧げられてゐるのは、「月面着陸の映像はをかしい」とか「ヴアン・アレン帶を拔けられるはずが無い」「祕密を知つた宇宙飛行士は事故死に見せかけて殺された」とか、インチキ呼ばはりするには餘りに根拠の貧弱な證據ばかりである。先述した「小道具」で言へば、"C"のマークがついた石が出てくれば、それこそ決定的な證據になるのに。
古くは「コテイングレー妖精事件」や「フオツクス姉妹の降靈術」、最近だと「ネツシー」や「ミステリーサークル」のやうに、ネタが割れてしまつた事件と言ふのも結構有る。だけど、「妖精の寫眞はインチキでした」と言ふ證言自體インチキなのだとか、あのネツシーの寫眞は僞物でも、本物のネツシーは居る、人(ミステリーサークルサークルとかね)が作つた偽物サークルの他に本物のサークルが在る、と言つてネタが割れた事を認めない連中も居る。
1999年7月が過ぎた後、テレビアサヒ系「たけしのTVタックル!」でノストラダムス研究家と否定派との討論が組まれた。眼目は當然、研究家逹が間違ひを認めるか、である。結果はこれまた當然、全員「間違つてない」と囘答した。1人だけ、「解釋の仕方が間違つてゐた」と言ふ意味で間違ひを認めた研究家は居たが、然しやはり「豫言は間違つてない」のである。彼らの言ひ分は、「人々の思ひの力が豫言を妨げた」「1999年と7ヶ月、で本當は2000年7月だ」「豫言は1999年7月以降もあり、今囘は偶々外れたが、その後の豫言は當たる」とまあ、銘々好き勝手言つてたんだけど、ノストラダムスにしろ、アポロにしろ、何故彼らは自説を曲げないのか。次囘考察してみるか。
トンデモがトンデモを捨てない理由としてよく擧げられるのが「自己否定に繋がるから」と言ふのである。つまり、間違ひであることを認めると、自分の存在までも否定される事になる、と言ふんだね。トンデモはそれを信じる者にとり正に「據り處」であり、それが否定されたらそれこそ立つ瀬も無くなるのだ。
私がトンデモを信じなくなつた契機は、前にも書いたがナイナイの番組で宇宙語を話す「アテム」と言ふキヤラを見て、「あこりやインチキだわ」と思つてしまつたからである。だけど、同じくアテムを見て「ををこりや本物の宇宙人だ!」と思ふ人も「これは流石にニセモノだけど、本物は他に居る」と思ふ人も居るわけで。因みによしりんは、アダムスキーの家に行つて「金星人」の繪を見て「インチキ」と思つたさうだが(『ゴーマニズム宣言』第2卷)。
それは例へば信仰心や宗教心にも繋がるのだらうけど、依り處を絶對に必要とする人は居る。そして時に既存の常識や宗教とは別の所に依り處を求める人も居る。即ちトンデモである。この邊マーチン・ガードナーの竒妙な論理Iに詳しいのだが、要するにトンデモとは一種のパラノイアなのだ。
トンデモがトンデモを據り所とし、いつしか自己の存在意義とまでなると言ふ心理はまア理解できなくも無い。私がかうしてwebで文章を書き、發表してゐるのもある種存在意義の確認であるからだ。おれは他人の知らないことを知つてゐる、そしてその智識を、他人に教へてやることが出來るのだ、と言ふ具合に。つまり、自分は他者よりも智識を持つてゐる優越感である。實際トンデモの心理もこれに近いのではないだらうか。中には自分の持つ智識を世に廣めることが自分の「使命」だとさへ思ふトンデモも居る。前述のノストラダムス研究家なんか正にさうだ。だからこそそれを否定されるのは正に己を否定されることなのだ。だからこそトンデモは人の言ふことには耳を傾けない。私も自分を否定されたやうな氣分に陷り、誰の言葉にも耳を貸さないやうになつたことがあつたしなあ。トンデモにとつて、間違つてゐるとすればそれは自分ではなく、飽くまでも世の中がなのである。
霊感少女論と言ふ本がある。大學で民俗學を教へる筆者近藤 雅樹氏は、講義で行つたアンケートで「自分は靈感を持つてゐる」と言ふ囘答を見て、彼らは何故靈感を持つに至つたのかを考察し、靈感少女は、少女であるが故に靈感を持つやうになつたのだと結論付ける。勿論「靈感がある」と主張するのは少女に限らず、少年にも大人にも居る。年齢や性別は關係無く、誰もが多かれ少なかれ心の中にある少女性が靈感の源なのだ。
少女と言ふのは大人でも子どもでもない。まア所謂「多感な時期」と言ふやつで、自我が目覺める頃でもある。自我とはつまり、自分は他の人間とは違ふと言ふ感覺であるが、さてさうなると、自分をどうやつて他と區別したらよいのか。學校一勉強が出來るわけぢやなし、クラスの中でも目立たないし、友達と比べて可愛いわけでもないし。でも私には人に見えない物が見えたり、夜金縛りに遭つたりする。さうだ私は靈感がある。特別な存在なんだ、と言ふわけで靈感少女は自我の安定を得る。クラスに1人はゐたでせう、「私靈感があるのよ」つて言ふ女の子。
しかしこれは何の取り柄も持たない平凡な少女に限らず、學校一勉強が出來やうと、クラスの中で目立たうと、友達と比べて可愛からうと靈感を持つ少女も居る。成績や容貌だけでは彼女たちの自我を滿たすのには足りないからだ。
もう1つ、自我の他にも靈感を持つのが少女である理由がある。例えば「雪女」とか「産女」とか、「豆腐小僧」「海坊主」とか妖怪には女子どもが多い。「子泣き爺」「吹消し婆」とか老人も多いけど。なぜかと言ふと、女子どもや老人は人間以外のもの、妖怪と見倣されてゐたからだ。男の妖怪も居ない事は無いけど、名前に「男」が着くのは「川男」ぐらゐであまり居ないでせう。つまり人間でない女子どもである少女は、靈の世界に近い存在と思はれてゐたことが靈感少女を生む素地となつてゐると言ふわけだ。
でも「ナントカ娘」つて妖怪もあまり居ないやうな。「猫娘」は水木先生が作つたんだし……
とり・みき氏のマンガにくだんのアレと言ふのがある。雜誌頓智に連載されてゐたのだが、内容はタイトルにもある半獸半人の妖怪「
幹部でも一般信者でも入信の動機について
「最初はとりあわなかったがためしに道場に行ったらホントに神秘体験をしてしまったのでそれから信じるようになった」といっている人が多いんだけど
TVや新聞ではその"神秘体験"のメカニズムをあんまし詳しく教えてくれない
(中略)
ちょっとオカルトよりのことをマジメに研究しようとすると白い目で見られるのかもしれないけど
でもそのツケが出たのがオウムだったよーな気がする
(中略)
先の"神秘体験"というのもある種の呼吸法によってひきおこされる酸欠時に見える幻覚のことらしいのだが
彼らが"超常現象"と思ってしまったそうした現象の科学的説明こそ(特にいまだにダマされかかってる人にとっては)いちばん必要なんじゃないだろうか
以前TBSで古舘 伊知郎司会の特番人間とは何だ!?II 愛と脳をめぐる冒険があつたのだけど、こんな映像があつた。昔行はれた實驗で、脳の手術を行ふ患者を局部麻酔にしておいて目を覺めさせておき、頭蓋を切り開いて露出させた脳に針(電極だつたか?)を刺したところ、患者は指先に何か觸れたやうに感じたり、視界に光を見たと言ふ。これに據つて腦に「感覺野」や「運動野」があることが分かつたわけだが、無論こんな實驗は今では出来ないが、似たやうな實驗は今でも行はれてゐる。
被驗者を真暗な部屋に置いて、顏を耳まですつぽりとマスクで覆い、椅子に樂に座らせる。つまり何も感じる事が出來ない、「死」に近い状態にしおいて、頭にはそれこそオウム信者が被つてたやうな電極仕掛けのヘツドギアを装着させる。そしてヘツドギアから電磁波に據つて腦に刺激を与へる。すると電磁波の強さや刺激を与へる部位に縁つて、光のトンネルや花畑のやうなハルシネイシヨンが被驗者は見えたと言ふ。つまり、外部的な刺激に據つて幻覺を、やりやうでは臨死體驗のやうなものさへも人工的に作り出す事が可能なのだ。
幻覺とは言はば腦の誤作動だが、人間は腦に據つて感ぢ、認め、考へる以上、腦が誤作動してゐることに往々にして気付かない。その時人はそれを「神秘體驗」と呼んでしまふのだ。
あまりにリアルな夢に思わず飛び起きてしまつた經驗は誰しもあると思ふが、大抵、夢の中では夢を夢と自覺できない。私は1度夢を「あこりや夢だ」と分かつた時が在つて、その時は思ふ存分空を飛び廻つて實に爽快だつた。まア1邊だけですが。
詳しい出典は忘れたのだけど、中島 らもさんがエツセイでアル中患者の壮絶な幻覺を紹介してゐる。
その患者は入院中夜寝てゐると、突然頭が爆發し、ばらばらに碎け散つてしまつた。見ると頭の部品が病室中に散らばつてゐる。今のうちに元通りに組み直せば何とかなるかもしれない、と言ふ事でジグソーパズルのやうに部品を拾つては頭に嵌め込んでみる。同室の仲間も起き出して部品を拾ふのを手伝つてくれる。仲間の手助けもあつて何とか殆ど組み直せたが最後の1つが見つからない。絶望に暮れてゐると仲間の1人がトイレから飛び出して「おーいこれぢやないか」と差し出したのは確かに最後の1つ。漸く最後の1つを嵌めこんで、これで大丈夫だ、と思つたのも束の間、またしても頭が爆發してしまふ。もうお終ひだと絶望してゐるうちに何時の間にか眠つてしまつたやうで、目を覺ましてみると頭は何とも無い。あアあれは幻覺だつたのかと慄然としてゐると、昨夜部品拾いを手傳つた仲間も「昨夜は大變だつたな」と言ふのである。
らもさん自身もアル中で入院した時、寝てゐるベツドの横で花魁がべんべんべんべんと三味を彈き、その頭からうどんがにゆるにゆると這い出してくる幻覺を見たさうだし、らもさんと一緒にラヂオ番組をやつていたGONTITIのチチ 松村さんも奥さんだつたかが出産の爲入院して、麻醉を打たれた夢現で、病室の換氣口に馬の首がぶら下がつてゐるのを見たさうだ、と言つてゐた。
これらはつまり、アルコールや麻醉藥に因る腦の誤作動であり、後で本人も「あアあれは幻覺か」と自覺できるからまだいい。だけど例へば幻覺で人が見えてゐるのを「靈感だ」とか、ハルシネイシヨンを「神の世界を垣間見た」とか思ひ込んでしまふと厄介である。無意識にせよ意識的にせよ、夢から醒めるのを拒否してしまつてゐるからだ。かくして「靈能力者」や「教祖」が誕生するのである。
今やマンガ業界の裏街道を驀進し、或る意味ですつかり成功を收めてゐる西原 理恵子さんだけど、編集者が知り合いと言ふ事でホモ雜誌の極北さぶにお惱み相談マンガ「人生相談withさぶライフ」を連載してた事があつて、まアそこはサイバラさん人生相談はおまけで内容は殆どエツセイとホモに對する差別だつたんだが。さてサイバラさん、「靈が見えると言ふ友人にどう接したらいいのでせう」と言ふ質問にばつさり斬り捨ててをられる。
ほんとに見えてるなら精神科。クスリかしらモーソーかしら
ウソで見えてても精神科。虚言症バリバリじゃん。みんなもっとラフに精神科を使いましょー。
とは言つても「精神科」つて結構敷居高いもので。實は私精神科に行つてたことあるんですが、まア通つてゐると普通の町醫者であり、普通の病院の外來なんですが。
フジ系でif--もしも体感バラエティ!と言ふ番組をやつてゐるのだが、第5囘の放送では「靈感がある」と言ふ人にアンケートを採り、「靈感がある」とはどう言ふ事か再現を行つてゐた。番組に據れば靈感にも「人の気配がする」から「靈の姿がはつきり見える」までレヴエルがあるらしいが、さうした變なものが聞こへたり見えたりした場合、サイバラさんが言ふやうに「精神科に行かう」とは中々思ひませんわな。さつきも書いた通り、精神科は敷居高いし、それに幻聽や幻視が精神科で診てもらふべき症状だとは知らない人が多いと思ふ。風邪を引いたら内科に行けばいいし、骨が折れたら外科に行けばいいとは分かる。だけど精神科つて、どんな時に、どんな症状の時に診てもらへばいいのか。
でもまア、「靈感がある」と言ふ人つて精神科に行くと何らかの病名を付けられる人が殆どではないのか。とは言へ「靈が見へるやうなんだ」と言つて「幻覺ぢやない? 精神科行つてみたら」と言はれたら先づむつと來るわな。「さうだな、ぢやあ明日にでも行つてくるか」とは余り思はないだらう。
ところで先述のifだと、靈感が最高レヴエルになると日常生活で常に靈が横に居ると言ふ正にうしろの百太郎状態になつて、何となれば風呂やセツクスも靈に見られながら、と言う風になつてしまふさうだが……それつて變な願望の露れなんぢやないのか?
私は別にオカルト、トンデモを信じはしないが否定してるわけでもない。幽靈や宇宙人、ネツシーは居るものなら居て欲しいし、超能力や心靈などの超常現象は在るものなら在つて欲しい。
だけど今在るそれらに關する情報は「ヨタ話」でしかない、だから信じるには足りないな、と思ふのである。「存在しない證據は無い」から存在すると言ふ意味ではないし、もちろん存在しないと言ひ切るつもりは無いけど、存在しない可能性のはうが高いだらうな、とは思ふ。
これは安心ではなく、諦めである。
例へばネツシーなんかが居ればこれはシーラカンス以上の大發見である。その正體が、中生代の首長竜であつてもカンブリア紀の生物であつても、はたまた全く未知の生き物であつたとしてもだ。心躍る話である。とは言へそんなものが發見される可能性はどうやら少なささうだ。世の中に不思議な事など何も無い、と言ふ現實は分かつちやゐるけどつまらない。
だからこそ人はトンデモに惹かれるのだらう。つまらない現實を面白くしてくれるかもしれない不思議に。しかし今有るのはいい大人ならふつと鼻で笑つてしまふやうな子供騙ししかない。そんなものを真面目に信じるのは、本當の子どもか、大人になりきれず現實から逃避したいだけなのだ。そんなもの騙されるはうがバカである。
同じトンデモでも真面目に信じてる人はそれが本とかだと文面から強烈に「とにかく信じろ」と訴えかけてくるので引いてしまふ。TVとかだと作つてるはうも視聽率稼ぎのネタとしか考えてないからとにかくセンセーシヨナルに、だけどいい加減にしか作つてないからアラが目に付く。
手品と言ふのは、「これから皆さんを騙しますよ」と言はれてるのだから客も安心して騙され、楽しむことが出来る。しかしトンデモは、これは手品と詐欺との差でもあるのだけど、「これは本当の事だ」と言つて始まる。でもタネも仕掛けも見え見えでそんなこと言はれてもね。客はまたかとうんざりするか、相手にしないだけだ。ウソをつくならもつと上手いウソをつくべきだ。
騙されるものなら騙されたい。