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素人におすすめの諸刃の刃(12/17)

モー娘。がどうやら「紅白」で「ザ・ピース!」と「Mr.moonlight」両方歌うようなので、今から楽しみな佐藤です。今日は。

てなことで前回、W3C信者の拳の落とし所の是非を考えたわけだが、いきなり結論から言うが、W3C信者が責めるべきは、「フォントいぢり系」のようなValidなHTMLを書かない連中ではなく、正しいHTMLを吐き出さない「ホームページ作成ソフト」を作るメーカであり、さらに言えばW3Cそのものだと思う。

おれがW3Cを初めて知ったのは、野崎さんの「闇黒日記」を見るようになってからなんだが、それまでは「CSS」も「HTML4.01」も知らなかった。当然だ。知らなくたって「ホームページ」は作れるんだもの。正直、エディタでちまちまHTMLやCSS打ち込んで一々ブラウザで確認、ってより、「ワープロ感覚」で作れる作成ソフトの方が楽に決まっている。

てな事を書くとW3C信者からは、「HTMLで構成されている世界に、HTMLのいろはさえ知らずに乗り込んでくるな」とでも言われるかもしれない。確かに、wwwはHTMLによって成り立っている。HTMLを知らずにwwwに入るのは、外国に現地の言葉を一切知らずに行くようなものだ。HTMLを知らないWebマスタにとって、「ホームページ作成ソフト」は言わば翻訳機械だろう。しかし、肝心の翻訳機が「アーノネー、ポクネ、アチイキタイノコトアルヨ」みたいな翻訳しかしてくれないんだもの。W3Cが、よりよいHTMLを提唱するため、日々研究を続けているのは分かる。でもW3Cは1つ重要な仕事を忘れている。「宣伝」、「啓蒙」だ。

一般ユーザとは言わず、Webマスタであっても、YAHOO!は知っててもW3Cなんて知らない連中のほうがはるかに多い。Webサイトを作っていて、ValidHTMLを用いている割合は、過半数に満たないだろう。精々数割というところか。  機械にはマニュアルがついているし、アプリケーションには「ヘルプ」機能がある。さてWebマスタが、ホームページ製作に行き詰まった時、開くあんちょこはなにか。W3Cの仕様書、ではない。とほほのWWW入門をはじめとするYAHOO!の「コンピュータとインターネット > 情報、資料 > データ形式 > HTML > ガイド、チュートリアル 」に登録されているような「ホームページ作成支援サイト」なんである。当たり前でしょ? YAHOO!は知っててもW3Cなんて知らないんだから。WebページはHTMLによって作られる、しかしHTMLを開発している団体の存在が、HTMLを用いる人々に余り知られていない。これじゃ非ValidなHTMLがwwwに流布しても文句は言えねえわな。何しろアメリカ日本の政府のホームページでさえtableレイアウトなんだもの。HTML Validation Serviceに掛けたらどっちもエラーになる始末だもんね。

「正しいHTML」大いに結構。そのための議論も大いに結構。しかしそれは議論のための議論になってやしねえか? オナニーしてたって子供は生まれねーぞ。

小1時間問い詰めない(12/15)

「紅白」で、モー娘。が「ザ・ピース!」を歌うのか、「Mr.moonlight」なのか、今から気になっている「DIVE」編集者佐藤です。今晩は。

こんなで出しで始まるホームページ、ご覧になったことはおありかと思う。「侍魂」以降、それこそ雨後の筍のように出てきたテキスト系サイトですな。font要素を多用して、フォントを大きくしたり色をつけたりして強調付けているので、「フォントいぢり系」とも称されている。

ところでfont要素はHTML4.01では推奨されていない。いきおい「フォントいぢり系」で用いられているHTML文書はValidではない場合が多い。そのせいか、「フォントいぢり系」は「W3C信者」からは見下されている。

フォントいぢり系パゲって、芸風と装飾行動原理がすげぇパターン化されてるわけで、 Strict HTML と CSS で書いたほうがぜんぜんラクだったりするかも。<p class="warau-point"><em>そんなアフロの俺</em></p> みたいなかんじだ。フォントいぢり系サイトはもれなく共通の CSS が使えて、よりネタ文章の執筆に注力できるってわけ。笑い。(ねこめしにっき「タケノコ族」@2001/12/08 - 15:40

おれは以前から、WWWというのは一見お断り選ばれし者のみが入る事を許される象牙の塔なのか、それとも誰もが出入りできて、パビリオンを立てる事も自由にできるテーマパークなのか、どっちなのか考えているのだが、どうやら前者らしい。

それにしても不思議なのは、W3C信者が非ValidなHTMLを目にしたとき、非難の対象となるのはそれを作ったWebマスターなのである。ソースを見ないんだろうか? meta要素に、"IBM WebSphere Homepage Builder"とか"Adobe Page Mill"とか書いてあるのに気付かないんだろうか。フォントいぢり系は大抵「ホームページ作成ソフト」を使ってホームページを作っているんである。

「ホームページ作成ソフト」と言うのも馬鹿にした言い方だなあ。そもそも、「ホームページ」と言う言葉自体がW3C信者には侮蔑の対象なのだが。とまれ、「ホームページ作成ソフト」の売り文句は、大体は「ワープロ感覚でホームページが作れる」ってな感じである。おれもホームページを作り始めた頃はWin98のおまけのfrontpageexpressで作ってた。確かに「ワープロ感覚」は当たっている。初心者には打って付けだ。楽しいなこりゃ。で段落間に<br>が矢鱈入ってたり、これでもかとfont要素が使われていたりするわけだ。だけどそれって責められる事なんだろうか。

結論は次回に持ち越し。

市場と市場の間(12/13)

最近おれって露天商じゃないのかって言う気がしている。インターネットと言う大通りで品物を広げているわけだ。商売をしているわけじゃなく、ほんとに品物を展示しているだけなんだけどね。

例えば、企業がWebデザイナに依頼して造ったようなサイトと言うのは、店構えを持った店舗や、ビルディングだと言える。一方で、ここのような個人サイトは、マスター自ら店を構え、品物を並べている。「店」と言っても、精々がテントだったり、単に道端に品物並べてるだけ、だったりする。そういう意味で露天商だと思うのだ。ちゃんとショバ代は払っているけどね。

本当の意味での「露天商」と言うなら、つまりショバ代も払わず、道端に勝手に店を開いている、をインターネットでやるんなら、どこかのサーバにハッキングして、サイトを造ってしまうまでやらなきゃ駄目か。そうなると、自前のサーバを構築してドメインまでちゃんと取得して始めて店を構えた、と言えるのか。

ドメインは良く「インターネット上の住所だ」と言われるけど、成程言い得て妙だ。

そう考えると「Geocities」や「tripod」のような無料スペースはさしずめフリマか。

ところでこの文章をお読みの方々、「フリマ」、「フリーマーケット」って「free market」、「自由な市場」だと思ってやせんだろうな。「flea market」、「蚤の市」ですよ。「自由市場」と言う言葉は有るけどそれは「しじょう」であって「いちば」ではありません。尤も英語だとどっちも「market」だけどね。つーこつは「自由市場」は「フリーマーケット」なのか? だけど日本語だと「フリーマーケット」とは発音するけど、「f」の発音は日本語には無いし、「l」と「r」の発音も日本語には無いし、日本語だとどちらもラ行に使われるけど英語だと明確に発音として違うしね。あ、IMEのローマ字入力だと「l」は小文字に使われるか。「マシン」と「ミシン」、「アイアン」と「アイロン」……

あ、お客様か。いらっしゃいまし。

軍艦軍艦ハワイ(再び右から見るとはこう言う事さ)(12/12)

日本海軍が56年ぶりに出撃したわけだが、あまり大したニュースにはならんかったな。ま、小型艦3隻じゃあね。

それでもその日、Nスタはトップに取り上げていた。だけど久米さん、よほど忌々しいのか、戦前と結び付けて考えて、「56年前は日の丸を掲げた軍艦が太平洋を我が物顔にのさばっていました」なんて言ってる。それとテロップに「戦艦3隻」なんて書いてあったけど、あんなちゃちい「戦艦」が在るものか。「軍用艦」と「戦艦」の区別なんかつかないんだね。戦車と戦闘車両。まあいいや。

韓国や中国の反応も伝えている。まあそんなにヒステリックな反応でもなかったのはちょっと意外だったけど、やっぱり日本の軍国化を憂慮なさっておられるわけね。別に、彼の国を攻めに行くわけでもなく、そもそも小船3艘出港しただけで何をそんなに騒いでいるやら。

それにしても何故中韓は日本がちょろっとでも「軍事」に触れるとあれほど騒ぐのか。無論、60年前の事を覚えているからである。「中華」が、二千年蔑みつづけた「東夷」に蹂躙されたのだ。韓国は併合され、中華民国は首都南京を陥落させられた。屈辱感は計り知れないし、恐怖も植え付けられたはずだ。

「再び倭が兵力を持てば、またも朝鮮、中原に攻めてくるのではないか?」 丁度秦漢が、匈奴に対し万里の長城を築いたように、中韓も倭に対して長城を築いている。「戦争責任」や「歴史認識」がそれである。「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」をちらつかせれば、倭は絶対に攻めてこないし、臣下の礼を弁えて朝貢を捧げに来るではないか。

長城を作ったところで、その後蒙古や満州に攻め込まれ支配されたのをもう中華はお忘れらしい。いつまでも同じ手が通じると思ってなさる。それでこそ正に「中華」なのだけど。

だけど中韓が日本の軍事化をこれほどまでに怖れているのは実は日本にとって大変良い事である。例え軍備を持とうが色気見せようがどうとも言われないとすれば、それは完全に舐められている、攻めてこようが簡単に蹴散らせると侮られているのだ。

よく中韓は「反日」「嫌日」だと言われているけど、実は「恐日」、日本を恐れている。56年間、恐れつづけてきたのだ。それ程の戦果を残したのだから、大東亜戦争は支那大陸においては日本の大勝利と言っていい。日本人は父祖に感謝しなければならない。

生き様(11/24)

よしりんの『戦争論2』を読んでいたら、亡くなったおれの父方の爺様の事をふと思い出した。

爺様は海軍に居た。と言っても上等兵に過ぎなかったけど。通信科に居たそうで、幸いにもと言うかなんと言うか、ずっと内地勤務で戦場に出た事は無い。因みに母方の爺様も同じところに居たらしい。母方の爺様の方は何度か大陸に行ったようだが。

戦時中は既に結婚しているはずだけど、妻、つまりおれの婆様だけど、とは離れていたから、何度かは慰安所にも行ってるかもしれないなあ。

「戦後」の中の所為か、爺様は余り兵隊に居た頃の話はしなかった。だけど、兵隊に居た事を誇りに思っているようだった。そう言えばおれが小さい頃、ブロックおもちゃで遊んでいて、アニメかなんかで見たような秘密基地を作っていたら、爺様は「おっヘリポートだな」と嬉しそうに言っていた。「ヘリポートって何?」と聞くと、「戦艦とかで、ヘリが泊まるところだよ」と教えてくれた。だけど爺様、爺様が兵隊に居た頃って、ヘリって無かったよな……? ともあれ、おれが「軍事」とか「兵隊」とかにそんなに嫌悪感が無いのは、爺様のお陰かもしれない。

両親が共働きで、爺様婆様にお守りをしてもらっていたので、小さい頃はおれも爺様に懐いていたのだが、大きくなってしまうと、ちょっと爺様を疎んでいたかもしれない。おれが県外の大学に通う為家を離れてしまうと、たまに帰っても殆ど相手にしていなかった。今にして思えば、後から悔やんでも仕方ないのだが、もっといろんなことを聞いておけば良かった。死に目に会えただけ、良かったのかもしれないが。

ロシア革命の前に爺様は生まれ、ソ連崩壊の後に亡くなった。友人Sにそれを話すと、「激動の生涯だね」と評した。そんな爺様の、おれは孫である。

インターネットガテン系(11/18)

勿論、現在のインターネットがwwwによって動かされているのはおれは知っているし、HTMLが、今のインターネットを作り上げたのだと言う事も分かる。

だけど、何度も言うようだが、ユーザがインターネットに求めているものは、HTMLには既に荷が勝ち過ぎているのではないか、と思うのだ。XHTMLやDHTMLなど、様々な「梃入れ」は図られてはいるものの、「Hyper Text Markup Language」と自ら名乗るように、HTMLは基本的にテキストを表示するための技術である。ビジュアルを扱うようには出来てはいない。逆に言えば苦手なビジュアルを扱うよう要求された所為で、font要素のような論理的マークアップ言語としては相応しくないような機能を盛り込まれてしまい、既にあっぷあっぷしてしまっているのではないか。「ホームページ作成ソフト」はValidなHTMLを吐き出す事が出来ないし、ブロウクンHTMLが巷に溢れている。HTMLは素人には複雑に成り過ぎてしまっているのだ。

こういうことを書くと野崎さん辺りには、「理解しやうともしないで何が『複雑』か」とでも言われそうだけど、理解しなければ扱えないようなツールしかユーザには与えられていないのが現状なのだ。

いや、インターネットが一見さんお断り、HTMLをきちんと理解しているようなユーザしか来ないんならそれでもいいよ。でも既にそうでは無くなっているでしょう。よきにつけ悪しきにつけ家庭用ゲーム機や携帯電話からでも閲覧できるぐらいインターネットは既に一般公開されている。それともインターネットも、リアルスペースがそうであるように、一般ユーザとクリエイタとが分かれてくるのか? つまり、HTMLをきちんと身につけたWebマスターだけがWebページを造り、一般ユーザはそれを利用するだけ、と言う風に。建物の持ち主ではなく、建設業者が建物を建てるように。そうなっていくんだろうか……?

ブロードバンドってそんなに必要か?(11/10)

光ファイバーどころか、フレッツISDNがようやっと整備され始めたような日本最後の秘境に住んでるおれとしては、「えーい、ブロードバンドブロードバンドってうるさーい!」とやっかみ半分に言いたくなってくる。

第一、普通にインターネットやっててそんなに大容量での通信って必要なんだろうか。おれは「うん」だ。とは言え、おれの場合フリーソフトや、「あーんな画像」や「こーんな動画」をしょっちゅうダウンロードしているからなんだが。今んとこおれはタブブラウザやダウンロードクライアントを使ってどうにかしのいでいる。

だけどそれって「アホユーザ」なんだよね。なんでかって言うと機械に自分を合わせちゃっているから。電話する時って、一々電話機の設定設定細々と変えたりはしないでしょう。精々ボタンを押すかダイヤル回すだけだ。ユーザが機械に合わせるのではなく、機械がユーザに合わせるべきなのだ。おれみたいに、機械に自分を合わせているのは、それはパソコンの設定をおれが変えているのだとしても、つまり自分が使いやすいようにおれの方で何とかしているのだからおれが機械に合わせているのに他ならないのだから、アホもいいとこなのである。

インターネットやってて、「遅えな」とユーザがいらいらするのは、つまりは機械が不便であるだけなのだ。不便と言うよりは、「未発達」と言うべきなのかもしれないけど。おれみたいに機械に自分を合わせるのが楽しいアホ、と言うよりマゾユーザか。はそれでいいんだけど、一般ユーザを不快にしちゃいけねえよ。

そう言やよく「ホームページ講座」の類で「ホームページはできるだけ軽くしましょう」と言う。「無駄」をなくすのはもちろん必要だけど、機械に合わせて内容を構成しなきゃいけないってのも本末転倒だよなあ。

今後インターネットは、よりビジュアルが重視されるようになってくるだろう。つまりは今後インターネットはより重く、遅くなると言う事だ。HTMLは大きくても精々100KB単位だが、ビジュアルは簡単にMBいくからね。そうなると、ブロードバンドはやはり必要なんだろうね。

GUIっと行こう!(11/8)

以前、「そんなに『デザイン』が必要ならPDFでWebページつくりゃいいじゃないか」と言う話を紹介して、おれの考えとしてはflashが今後普及するかもな、てな事を書いたんだけど、まあW3CやValidなHTMLを綴っている人たちに喧嘩売るわけじゃないんだけど、HTMLは近いうちに廃れる、と言うか、HTMLによって構成されるWebページの割合は減ってくる、と言う方がいいか。

MacOSやWindowsなどGUIを採用したOSの登場で、パソコンはマニアのおもちゃから生活用品、ビジネスツールへと化けたわけだけど、何故かと言えば取っ付き辛いコマンド入力で、間違うとあっさり「error」とにべも無くあしらわれてしまうCUIより、アイコンをダブルクリックすれば、西原 理恵子さん風に言えば「びょわんでぷちぷち」すれば一先ずは動いたほうが、一般人には近付き易いのは自明の理である。

そもそもHTMLと言うのが、「テキスト」を扱うための技術である。元々は学術論文をインターネットで発表するために作られたのだから。ビジュアルを扱う用事は精々挿絵を突っ込む位だった筈だ。ビジュアルに用いるには些かお門が違うわけである。

WWWと、それに依って扱われるHTMLの登場が、インターネットを爆発的に普及させた要因である事はおれが今更言うまでもないが、GUIでパソコンに入ってきた人々にとっては、テキストと挿絵を扱う事しか(本来はそれで良かったのだが)出来ないHTMLは物足りなく感じる。

インターネットの普及に因って、HTMLにもform要素とか、object要素とか、様々な機能が付加されるようになってきた。本来「記述」を目的とするHTMLの「見栄え」を整えるために、CSSも提唱されている。だけどおれとしてはいっそ、「テキストエディタ」や「ワープロ」にDTPをやれ、と言うより、本来DTPを扱う「DTPソフト」で作業した方が早いんでないの、と思うのだ。つまり、HTMLのような「テキスト」ではなく、PDFやflashのような「ビジュアル」を扱う技術の普及が現在のインターネットの実情に合っているのではないのかなーと言う事だ。インターネットがビデオスターを殺そうとしている昨今だからね。

そうなるにはHTMLを扱うためのWWWではなく、ビジュアルを扱うための技術が開発される必要が有るのだけどね。

※ちょっと話は違うかもしれないけど参考までに

バーベキュー真髄(10/4)

おれは田舎もんである。村中の用水路(「用水路」がある時点で既に……)初夏になれば蛍が飛ぶし、集落を少し離れればカワセミが飛ぶような川も在る。こう書くと都会の人はどんなとこ想像してるんだろ。こんな秘境でもインターネットはできるんだから高度情報化社会ってのはほんとだなあ。ブロードバンドは来る気配すらないけどね。

とまれ。

こんな処に住んでいる所為でか、「自然の有り難味」がいまいちピンと来ない。だからわざわざ「アウトドア」とやらに行く気もしない。

前回、昨今流行っている「アウトドア」に疑問を呈したわけだが、薄々正体は分かっている。

「ガーデンパーティ」なのだね、要するに。

ガーデンパーティをやってみたい。だけど町中じゃあガーデンパーティをやれるような庭を望むべくも無い。ああそうだ、河原とかでやればいい。バンガローの在るようなキャンプ地なら車で泊り掛けで行けるぞ。

キャンプを張り、火を囲んで野趣溢れる料理に舌鼓を打つ。これもアウトドアの楽しみの1つではあろう。だけどその正体がガーデンパーティであるなら話は変ってくる。ガーデンパーティは本来が家でやるものだ。だけど家ではやれないからキャンプ地でやる。であれば、家を持ってくればいい。

かくしてキャンプ地には自販機が設置され、バンガローにはカラオケが取り付けられる。いつも見ている番組の時間になったらカーナビのモニタで見ればいい。携帯通じねえな全く、アンテナ設置してくれよ。

やってる本人は「アウトドア」のつもりなのかもしれないが、一皮剥けば、実は「家」から一歩も外には出ていないのである。

ガーデンパーティをしたいが、家では出来ない、だからキャンプ地でやる、と言うのは別に構わないとは思う。ただしそれはあくまでも「ガーデンパーティ」であって、「アウトドア」ではないのですよと言いたい。何故なら、家から出ていないのだから。野山に入っただけでは「アウトドア」ではないのだ。

表に出ろ(10/3)

ヘラクライストって、覚えてる人居るか?尤も今リバイバルで出てるようだけど。

「アウトドア」が、冬のスキーやスノボ、夏の海水浴と同じくらいに夏の定番となっているようだ。初夏になるとスポーツ用品店やホームセンターなんかで、テントとか、バーベキューの道具だとかが店頭に並ぶ。とても嘆かわしい事だ。

前回、数年前に起こった水難事故、中州でバーベキューしてて、放水の警告を無視して、結局流され水死してしまったパーティを『ダーウィン賞!』の引き合いに出したんだけれど、だけど「アウトドア」の入門書を読めば、川の中州が危険だと言う事は書いてあるはずだ。つまりこのパーティは、アウトドアの基本的な知識さえ持ちあわせていなかったのである。それ以前にサイレンやダム係員の警告で水が出ると言う事は分かっている筈なのにそれでも続けていたのだから「アウトドア」とかの問題じゃないような気もするけど。

おれはアウトドアとは、「最小限の装備と最大限の知恵」だと思っている。自然を歩くのに余計な荷物は邪魔なだけだ。また余計な荷物を持っていって、本当の「自然」を味わえるものか。よく「旅は家の玄関に着くまでが旅だ」と言われるけど、アウトドアは基本的に旅である。ならば、パーティは参加者全員が、1人なら自分自身を、100人のパーティなら100人が全員、我が家の玄関をくぐれるよう計画し、行動しなければ為らない。

翻って今巷にはびこる「アウトドア」とは何か。「最大限の装備と最小限の知恵」である。キャンプにカラオケがなんで要る?歌声が有ればそれでいい。ハーモニカ、ギターは良し。山ん中来てまで携帯電話掛けたいんか。そんなに忙しいんならこんなとこ来とらんで仕事しなさいよ。剰さえ「電波が届かない」とか文句言ったりして。ゲームボーイだぁ!? 遊ぶ道具はその辺に葉っぱでも木の枝でも何でも転がっとるだろうが! せめてトランプにしなさいトランプに。

これで「自然を満喫」とか言ってるんだからなぁ。

おまぬけ進化論(10/2)

ダーウィン賞!』と言う本が在る。それは何かと尋ねたら、其の名の通り進化論のチャールズ・ダーウィンに因んだ賞である。

(前略)そう、ダーウィン賞の受賞者は、子供でも無茶だとわかる破滅的な計画を立てて、しかもばかげているとはみじんも思わずに、堂々と自信を持って実行し、あげくに死んでしまった人たちばかりなのだ。これは見方を変えれば、目をむくようなおろかな行為によって、人間の遺伝子供給源(プール)から自主的に身を引いたことになる。さらに言えば、人類から自分と言う大ばか者を一人減らし、人間と言う種の存続に貢献した立役者とみなしてもいい。そのひたむきなまでの姿勢や究極の自己犠牲の精神、そして画期的な自滅法をたたえて、こうした人間にダーウィン賞をあたえることにしたのである。

ま、平たく言えば、「間抜けな事故死」のエピソード集である。おれは結構こう言うエピソード集が好きなので、近所の図書館から借りて読んだのだ。で結構面白かった。

例えば、女房を窓から突き落としたけど電線に引っ掛かって助かったのを見て、罪の意識に駆られたのか止めを刺そうと思ったのか、自分も飛び降りて本人は転落死してしまった男とか、普通はプロジェクトチームを組んで行うような自動車の速度世界記録に個人で(!)挑もうと思って、ロケットエンジンのスターターを括り付けた自動車で山道を突っ走り、法面に自動車毎突き刺さって死んだ男とか、掃除機の吸い込み口にアレを突っ込んでナニしようとして、アレがファンに切り刻まれた男とか、そー言ったエピソードが満載なのである。

これを読んでて思い出したのだが、数年前に有った水難事故で、増水した川の中州でキャンプをし(「アウトドア」の本には「中州でテントを張っちゃ駄目!」と大抵書いてあるのに)、上流のダムの放水のサイレンや職員の度々の警告にも関わらずキャンプを続け、増水して中州に取り残され、流される姿が全国に放送されてしまったパーティ、彼らもダーウィン賞の資格があると思う。

この本はちょっと「ブラックユーモア」にしては過ぎる部分は在る。受賞者の関係者にしてみれば、えらい間抜けな死に方をした挙句こうして笑いの対象にされてしまっているのだから。だけど間違いなく、笑えるのである。と言うか、「笑うしかない」だろう、「死人のカンカン踊り」に。

ふと思ったんだけどこの作者、本気で受賞者を「淘汰された」と思ってるのかな。

「ダーウィン賞」Website「The Darwin Awards」注意:英語です。

トンデモ笑わば穴二つ(10/1)

さて1999年7月もすでに2年が過ぎてしまいました。なんか1999年と、7ヶ月、だから2000年7月だ、と言う意見も在ったようですが、だとしても1年過ぎちゃいましたね。これで「予言」と言うものが如何にトンデモでしかないか、証明された筈ですが、マスコミにはいまだにUFOや霊が跳梁跋扈しているわけでございます。「予言」だとて、「ノストラダムス」のほとぼりが冷めればまた新しいのが出てくるのは間違いありません。でまた信じちゃうのが居るわけですよ。

斯様に「世にトンデモの種は尽きまじ」なのですが、「と学会」が『トンデモ本の世界』シリーズを出して、それを読んだ時には「おお成程」と目から鱗が落ちたのでございます。しかし……『と学会白書』が出版され、本屋で立ち読みしたおれは「?」と思ったのでございます。

「と学会」が提唱する「トンデモ」のコンセプトは「著者が意図したものとは異なる視点から読んで楽しめるもの」でございますから、本には限定されない、と言うのは分かります。映画、ビデオ、その他の商品など。所謂「トンデモグッズ」でございますが、それでもやはりおれは思ってしまったんでございます。「なんかと学会会員の自己満足じゃねーか?」

なんて言うのかな、UFOだとか、心霊だとかは本屋行けば本もたくさん有るし、TVでもよく特集組んでるから、一般人にも馴染みは深いし、ここが間違い、と言われれば「成程」と納得できる。だけど、ビデオ映画、それもえらいマニアックなのや、誰も見ないような雑誌の広告で売られてるヒーリンググッズだとか、そんなん持って来られても分かりゃしねーっちゅーねん。『逆襲』まではいいんだけど、それ以降のシリーズは「トンデモ」を無理やり笑おうとしているようにしか思えない。

「と学会」会長である山本 弘氏が一人で書いたのだが、とは言え一応「トンデモ」の名は冠してはあるので取り上げるけど、『トンデモノストラダムス本の世界』や『トンデモ大予言の後始末』(どちらも洋泉社刊)はもう「トンデモは笑わなければならない!」と言う感じさえする。笑えないもの無理して笑わなくったっていいでしょーに。『R』での『戦争論』批判もそうだけど、その姿勢の方が余程トンデモじみてる、と思ってしまうのはおれだけだろうか。

知恵と力と科学の子(9/30)

サブカルの読者は飽きるのが早い。特に同じようなものを食わされるとより早い。「と学会」も「空想科学」も巻を重ねても同じようなことしか書いていない。それにおれは飽きてしまった。恐らくは他の読者も同様だろう。おれが「トンデモ超常現象」シリーズは買ったのはまさにそれで、それまで「と学会」シリーズが「トンデモ本は笑える」としか言ってなかったのに対して、こっちは「トンデモ本に書いてあることは如何に間違いか」に絞って書いてある。だから買う気になったんである。

「空想科学」の柳田氏も飽きられてきたことが分かったのか、原作と言う形でマンガも書いている。『空想科学大戦』(1〜3巻メディアファクトリー・4巻ソニー・マガジンズ)がそれで、4巻まで出ている。他にもマンガ雑誌でも原作をやっているようだ。しかし……いやね、『空想科学大戦』が「空想科学」シリーズの中の1冊としての「ネタマンガ」だと言うのは分かりますよ。だけど……巨大ヒーローが変身するのに一々大量の栄養の摂取が必要で、変身した後には大量の垢が残る、なんてマンガ、読みたいと思うか? 要するにマンガ形式でストーリー仕立てにしただけで、言ってることはこれまでと変わってないやん。この際だから言ってしまえば、それまで「空想科学」シリーズで書いてきたことの焼き直しでしかないやんけ! 見た目は確かに大幅に違うけど、結局中身は同じじゃなあ。

この前「空想科学」シリーズの新刊『空想科学<漫画>読本』(メディアファクトリー)を立ち読みした。まあ、笑えたけどさ。けど『北斗の拳』や『ベルセルク』はいいとしても、『マカロニほうれん荘』を「科学的に」アプローチするのはちょっと間違ってやしねえかい。実際柳田氏もこれに挑戦するには科学じゃ駄目だってなこと言ってたし。

なんでもかんでも「科学」で考えようとする態度って、却って非科学的なんではないのかなー。

言わぬが仏のエスカルゴ(9/29)

「UFO」だとか「超能力」だとかは、一部のビリーバーを除いて半信半疑で世間は見てきた。「うそ臭いけど、ひょっとしたらほんとかな?」ぐらいのスタンスで。そこに「と学会は」きっぱり「それはうそだ」と言い切ったのである。「空想科学」も、ヒーローが巨大化したり変身したりするのを別にどうと言うことも無く見られていた。柳田氏はそこへ「科学的に見るとおかしい」と言ってしまったのである。

つまり「いい大人」ならば口に出すのはちょっと憚られるような、「言わぬが華」なことを思いっきり言ってしまった、これが受けたわけである。メインカルチャー、ちゃんとした科学の立場から、それらを批判した本が無いわけではなかったが、小難しい理屈を捏ねられるより、同じサブカルチャーの立場で言ったからこそ受け入れられたのである。出版がメディアファクトリーとか宝島社とかめちゃくちゃサブカル系だしなあ。

しかしサブカルチャーは移り変わり、世代交替が激しい。一度受けたからと言ってその寿命を保ちつづけることは非常に難しい。うまいこと手を変え品を変え進化していかなければ生き残っていけない。では「と学会」シリーズや「空想科学」シリーズはどうか?

敢えて言うけど、おれは「と学会」シリーズも「空想科学」シリーズも第2弾までは買った。しかしそれ以降は買ってない。「と学会」は『トンデモ超常現象99の真相』とその続編『56の真相』は買ったけどね。何故買わなくなったのか。早い話、飽きたんである。確かに、どっちも面白い。笑えるし、興味深いし。だけど、言ってることがシリーズ内で結局同じなのである。

例えば「空想科学」シリーズだと、「ウルトラマンの変身の秘密」「仮面ライダーの変身の秘密」「戦隊物の変身の秘密」ネタは違えど、結局は「科学的に矛盾している」と言う結論なのである。これが「と学会」シリーズなら、「ノストラダムス」「UFO」「超能力」「心霊」ネタが違っても結局「このトンデモ本は笑える」で終わってしまう。まさに「同工異曲」になってしまうのだ。即ち、「と学会」も「空想科学」も同工異曲に陥ってしまっている。平たく言えば「マンネリ」になってしまっているのだ。

さらに続く。

それを言っちゃあおしめえヨ(9/29)

闇黒日記』で野嵜健秀さんが「HTML鳩丸倶楽部」を批判した文章の中でいい事をおっしゃっておられる。

山本弘の言葉を借りれば、想像力が「日本」という枠を超えることが出来ないからなのでしょう。

「日本と云ふ枠」の中の事も想像出來ずに、「日本と云ふ枠を超えた世界」を想像する事等、不可能ではないですか。

そうなのだ。よしりんが『戦争論』で言いたかったのは正に之で、「日本」と言う「地」に足を着けてものを言う事ができなくなった日本人を批判しているのであって、それを批判するのなら、なぜ「日本人」ではなく「国際人」であらねばならないのか、説明する必要がある。つまり山本氏の批評は反論になっていないのだ。言い換えれば山本氏は、よしりんが「戦後民主主義」を批判しているのに「戦後民主主義」に基づいて反論し、しかもそれを疑っていない。そんなんで「歴史認識の誤り」を論ったって仕方ないだろうに。『戦争論』批判は山本氏には荷が勝ちすぎたのか?

ともあれ。

『トンデモ本の世界』にはじまる「と学会」シリーズも一頃のブームは去って、本屋でもすっかり見かけなくなってしまった。宝島文庫から出ている『世界』や『逆襲』の文庫版を見るくらいである。しかし、何かと話題にはなって、それなりに売れてはいた。そもそも「トンデモ本」と言う呼称を世間に定着させたわけだし。

「と学会」シリーズと同様に、一時ブームだったのが柳田 理科男(この名前本名なんだそうだ)氏に因って書かれた『空想科学読本』に始まる「空想科学」シリーズである。こっちは今でも本屋でちょくちょく新刊を見かける。

さて「と学会」と「空想科学」には共通したセールスポイントがある。それは「それを言っちゃあお終いよ」と言うキーワードである。

次回に続く。

トンデモ会長の世界(9/28)

『トンデモ本の世界』に拠れば、「トンデモ本」の定義とは「著者が意図したものとは異なる視点から読んで楽しめるもの」だと言う。

では、「と学会」シリーズの新刊『トンデモ本の世界R』に冒頭で取り上げられた我らがよしりんの『戦争論』は「トンデモ本」なんだろうか? これで「大東亜戦争は何が何でも日本が正しい! 鬼畜米英やチャンコロを懲らす為の聖戦だ!」と主張しているのならば間違いなくトンデモだ。『戦争論』にそんなことは書いてあるだろうか。確かに、大東亜戦争を肯定はしている。しかしよしりんは「大東亜戦争肯定論をあえて書いた」と言っている。大東亜戦争は日本が100%諸悪の根源であるとされ、「従軍慰安婦」だとか「南京大虐殺」だとかのでっち上げまでされて貶められているのが現状だ。いや違う、大東亜戦争は時代の趨勢であり、戦うべくして日本は戦ったのであって非が在るわけではない。「ある意味で」大東亜戦争は日本にとって「正しかった」のだと言っているに過ぎない。

山本氏は結局『戦争論』は歴史認識がトンデモだ、と言うのだが、『戦争論』での「歴史認識の誤り」と言うのは「NSDAPに因るユダヤ人の虐殺は無かった」とか「南京では日本軍が30万人の大虐殺を行った」とか言うようなそれこそお話にならないような間違いではなく、論争の範疇で「間違いだ」「いや正しい」と言うような意見の相違での「間違い」でしかなく、果たしてこれを「トンデモ」と言っていいのだろうか?

トンデモとは言いがたい本を新刊の冒頭に持ってきて、「これはトンデモ本だ!」と主張する山本氏には、何か意図が有るのだろうかと邪推したくなってくる。

いや、山本氏が『戦争論』には何が何でも納得いかない、と言うのならば仕方ないことだし、物書きを生業としているのだから何故納得いかないか文章にして世に出すのも批判される余地は無い。だけど、トンデモでもないのに「トンデモ本」として「と学会」名義の本で紹介するのは、果たして如何なものか。確かに山本氏は「と学会」会長だけど、「と学会」及びその名を冠した著作物は山本氏の私物では有るまい。実際、「と学会」内でも『戦争論』を載せるかどうか意見が有ったらしいし。

まあ、『戦争論』がトンデモ本ではないことが分かったんで、おれとしてはよしとするか。山本氏が如何に『戦争論』、及び『ゴー宣』が嫌いかさらけ出してて面白かったし。ん? 山本氏は『戦争論』はトンデモ本だと言いたかったわけだよな。だけど、『戦争論』そのものより山本氏の言説のほうが余程笑えるものになってしまっているわけで、それって……

トンデモ本のつくる会(9/27)

「と学会」の新刊『トンデモ本の世界R』によしりんの『戦争論』が取り上げられている、と聞いたおれは本屋に向かった。おれの信じていたものはトンデモでしかないのか!? おれは恐る恐る、ページを開いたのだが……

章は山本氏が書いているのだが、山本氏は戦争論の出だしで、よしりんがタクシーに乗って、運転手が「戦争になったら戦闘機で逃げる」と言ったのを聞いてよしりんがずっこけ、「これが今の平均的な日本の若者なのだ」と描いているのを「統計取って言ってるのか」と言う。ここを読んでおれは安心した。あ、この程度か、と。

他にも、ここが間違っている、これは誤り、と指摘しているのだが、例えば「南京事件」に就いて、よしりんは「虐殺と呼べるようなものは無かった」と言うのに対して山本氏は南京攻城戦に参加した軍人の日記などに虐殺の記述がある! と主張する。その日記は果たして検証に耐え得るものなのか、ひょっとしたら洗脳されて書いたのかもしれない。これはおれの考えだが、おれは「虐殺が全くなかった」、とは思わない。市街戦で民間人への暴行はまま有るからだ。ただ、民間人の死体が在ったとしても、それは民間人を装った便衣兵かもしれない。大体、山本氏の言う日記などの資料から、どれぐらいの「虐殺」が計上されるのだろうか。単に「虐殺した」としか書いてなかったりして。資料が有るぞと言われても、資料性のない資料は資料にはなりまへん。

他にも山本氏の記述に対し、言いたい事は有るのだが、よしりんや藤岡 信勝氏や西尾 幹二氏や「つくる会」や「自由主義史観」らが言ってきたような事の繰り返しになるので止めとく。

『戦争論』の「歴史認識の誤り」が「ピラミッドは失われた巨石文明の名残」だとか「ユダヤは陰から世界を支配している」だとか「ナチスはUFOを作って火星まで行っていた」とか言うレベルの誤りだったら「トンデモ本」と言えるだろうけど、結局「論争」の中での「差異」に過ぎないのだ。

まだまだ続く。

トンデモ本の戦争論(9/22)

ここんとこずっと「対米前面テロ」のコラムを書いていたが、そろそろマターリコラムに戻る事にする。

「アニオタは反戦平和サヨが多い」と以前どこかで読んだ。

それが本当だとしたら何でだ?

『ヤマト』『ガンダム』『銀英伝』『マクロス』『ダグラム』『ボトムズ』……『ダグラム』は「内戦」、『ボトムズ』は「戦後」だけど、基本的に「戦争」をテーマにしていると言ってよかろう。オタクが見るような作品には結構「戦争」ものが多く、深遠なテーマを内包した作品もある。なのにサヨクの方が多いわけ? 作品としてみる分には一向構わないけど、実際に戦争になったら安穏とオタクなんてやってられなくなる、そんなのいやだ! ってわけじゃないだろうけど。

さて、オタクに人気のある作家に山本 弘氏が居る。この人はオタク向けSFエンターテイメント、所謂「スニーカー系」って奴ですか? を書いてるんだけど、どっちかと言えば本業より副業の方が知られているかもしれない。『トンデモ本の世界』に始まる「と学会」シリーズである。

知らない方の為に簡単に説明しておくと、「と学会」は世間の中の「トンデモ」なもの、それらを蒐集して楽しむ会である。メンバーは会長山本 弘氏、「トンデモ本」の提唱者でもある副会長藤倉 珊氏、その他唐沢 俊一氏、眠田 直氏、岡田 斗司夫氏など、現在20名程度が在籍しているようだ。「と学会」シリーズは彼らの手によって製作されている。

「と学会」からは最近は本ではなくトンデモグッズものや、トンデモの真相ものが続いていたのだが、最近本家トンデモ本ものが出た。『トンデモ本の世界R』がそれである。正直言っておれは『逆襲』辺りまでは読んでいたのだが、以降は飽きてしまって読んでない。『トンデモ超常現象99の真相』と続編の『56の真相』は読んだけどね。

ところが今回、なんと我らがよしりんの『戦争論』を取り上げていると言うではないか! 山本氏が『ゴー宣』を快く思っていない、と言うのは以前から知っていたが、『トンデモ本』に取り上げるか! これは読まねば為るまい。とは言ったものの一頃のトンデモ本ブームも既に終っていて、トンデモ本コーナーもとっくに無くなっていて、近所の書店では中々見つからない。散々探してやっと見つけた。で、読んだ。

なんと『戦争論』は1番目に取り上げられている。さーて、どんなところがトンデモだというのだろう。おれが信じていたものはUFOだとかフリーメーソンだとかのようにトンデモでしかなかったのか!? ……一読。ほっとした。

何故おれがほっとしたのか。長くなるので次回に続く。

おめでたい日本の私(9/21)

テロが行われた直後、パレスチナが歓喜に沸く様子が報道された。あれを見ると「なんて酷い連中だ!」と思ってしまうけど、彼らは欧米、特にアメリカやイギリスに振り回され、今はユダヤ人に迫害されている。イスラムにしてみれば異教徒であり、しかも自分たちを苦しめる連中が痛い目を見たとなればこれは喜ばしい事だろう。

だけど同じイスラムでも、PLOのように非イスラムとも折り合い着けてやって行こうとするのも居れば、タリバンのようにイスラムこそが絶対にして唯一なのだと考えるイスラム原理主義も居る。呉 智英氏に拠れば民主主義はキリスト教を基盤として生まれたのだけど、その理念は皮肉な事に全く相入れないイスラム原理主義をも認めなければならない。

新聞を読んでたら、「テロもいやだけど報復もいや」デモや集会が各地で行われた、と言う記事が。……うーむ。きっと「愛は地球を救う」と真面目に思ってるんだろうねこの人たちは。テロがイスラム原理主義にとって「ジハード」と呼ばれるドグマに基づいて行われると言うこと、そもそも「ドグマ」と言う概念自体理解できないだろう。市民を数千人虐殺されても報復しちゃダメ! ならば核兵器でWTCどころかNYそのものが壊滅したって文句は言えないんだろうか。最早核兵器テロだって不可能ではないご時世だぞ。おれもこのコラムでこの件に就いて書いてて「おめでたい日本人だなあおれって」と思ってしまう事がしばしばだが、おれ以上におめでたい日本人は多いらしい。

アフガンは犠牲者なんだって。先進国によって苦しめられてきたんだって。テロを支援しているのは「アフガン国民ではない」んだって。数千人の犠牲者よりもテロ支援国にこそ同情するらしい。おれもまあ「彼ら(イスラム)は欧米、特にアメリカやイギリスに振り回され」なんて書いたけど、それを言うなら日本だってアメリカに振り回され続けている。だからってアメリカに対してテロを仕掛けるだろうか? イスラム原理主義を「犠牲者」と考えるのは一見彼らを認めているようだけど、実は思考停止しているだけなのである。「犠牲者」と「圧政者」の物語に、イスラムやアメリカを当てはめているに過ぎない。

「平和が大事」と言うドグマに囚われている点では、テロを仕掛けるイスラム原理主義と変らないんだけど、気付いてはいないだろうなあ。

人間城の主さんが、日記こんな文章を紹介されておられた。中々興味深い記事なので、宜しければお読みいただきたい。

ニッポンチャチャチャ(9/19)

このテロ事件に対する、アメリカの報復が決定して以来、おれの母親は報復へと向かうアメリカの動きを「怖い怖い」と怯えている。「世間」は知ってても「世界」は知らない田舎のおばちゃん丸出しなのだが、何と言うか、イデオロギーに拠らない、こう言った素朴な平和への希求こそが世界をいい方向へと導くような気がする。これがイデオロギーに捕まっちゃうとやばいんだが。

さておき。

アメリカは暴力に依って今回の事件を解決しようとしている。無論それは最早「平和的解決」ができないからこその選択だ。21世紀になったからといって人間いきなり暴力を放棄できるはずが無い。であるからには暴力を持ち出さざるを得ない局面、も未だに存在する。テロに因って1000人単位の死者が出た。首謀者はどうやら国家に依って匿われているらしい。これで交渉だけでその国が犯人引き渡してくれるなら別に武力を行使する必要は無い。「引き渡す」とは言い出しているけど、条件つけたり、引き渡すかどうか決定する会議が「道が悪くて参加者が送れた」とか言うような子供の言い訳みたいな理由で延びたり、ほんとに引き渡す気あるのか無いのか。結局引き渡す気は無いんじゃないのか。そしたら武力を持ち出してでも、相手の国に攻め込んででも犯人引きずり出さなきゃならないじゃないか! 1000人単位の非戦闘員の虐殺の首謀者だよ!?

警察だって犯人が全員説得しただけで自首してくれれば、銃なんて持つ必要は無いだろうなあ。そんなに「平和的に解決」したいんだったら、自分で乗り込んでいって説得してくりゃいいじゃないか。無論、「平和的に解決」するんだから拳銃の1丁も持って行っちゃだめだよ。

そもそも、首謀者が自分でのこのこ「国際法廷」の場に出てきたらそっちの方がよっぽど怖い。またテロ仕掛けに来そうじゃないか。首謀者自ら悪魔の手先を道連れにジハード……本人にとっても、仲間にとっても、シンパにとってもこれはおいしい。テロリストの首魁なんて幾らでも代わりは居るしね。アメリカが首謀者引渡しの条件に難色を示しているようだが、この辺も有ったりして。

前にも書いたように、今のアメリカの動きを制肘するような言動は、今回のテロを容認した、と取られても仕方ないと言う事に、どれぐらいの人が気付いているのやら。第一、戦争をするのは日本人ではない。と言うか、日本人は戦争に参加すらできない。後方支援さえ「是か非か?」なんて言ってるのだからなあ。少なくとも茶々を入れる権利は無いぞ、今の日本には。

ナンセンスな日本の私(9/18)

前回「ジハードを戦え」なんて書いちゃったけど、彼らにしてみればテロ行為もジハードなのであり、貿易センタービルに突っ込んだ実行犯は正に神の戦士なのである。ジハードを戦うと言う事は、信仰を妨げる者を叩き伏せる事であり、彼らにとってはテロも手段の1つなのだ。つまりおれは「テロをやってもいい」と書いてしまったのである。いかんいかん、テロはいかん。

とおれが言って彼らがやめるなら、そもそも今回の事件が起こっとらん。やめる筈が無い。ジハードは彼らのドグマなのだから。

さて事件から1週間が経ったわけだが、21世紀最初の戦争はカウントダウンに入った。で今回のテロ、それに対するアメリカの報復についても、1週間の間やっぱりいろいろ言われてるわけでして。

「アメリカ国内の犯罪じゃないの?」「暴力による解決は新たな暴力を生むだけ」「今回の犯人を捕らえても第2第3のテロリストが現れる」「国際法廷の場で裁判を」「アメリカの自業自得」

んー……ナンセンス。

今回のテロは1グループではちょっと出来ない。複数のグループの連携、国家に準ずるレベルのバックアップがあったと見たほうが自然だろう。となればその国家に対して目に物見せる必要がアメリカにはあるわけで。当然実行犯は捕らえなきゃならないが、トカゲの尻尾を拾い集めるよりはこの際トカゲの本体を一網打尽にしなければ、それこそ第2第3のテロが起こる可能性が大きいのである。

アメリカの自業自得、と言う側面は確かにあるけど、果たしてアメリカの所為だけなんだろうか? 「信仰」の名の下に一切の譲歩をしない方も責任はあるんじゃないの? 大東亜戦争が100%日本が悪いんでもないように、責任はお互いに五分五分、と言うところではないの。

長くなったので次回に続ける事にします。

てな事を書いた後、ニュースを見ると「首謀者引渡しも有り得る」「中立のイスラム国でなら国際法廷も」

あらー(しゃれじゃないよ)戦争回避? いや、それに越したことは無いんだが。

サムライとムジャヒディン(9/16)

おれはどーにも日本人なんだな−、と思うのは、今回のテロが、「卑怯」としか思えないのである。セスナかなんかで爆弾積んで、基地かなんかに突っ込む、と言うのなら話も分かりますよ。民間人を、非戦闘員を大勢巻き添えにして、それで「聖戦」の名に恥じぬ振る舞いなのか、と考えてしまうのだ。とは言え向こうにしてみれば、異教徒、悪魔の手先を大勢道連れにして、神の御許に行けるのだからいいのか。こうして見ると初っ端から正に「立場」が違うわけで、どちらかが自分の信念と言うか、立場を捨てなければ「歩み寄る」なんて出来よう筈も無い。

だが「立場」が違う、からと言ってテロが容認されるわけでは勿論無い。テロル自体がそもそも卑怯で非道なのである。だからこそ絶対に許すわけにはいかない。確かに手段としては「有り」ではあるが、認められる手段ではない。今回の犯人と目される連中は、アメリカの報復に対して「やれるものならやってみな」と挑発しているのだが、正面切って戦争する度胸は無かったようだ。だからこそテロに訴えるしかなかった。ブレア英首相が今回のテロに対して「卑怯で臆病」との声明を出しているが、そう謗られてもしかたない。

米議会では両院が戦争を承認し予備役も招集された。分かり切っていたことだがアメリカはついに戦争に踏み切る。おれはアメリカと言う国の在り様には好きになれない部分はあるが、今回のアメリカの姿勢は支持する。アメリカはテロを仕掛けられたが、アメリカがテロを仕掛けたのではないからだ。

未だに日本では「平和的解決」の声も在る。冗談ではない。最早「平和的解決」は出来ないのだ。戦争するしかないのだ。平和的解決、犯人を逮捕して国際法廷(「国際」とか「世界」とかが好きだねえ、ほんとに)断罪して終わり、では今回のテロを認めたことになる。1000人単位の民間人を巻き込むテロをだよ。安っぽい陰謀小説じゃないけど、アタッシュケース型核爆弾を持ち込んで剰さえ使用されても仕方ないことになってしまう。「テロを許さない」のであれば、アメリカの報復は認めざるを得ない。相手がそれだけのことをやっているのだから。

これはおれの勝手な願望に過ぎないが、ムジャヒディン、神の戦士を自認するならば、テロに堕すことなく、正々堂々と「悪魔の軍勢」と戦って欲しい。世界の大半を敵に回したジハードをムジャヒディンとして戦うのか、それとも卑怯なテロリストとして処断されるのか。聖戦は始まろうとしている。

……つくづく日本人でしかないな、おれって。

しかし21世紀最初の年に、いきなり本格的な戦争か。人間ってのは業が深いねえ……

笑うしかない悪夢(9/15)

ははは、全く笑い話だ。爆弾積んだセスナがビルに突っ込むってんなら話は分かる。だけど旅客機だぜ? 人乗ってんだぜ。それがビルにすぽっと入っちゃってドカーン。ビルガラガラガラー。あっはっは。何ですか、ハイジャックですか。テロですか。アーヒャヒャヒャヒャ(゜∀゜)。野嵜さんの「笑ひ話」より笑えるぜ。

さもなきゃ悪夢だな。こんなの……

全く、何度見ても悪夢としか思えない映像である。見てるだけのおれでさえ悪夢だとしか思えないのに、突っ込んだ旅客機の乗客はいかばかりか。HAHAHA、こりゃひどい夢だ。なーに目が覚めちまえばどうって事は無いさ。起きたらワイフに言わなきゃな。ひどい夢見たよハニー、おれの乗った飛行機がハイジャックされて、貿易センターに突っ込むんだぜ。笑っちまうよな。勿論この悪夢は永遠に覚めない。

しかし「平和ボケ」とはよく言ったもので、この期に及んでもまだ「話し合いで解決を」なんて言ってる連中が結構居るのだ。勝谷 誠彦さんが日記に書いておられるのだけど、「北の将軍様」がこの件に1枚噛んでいるのじゃないかと。ならば羽田発のJALANAがTOKYOに突っ込んでいてもおかしくは無かったのだ。

それでも「話し合いで」と言うのならそこまで信念を貫くのは逆に天晴れだ。ホワイトハウスまで行って「人間の鎖」でもやっていただきたい。きっと全世界が白い目で見てくれるだろう。

ってほんとにやるなよ。もし実際にやられたらその方がよっぽど悪夢だ。これ以上日本人である事を恥ずかしくさせないでくれ。

でなきゃ、アフガンに行ってタリバンと是非「平和のために話し合い」して頂きたい。ピースボートなんてまさにそのための組織なんじゃないの?

かつてオーソン・ウェルズが『宇宙戦争』のラジオドラマで全米をパニックに陥れた。しかしこのニュースはウェルズが読んでいるわけではない。紛れも無い事実だ。「これはドラマです」とは誰も言ってくれないのだ。「悪夢」にいつまでも逃げ込んでいないで、どうしようもない現実に目を覚ますしかないのである。

戦争を知らない子供たち(9/14)

前回、えらいおたおたした事を書いたので、何だ、普段マッチョな事を言ってるくせにいざとなると怯えやがって、所詮コヴァのヘタレが、と思われるかもしれない。

ふと思い出したのだが、『新ゴーマニズム宣言』で、ロンドンを旅行していたよしりんが、ガイドに「今わが国は戦争をしていますから」と言われ、車窓からは道を挟んで反対、賛成のデモが行われているのを目撃する。この時、コソボにおいて国連軍による空爆が行われており、イギリス空軍も爆撃に参加していた。しかしロンドンはよしりんとそのスタッフが旅行できるくらいに安全で、平和なのである。よしりんも「なんて安全で好景気で平和な戦時下か!」と感慨を洩らしている。そう言えば大東亜戦争でも日本が「欲しがりません勝つまでは」と言ってる時に、アメリカではディズニーの映画に涙を流していたのである。つっても日本でも食うや食わずで戦争していたわけでもないけど。

『少年H』で、開戦を知り、主人公Hが下痢になってしまった、と言う下りがある。これは現在の我々には分からないでもないが、少年H、つまりは妹尾 河童と同年代の人たちは「そんな馬鹿な」と言う。当時の少年たちは、開戦に胸躍らせていたはずだと。

今の日本では戦争が余りにも遠くなってしまった。「戦争を知らない子供たち」と言う歌が流行ったのが20年以上は前なのだから、さしずめおれは「戦争を知らない子供たち」の子供たちなんである。実際親父もお袋も戦後生まれだし。でも考えてみりゃあ、朝鮮戦争やベトナム戦争を体験している筈なんだけどなあ?

おれが物心着いた頃にはすでにベトナムも収束している。第4次中東戦争、所謂湾岸戦争はあったわけだけど、それは遠いアラブの地での話であった。バグダットへの爆撃が始まった事を知っても、それこそあのTVゲームのような映像で実感が沸こう筈も無い。

おれ達こそまさに「戦争を知らない子供たち」なのだ。

そんなおれ達に見せ付けられたのが今回の事件である。ニューヨークが空襲されたのだ。次は東京かもしれないではないか。えらく身近に戦争が飛びこんできたのである。どうしたいいものか、分からなくなってしまったんである。

今回のテロに、おれとてマッチョに言いたいことは有るけど、取り敢えずは、「戦争を知らない子供たち」、即ち「今戦争をしている」とさらっとは言えない、今の日本人の姿を一先ずは書き留めたのである。

丸1日(9/13)

9月11日

マターリとインターネットをしながら、「ジャングルTV〜タモリの法則〜」を見るでもなく点けておいた。ふと画面を見るとタモリじゃなくて筑紫さんが出ている。

「あれ? もう11時?」だが時計を見てもまだ10時半だ。筑紫さんがニューヨークのビルに飛行機衝突なんちゃらと言っている。ああ、セスナでもぶつかったのかな。前にもそんな事あったしな。ニューヨークだったら速報にもなるだろうとか何とか考えつつ見ていると、映像が出た。

えっ、何これ貿易センターが燃えてるよ。旅客機? しかも2機? 事故じゃないぞこれ。うわっ飛行機がビルの中にすぽっと入っちゃってるよ。1機だけなら事故も有り得るけど、2機は事故じゃない。えっペンタゴンも? ハイジャックされてた? テロなのか? ちょっと待て旅客機!? てことは乗客も巻き添え?

何だよそれ……

ビル崩れた!? あらららら2本とも。そーいや逃げ送れた人が窓からハンカチ振ってたな。その人どーなったのよ。考えるまでも無い。

ピッツバーグにも飛行機墜落? まだ11機が所在掴めない? ハイジャックされてる? って事はまだあるのか!? あ4機はハイジャックされて激突、あるいは墜落して、残りは着陸が確認されたか。ああ良かった。

2chを見ると流石に多くの板でスレが立ってる。尤もTVでも見たようなことと、憶測と、ネタばっかり。まあ仕方ない。ニュースにもこれと言った進展も見られなくなり、明日は休日なのだが、朝用事があるので寝る事にする。しかしニュースが気になってついTVを点けてしまう。福田官房長官の記者会見を見て、その後漸く眠りについた。

9月12日

朝起きてみると電話。テロとは全く無関係ながら用事がキャンセルになってしまう。1日空いた。とは言え家族は全員仕事なのでおれ1人部屋にいる。当然ながらNHK教育除いて全て夕べのテロの話題。ブッシュ大統領、各国首脳、そして我らが小泉総理、田中外相の談話。ブッシュ大統領はテロは許さんと報復を宣言。小泉総理もアメリカへの協力を明言した。

尤も他に大して新たな情報も無く、暇を持て余してついつい埒も無い考え事にふけってしまう。

夕べどこだったかのテロ組織が犯行声明を出したけど、その後否定したっけな。ひょっとして思ったより被害が甚大だったんじゃないか。アメリカに一泡吹かせてやってざまあ見ろと思っていたら、ビルが崩れてしまって予想外に被害が広がってしまった。ここまでやろうとは思ってなかったのに。だけど考えてみれば、離陸してすぐにハイジャックしてニューヨークに引き返させた、つまり燃料、可燃物がたくさん飛行機に積まれている状態でぶつかったんだから被害は大きければ大きいほどいい、と犯人が考えていた、その方が自然だ。爆弾が郵便物に紛れ込んでいた、と言う話も在るし、何より旅客機の客を巻き添えにしている。

アメリカからは「パールハーバー」と同一視する発言が多いけど、それは違うだろう。真珠湾は宣戦布告と順序が前後してしまった、と言う不幸はあるけど、れっきとした戦闘行為であり、軍事施設を攻撃したのであって市民を大勢巻き添えにしてやろう、と考えてやったわけではない。カミカゼ特攻と一緒にしてる人も多いだろうけど、特攻はやはり戦闘員対戦闘員の戦闘行為であって、市民を大量虐殺した今回のテロと一緒にしていただきたくはない。

こんな埒も無い事考えたり、TVの前で一喜一憂したりしていれば犠牲者が1人でも助かるのならばそうするけど、残念ながらそんなはずは無い。せめて祈ろうか。HPのトップにメッセージを掲載する。犠牲者が1人でも多く助かりますように。

昼から出掛ける。腕時計の電池が切れたのだが近所で売ってない。車で30分行けば大型電気店があってそこなら有るかと考えていて前から行くことにしていたのだ。これ以上TVを見ていてもろくでもないことしか考えないので出かけることにする。

車を走らせていてもしかし雨降りの所為か気分が滅入る。CD-Rに焼いた宇多田の「FINAL DISTANCE」やモー娘。の「ザ・ピース!」を聴いててもダメだ。坂本 龍一の「ZERO LANDMINE」を聴いたらとうとう涙まで出てきた。これからへの不安なのか、犠牲者に心痛めているのか、曲が良かったのか、よく分からなかった。

電気店に着いた。時計の電池はすぐに見つかったのだが、意味も無く店内をうろつく。元々電気屋は好きなのだが、今日はちょっと鬱気味な事も有り、中々足が出口を向かない。ついつい、TVのニュースを見に行ってしまう。

帰り、ちょっとローソンに寄って摘むものと缶コーヒーを買う。棚を物色しながら、ふとうすね 正俊さんの「EATER」の最終回を思い出す。一応このマンガは「未完」、と言う形になっている。うすねさんには是非続編を描いていただきたいのだが、最終回は主人公側と、敵との、世界を巻き込む最終決戦を予感させる形で終っている。ヒロインのモノローグでラストなのだが、「これが平和だといわれた最後の夏になりました」。これをふっと思い出してしまった。思い出してしまったはいいがえらく心に響いてしまって、帰り道は不安に駆られっぱなしだった。

「戦争」に、なってしまうんだろうか。

既に日も落ち、雨も降っているので視界が悪く、その上混雑を避けて山道を走っているものだからゆっくり走っていると後ろから煽られる。余計不安が募ってしまう。家に帰り着く頃にはもう真っ暗。妹が夕飯の支度をしていて、顔を見たらちょっと安心した。

TVは相も変らぬ。当局は犯人の確定、捜索に乗り出した、崩落したビルにもどうやら生存者は居そうだ、と言った新しい情報も入ってきていた。

妹がビルから人が落ちる時の心理に着いて講釈してくれた。こー言う状況に陥ると、人間は視野狭窄を起こしてしまって地面の1点しか見えなくなる。さらにそこがとても近くに在って、そこに行けば助かる、と思ってしまうんだそうな。お前に言われるまでも無く検討着くよそんな事。妹は「死の瞬間には恐怖を忘れられるんだからねえ」と感想を付け加えた。

怪我をして入院中の親父を見舞ってきた母親も帰って来たので夕飯にする。「所さんの笑ってコラえて!」や「歌の大辞テン!」を見ていると大分「日常」に戻ってきた、と言う感じがする。こー言う時こそバラエティをやって欲しいよな、気分滅入っているんだから。相撲もやってたようだし、何があろうと構成を変えないNHK教育はえらい。総合放送があるからだろうけど。

夕飯もあまり食えぬ。夜中腹減って困ったけど。

飯も終って、報道特番も再び始まった。妹と母親はおしゃべりに夢中だ。母親に聞いてみる。

「こー言うの見てて怖くならないの?」

「怖いよ」

ああ、怖いのはおれだけじゃないんだ。と思ったらまた少し安心した。

翌日は仕事があるので、2chのモナー板顔文字板をマターリと見て、適当に寝た。

9月13日

どうやら仕事がいいリセットになったらしい。大分不安も和らいだ。

筑紫さんのニュースを見てからの、おれの丸1日とちょっとを描いてみることにした。

世の中お利口さんが多くて疲れません?(9/10)

人間城の主さんのおれに対する批判に就いての続き。

右から見るとはかういふことさ」とは確かに書いている。ただし、このコラムは当時(今でもそうだけど)所謂「つくる会」教科書に対し、右寄りだ右寄りだとの1面的な批判が余りにも多く、「つくる会」教科書で右寄りなら、じゃあこれならどーですかと秀吉の朝鮮出兵と支那事変とを肯定的に書き、批判の相対化をしてみたのである。飽くまでこんな見方もできる、と示しただけであり、「おれは右」だと宣言した文章ではないのだ。

「おれは右寄りかな」とも書いてはいる。だけどそれとて、自分では中道に居るつもりなんだけど、今のご時世、人から見たら右寄りに見えるだろうね、と自己分析したに過ぎない。

正仮名遣いもどきを用いるのは恐らく自分が「右翼」であり伝統主義者であることを主張したいからだと思うが、それが間違っているのではお話にならない。自らの血肉となっていない証拠である。これで自分が「知識と教養ある大人」だと思っているのである。情けない。実は大概の「右翼」を自称する若者の知能というのはこれくらいの程度であるから、相手にするに値しないのである。日本の将来を憂えるよ全く。

こうして見ると主さんは勝手に決め付けて勝手に怒ってるだけなんじゃないの?

菜食主義者」に関して言えばはっきり言います。ギャグです。冗談です。後に書いた「被査問者に警告」云々も含めて元ネタがあります。やれやれ、ギャグを交えようと思ったら「これはギャグです」と一々お断りを入れなきゃいけないらしい。これは主さん以外にもえらい過敏に反応していた人が多かったな。これで誰かうまく切り返したならその人の事を尊敬したんだが。敬遠にバットを逆さに持つような人物は中々居ない。ま、人を罵倒するのに「クズ」だの「ヘタレ」ぐらいしか語彙を持ち合わせていないようだからしょうがないけどね。

で、こー言う事を書くと「後出しジャンケン」とか「自分の答えやすいところだけ答えてる」とか言われるのである。何を書いたところで言われる時は言われる。書かなくても「逃げた」とか言われるわけだし。自分が書いたことと、丸っきり正反対の意味で捉えられることだってある。そして怒られるわけだ。

いやあ、日本語って、ほんと難しいものですね。

ワタシ日本語分カリマセン(9/9)

日本語は難しいなあとつくづく思うんである。よく言われる事だけど言葉は心の半分も乗せる事は出来ない。更に文章にしてしまうと心は余計に取りこぼされてしまう。文字と言うのは言わば言葉の標本であり、標本からはそれが何であったのか、正確に知る事は出来ないのと同様に、文字になってしまったら言葉の力は半減する。況してやそれを書いた人の心は薄らとしか残らないだろう。

以前人間城の主さんに人間城の主な日々」で批判された事がある。散々扱き下ろして頂いた挙句、「ヘタレ」の称号まで授けて下さった。さすがに「城の主」を名乗るだけのことはある。何度か書いてるので詳しい経緯は書かないけど、要するに、以前おれはこのコラムで、「云う」と「言う」とか「GARALLY」とかの言葉の遣い方が間違っていた事を主さんが指摘し、アクセス解析でおれがそれを見つけ、おれが「陰口叩きやがって」と陰口を叩き、他のサイトからも批判されるようになり、その後おれがドキュソをして見放されてしまった、と言う次第です。詳しい経緯は、おれのコラムの過去ログや、主さんの日記のバックナンバーを読んでいただきたい。

まあ主さんの批判の中で、「言葉遣い」とか、「陰口」とかに関しては「おれが間違ってました」と言う他ないし、「発言の責任」は当時、Webで発言する事に就いておれの中で覚悟ができておらず、正面から批判されて右往左往してしまった事は認める。「ヘタレ絵」に就いては「どやかましいわボケ!」である。ただ、納得できないところもある。

で、「右から見るとはかういふことさ」と啖呵を切ってたけど、右を名乗るのは止めるわけ? ヘタレが。よしりんや井沢元彦を読んで気分に浸ってるからそういうみっともない様を晒すことになる。

え? おれ「右」を名乗った事って有ったっけ? この件に就いては次回に続く。

さんぴきが斬る!(9/8)

前回に引き続いてそー言う内容なので、お断り。18歳未満の方は読まないで下さい。18才以上であっても自己責任で読む事。前回分を「日記才人」で「アダルト」のカテゴリに登録したら、まあカウンタの回る事回る事。エロは強ぇーなあ。だからと言うわけでもないけど、続きを書く。

3Pに就いて書いてるわけだが、男:女=2:1はどーなのか? と言う話を前回した。では1:2ではどーか? 男1人に女の子2人。2:1に比べていいような気もするけど、丸っきり男の発想になっちゃうけど、女の子の2人を満足させなけりゃならない、つまり1:1でやるときより2倍以上頑張らなきゃいけないんじゃないのかなーそれはちょっとからだ持たんかもと考えてしまう。「イク」の「イカない」のと言うのは男の幻想であって、女はそー言うのは割と二の次だったりする、「らしい」ので、必ずしも2人相手だからって2倍ハッスルしなくてもいいのかもしれんが。

しかし男は「ハーレム」だとか「後宮」だとか「大奥」だとか、アフリカや南洋の部族の酋長が10人単位で奥さんを貰っている、なんて話を聞くと「羨ましい」と考えてしまう。「後宮」「大奥」なんかだと「御手付き」をされぬまま権力者が交代してしまい、結局追い出される、何てこともまま有ったらしいけど、部族の酋長は10人なら10人、同じ待遇を与えてやらなきゃいけないらしい。1人に贈り物をしたら他の9人にも同じ物を送らなければいけないし、1人と床を共にしたら、その後9夜連続でしなきゃならない。1人に贔屓してしまうと、残り9人に総スカンを食ってしまうからだ。ま10人を10人、平等に分け与えられる愛と財産と精力を持っているから「酋長」足る資格があるのだけれど。

考えてみればそもそもが3Pってかなり特殊な状況である。って考えるまでもないか。「SM」よりもシチュエーションの可能性としては低いかもしれない。2人でするものなのに、3人でしようってんだからねえ。言ってしまえば「三角関係」なのだから「バランス」のとり方も難しいだろうし。1人の異性を取り合って「鞘当」が始まっちゃったら駄目になるだろうし。

うーん難しい。ネタがネタだけに頭が変になってきた。マスでもかいてさっぱりするか。

枡 升 桝 鱒 舛

ふー5つもかいちゃった。……すいません。

賛否両論(9/5)

最初に断っておきますが今回のコラムはかなり際どい所に投げるので、18歳未満の人は読まないように。18歳以上でも、自己責任で読んでください。これ読んでむらむら来ちゃって、性犯罪犯しちゃったとか言われてもおれは知らん。だけどゆうき まさみさんが「Newtype」誌で連載しているエッセイ「はてしない物語」で、「犯罪を作品に描いて、それを読んだ人間が実際に犯罪犯したら作品としては大成功じゃねーかという考え方だって出来る、反社会的ではあるけれど」と描いてるんだけど、ならば性に就いて書いて、読んだ人間が強姦に走ってしまうぐらいのものを書けたらそれはそれで成功なんじゃねーの?

作品論はこのぐらいにして。

前にも書いたけどインターネットはほんとにありがたい。本屋やレンタルビデオ屋に出向かなくったってあーんな画像やこーんな動画が只で見れるんだから。でおかずをダウンロードしてはご飯を食っているのだが、こないだのおかずは男2人に女1人、所謂「3P」ものだった。よくあるおかずだし、まそれなりに2・3杯は食ったのだが、ご飯を食い終わってふと思った。

実際にこのシチュエーションっていいものか……?

だって考えても御覧なさいよ。女の子の裸が目の前にある、これはいいとしましょう。だけどその横には男の裸もあるんだよ。ホモでもないのに男の裸で興奮する? そそり立ったアレを見て、逆にこっちは萎えちゃわないか? うーん。そんな事はないか。それ言い出したらそもそもそー言うシーンは見られんだろ。男と女居るんだから。いやそれは男に自分を仮託して、女の子としているのだから話は別か。

これはおれの感覚が特殊なだけか? 例えば友達と一緒に呑みに行く、と言うような感覚で連れ立って性風俗に行く、と言う事だってあるだろう。いや、勿論部屋は別別でですよ。そー考えてみると、例えば3Pと言うのもそんなにどうと言う事でもないのか? めちゃくちゃ「女性差別」である事を自覚して言うが、「連れション」の進化形、と考えれば、うむ。左程悪くはないかもしれない。

……何書いてんだおれは。「侍魂」ぢゃあるまいし。しかも次回に続いてまうし。

ヘタレ絵ってなんだ?(9/3)

以前、人間城の主さんに、おれの描いた絵が「ヘタレ絵」だと言われた事がある。はっきりと言われたわけではないが、「GALLARY」の件でヘタレ絵サイトの事を言うのかと書いてるのだから、絵がへたれてるぞと言われてると見て間違いはないだろう。ま、「なんだとコノヤロウ! ほしたら『ヘタレ』じゃない絵を描いたるわい、見とれおんどれ!」と絵を描くモチベーションが掻き立てられるし、まだまだ精進が必要なのも事実だろう。にしても主さんには言動のみならず絵までヘタレ呼ばわりされてるわけだ、あっはっは。

と一頻り笑ったところでハタと我に返る。

ヘタレ絵ってなんだ?

以前2chを見ていたら、「へたれ絵描きサイト【その17】」というスレが在った。タイトルの通り、現時点で17スレ目の人気スレである。尤もその半分以上は煽りなのだけど、ヘタレ絵ウォッチャーは結構居るのである。どんなのがさらされているか興味の有る方は「ガイシュツリスト」をどうぞ。中々に「力作」が揃っている。

さて「ヘタレ絵」の定義とは何であろうか? 「下手」の事を言うのではないのかもしれない。尤も「ガイシュツリスト」を見ていただければ分かるように、大概下手なんだけど。中には「ええ、之のどこがヘタレてんの?」と言いたくなるようなのも交じっていたりする。恐らくは絵柄が気に入らない、アニメ絵だとかオタクくさいとかなので晒してやった、と言う事か。所謂「私怨」である。とは言え一見上手そうでも、よく見るとデッサンおかしかったり、えらい線ががたがただったりするからね。これなんか一見上手いけど、よーく見るとなんか変でしょ?

うむ、こうしてみると「ヘタレ絵」の条件はやっぱり下手である事なのだろうか。

て事はおれの絵は下手なのか? ううう。

50feets&100feets(9/2)

ありゃりゃ。ドキュソ取りがドキュソに成ったよ。

妖怪「言者理」こと野崎 健秀さんが書いておられる「闇黒日記」なんだが、どうもおかしい。読んでて首を傾げてしまうのだ。

野崎さんが現在、アレクセイ、ホランドこと田中 幸一氏とそのサイト「☆☆☆ LIBRA アレクセイの星座 ☆☆☆」と論争、と言うか、野崎さんは例に拠って例の如く「お前は間違っている」と叩き、田中氏は「うるせーぼけ」と罵っている、と言う状況なんである。

野崎さんは之が売りなのだし、田中氏はおれよりも根性が有るようで、何を言われようと「おれは間違っちゃいねえ!」と言い張っている。野崎さんにとっては叩き甲斐が有ろう。

おれの目から見ても、田中氏が野崎さんに対して言い返している事は「?」なのだけれど、野崎さんも中々負けてはいない。いや、理屈がではなく、言動が、である。野崎さんの執拗な事と言ったら無いのだ。

内容の是非に就いて、つまりどちらが正しいのかに就いて言及は避ける。おれにはそんな事分からない。それにつけても自分がケンカの当事者になるのは堪らないけど、見物しているのは結構面白かったりする。それもどうせ見るなら派手な方がいい。そして野崎さんと田中氏のこのケンカは見てて面白いのだ。

田中氏は野崎さんがどんなに正論で責めてこようとも「おれは間違ってないおれが間違っているように見えるのはそっちが間違っているからだ!」と言い張り続けているし、野崎さんは如何に自分が正しいか田中氏のドキュソっぷりを日記で延延断じている。田中氏が野崎さんが掲示板に書き込めないようにすると「負けを認めた」と切り返すし、田中氏の矛盾をこれでもかこれでもかと穿り返す。

田中氏は絶対に間違いを認めないのだが、野崎さんは絶対に追及の手を緩めない。おれが野崎さんを「言者理」だと思う所以はこの辺に在るのだけれど。

そー言や龍成さんが日記「D-point」を8月15日以来更新されてない。おれが「雷落とすぞ!」と書いたのが御先祖様に届いて雷落とされたんだろうか。ううむ。

三峯 徹はどこだーっ!?(9/1)

これで三峯ネタは3回目になってしまうが、別に洒落ているわけではない。今回で終わりです。

さて……おれがはじめて「三峯 徹」の名を目にしたのは12、3年前に見掛けたエロマンガ誌でだったのだが、「三峯 徹非公式ファンサイト」に拠れば、現在でも三峯さんは投稿活動(いやな活動だな)されているらしい。おれが初めて見た時に18才だったとしても、凡そ11年、少なくとも今30才ぐらいか。いや、そう言えば数年前「COMICGON!」と言う雑誌でエロマンガ特集を組んでいたのだが、そこで「30代前半」と書いてあったような。と言う事は今は30才半ばか。

普通10年も絵を描いていればぱによんさんじゃないけどそこそこは上手くなるもんである。だ・け・ど三峯さんは全く変らないのだ。おれが最後に三峯さんのイラストを見たのは5年位前だったのだけど、12、3年前、つまり7、8年経っても全く変っていないのだ。現在でも、どうやらやっぱり変わっていないらしい。

どーなっているんだ。

お前が人のこと言えるのかと言われると弱いけど。3、4年前に書いたのと、今書いたのとを比べてみて、言えるかどうか御沙汰をお願いします。

そんなわけで、三峯さんは今や「伝説のヘタレ絵師」と言ってもいい存在なんである。非公式ファンサイトまでできてるくらいだ。三峯さんの絵は単純に「下手」の一言で切り捨てる事はできない、いや切り捨てようと思えば切り捨てられるんだけど、前に書いたマサヤ君のように、何と言えばいいのだろう、不思議な魅力さえ感じられるのである。いや、下手なんだけどさ。

西原 理恵子さんのように殴り描きが最早芸術の域に達していると言うわけでもなく、吉田 戦車や岩明 均さんや相原 コージさんのように下手なんだけど絵柄が作品の主要素になっている(『伝染るんです』や『寄生獣』や『サルまん』が変にこざっぱりした絵で描かれててもあれだけの魅力ある作品にはならないでしょ?)と言うわけでもなく、単純に下手なだけなんだけど、なんか気になってしまうのである。

だけど10年絵を描いてて全く上達しないと言うのも驚きだけど、30代半ばになって投稿活動、それもエロマンガ誌に、しているのと言うのもやるものだなあ。人生もっと大切なものが在る気もするんだが。

三峯 徹がやってきた(8/31)

最近は読んでないのでどうなのか分からないのだけれど、数年前のエロマンガ誌の投稿コーナーは矢鱈充実していた。数々の常連、往年の『ジャンプ放送局』風に言えば「投稿戦士」、『オールナイトニッポン』で言うところの「ハガキ職人」が集っていたのである。かつてハガキ職人だった高田 文夫が才能を見出されて作家への道を歩み始めたように、エロマンガ誌の投稿戦士もマンガ家になったり、投稿していたコーナーを任されたりするようになった。尤も、こう言う投稿出身のマンガ家ってのは大してぱっとせず、エロマンガ留まりなんだけどね。中ノ尾 恵さんとかプロトンザウルスさんみたいに。

ところで、かつて投稿戦士で、インターネットの普及に因り今ホームページやってる、と言う人は結構多いような気がする。投稿するより確実に自分の作品を人に見てもらえるわけだからね。「手前みそ工房」のたかの はやとさんは投稿コーナーでちょくちょくお見掛けしたし、藤村 琉志郎さんもホームページやってたな。藤村さんとは多少お付き合いも有ったんだけど、経済的な理由からインターネットから今のところ完全に撤退してしまっている。戻ってきてくれないかしら。

こーゆー投稿コーナーの常連ってのは上手い人はプロ並に上手い。まあ「常連」に成る位なんだからそこそこ上手いんだけど。しかし、中には「下手な常連」も居るんである。前回、投稿コーナーは下手なのを1、2割混ぜてる、と書いたけど、その「下手なの」と言うのは大体この下手常連なんである。

でこの下手常連の1人が、三峯 徹さんなんである。やっと名前が出てきた。それでどんぐらい下手かって言いますとー……残念ながら現在手元に資料が無い。今でも投稿はされてるようだから、書店でエロマンガ誌の投稿コーナーを探してみてください。で見てもらえればお分かりに為るかと思うけど、下手でしょ? デッサンはがたがた、モチーフもショボいし。

おれが初めてエロマンガ誌を買ったのがおおよそ12年前だが、そのときから既に三峯さんの名前は目に止まっていた。この人はほんとにエロマンガ誌全部買ってんじゃないかと思えるほど、あちこちで見掛けたのである。投稿コーナーでも上手い人しか載せない、と言うところも在って、そういうところには載ってなかったけど。

そう言やおれが高校生の頃って、「RPGマガジン」の投稿コーナーに載ると「抜群に絵が上手い」と言う事になってたんだけど、今でもそうなのか?

またしても次回に続く。

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