ホームページ入門講座<chapter3>厨房入るべからず

<section17>「2ちやんねる」から始めやうか

「厨房」、と言つても、この際料理を作る場所の事では當然ない。

厨房とは「中坊」、つまり中學生程度のメンタリテイしか持ち合はせてゐない精神年齡の低い奴、といふ意味のスラングである。勿論いい意味では用ゐられない。

まづは、「2ちゃんねる」についてから説明する必要があるだらう。「わたしは『2ちゃんねらー』だ」と言ふ人は、このsectionは飛ばして頂いて結構。普段Webをやつてゐない人でも、「2ちゃんねる(以下"2ch")」と言ふ言葉を聞いた事がある、と言ふ人は多からう。インターネツトトラブルコンサルタントのひろゆき氏が、個人で運營する巨大掲示板群サイトである。

元々、「あめぞう」と言ふ掲示板サイトがあり、その關係者だつたひろゆき氏が獨立して「2ちゃんねる」を作つた。つまり第2の「あめぞう」と言ふ意味で「2ちゃんねる」と言ふサイト名にしたらしい。その後「あめぞう」から2chに客が移つてしまひ、「あめぞう」は1度閉鎖に追ひ込まれる。「あめぞう」はその後再開するのだが、その經緯もあつて、2chと「あめぞう」、と言ふかそれぞれのユーザはお互いを快く思つてゐないらしい。まあLinuxとFreeBSDみたいなものだ。違ふか。

とまれ、實際に2chを見て頂ければ分かるのだが、書き込みの量が半端ではない。基本的に匿名で書きこむ事ができ、また「荒し」や「煽り」など餘程の事が無い限り書き込みに制限は無いし、削除もされない。從つて掲示板には「放送禁止用語」や「差別用語」が流石に大手こそ振らないものの、結構平氣な顏で往來してゐる。2chはスレツド形式のBBSである。ユーザがまづ話題を書き込む。これが「スレツド」である。スレツドは「スレ」と略される事が多いので、以下スレと書かう。かうして新しいスレを作成する事を「スレを立てる」とも言つたりする。スレに他のユーザやスレを立てたユーザ本人(「スレ主」と呼ばれる)が返答を書き込むことになる。返答は"Responce"略して「レス」と呼ばれる。「レス」と「スレ」をごつちやにしてしまはないやうに。

2chのキヤツチコピーは「ハツキングから今晩のおかずまで」。正にその通りで、リアルスペースで流布してゐるあらゆるニユース、話題、趣味、噂が書き込まれる。掲示板は、カテゴリごとに分けられ、また或る話題に就いてのスレが餘りにも大きくなるとその話題に就いての掲示板が新たに設置されるし、書き込みやスレが多くなり過ぎると、掲示板を2つに分けたりする。速報性が強く書き込みも多いニユースの掲示板は4つぐらい有つたりする。かうして掲示板の數はどんどん増えていつた。勿論書き込みが少ない掲示板は閉鎖されたりするが、それでも數十の掲示板がある。その掲示板1つ1つに、100は下らないスレが有り、レスは掲示板にも據るが1スレにつき1000レスまで書き込める。無論、誰も飛びつかないやうな話題だと「dat落ち」と言つて過去ログに封印されてしまふ。逆に「良スレ」と呼ばれるやうな書き込みの多いスレだと何十スレも續ゐてゐたりする。因みに、掲示板の事を「板」と略す。「野球板」「學歴板」「ラウンジ板」とか言ふ風に使ふ。

リアルスペースの話題が書き込まれるだけでなく、2chから發生する話題も有る。最近では、某有名女性歌手が、コンサートで身障者の觀客に對し差別發言をしたとして、事務所が釋明に廻る1件が有つたが、結局眞相はデマだつたらしいのだが、發生源は2chとされてゐる。またアイドルグループのメンバーが、そのグループの掲示板にスレを立て、1晩だけのWeb上でのフアンの集いが行はれた、と言ふ噂もまことしやかに傳わつてをり、そのメンバーは2ちやんねらーだと2ちやんねらーの間では定説である。まあモーニング娘。の保田 圭のことなんだが。後は、アメリカ同時多發テロの前日、「ビル、飛行機をお樂しみに」と書き込みが有つたとか、佐賀バスジヤツクの犯人が、犯行聲明とも取れるスレを前日に立ててゐたとか。考へてみればこのやうに皮肉な形で2chをリアルスペースにも有名にしたのがこの「ネオむぎ茶」事件ではなかつたか。 ところで「2ちやんねらー」と言ふのは、言ふまでもなく2chユーザの事なのだが、果たしてどれくらゐ利用すれば「2ちやんねらー」なのか。毎日1囘はお氣に入りの板を覗いてゐる程度か、書き込みをした事が有る程度か、スレを立てた事が有るとか。因みにわたしはスレを立てやうとしたけど「スレが多くて立てられません」と撥ねられた事がある程度です。

さてさて、ここまで讀んで「スレ」「レス」「板」「dat落ち」「2ちやんねらー」などの言葉が出てきた事にお氣付きだらうか。かう言つた2chでよく用ゐられるスラングを「2ちやん用語」と言つたりする。「スレ」や「レス」は他の掲示板でも用ゐられる單語なのだが、2ちやん用語は必ずしも2ch内でのみ使はれるわけではない、逆に、2ch以外でも結構使はれてゐたりする、と言ふ事だ。また「まつたり」や「さつぱり」を「マターリ」「サパーリ」、と言ふやうにアクセントを改變したりする事も多い。誤字、脱字もよく使はれる。「スマン」や「ゴメン」を「スマソ」「ゴメソ」、「ラーメン」を「ラメーソ」とか書いたり、あとは半角カタカナを使つたりもする。

同音異義語による書き換へも多い。最初に擧げた「厨房」なんかは正にそれだ。類義語として「消防」「工房」も有つたりする。それぞれ「小坊」小學生並の智能しかない、「高坊」高校生程度には智能があるけどやつぱバカ、ぐらいの意味である。

しかし「消防」なら「おーよしよし」と頭を撫でてやりたくなつてくるぐらいの可愛氣は有るし、「工房」はまだものを分かる餘地は有りさうである。ヤパーリ1番厄介なのは「厨房」でなのではないか。リアル厨房、つまり本物の中學生には申し譯ないが、Webに跳梁する精神年齡の低い連中の事を「厨房」と呼ぶ事にする。

厨房に類するものとして「ドキュン」が居る。「ドキュソ」「DQN」と書いたりもする。これはTV番組「目撃! ドキュン」が語源とされてゐる。つまり學歴の低い連中はこの番組に出てきたやうな常軌を逸した連中になる、と言ふ意味である。確かにかなり凄い人が出てましたね。

「2ちやん用語」についてより知りたい方はこちら。→2典

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<section18>ホームページを見たら厨房と思へ

わたしは「2ちやんねる」を、現在のwww、少なくとも日本國内でのwww(矛盾してる言ひ方だが)を象徴する存在だと思ふ。何故かは別項として、要するに、2chに有るものはwwwにも有る、と言ふ事だ。日本のwwwを凝縮した存在が2chである、と言つてもいいかもしれない。

つまり、2chに厨房が居るなら、wwwにも厨房が居る、と言ふ事である。

かつてはわたしも厨房だつた。ハイパーリンクに關してとんでもない恥を晒したのはsection1でも書いた通りだが、實はこの時、サイトを閉鎖しようかと思つた。こんなに馬鹿にされるくらゐならやめてやる……と言ふわけである。まあ實際には止めなかつたのだが。何故かと言ふと、止めたら「敗けだ」と思つたからだ。まあ、單に依怙地になつてただけだが、止めてなくて良かつたと思ふ。止めてたらほんとに厨房になるところだつたからだ。

突然だが、中學生以上の讀者の方は、自分が中學生だつた頃を思ひ出していただきたい。自我だけはいつちよ前に持ち合はせてゐるけれど、それを押さへる分別が無い、未熟な反抗心と意地の塊、だつたのではないか。この邊が厨房をして厨房と呼ばしめる所以である。

2chでは、時折「祭り」と呼ばれる現象が發生する。勘違ひしてしまつてゐるサイト、例へばさうだな、面も弁えずにネツトアイドル氣取つてゐる女だとか、上手くも無い繪や詩を晒してゐるオタクとか(誰だお前の事ぢやないかと言つてるのは)、さう言つたサイトに就いてのスレを立てて、どの邊が笑へるかとか痛いかとか寒いかとか書き込み合つて盛り上がるのである。時には、そのサイトの掲示板に乘り込んで所謂「荒し」が行はれてしまふ場合もある。2chでは「荒し」は一應禁止されてゐるが、まあ荒しは後を斷たない。その他にも管理者がアクセス解析とかで自分のサイトが嘲われてゐるのに氣付いてしまつたりする場合もある。わたしもさうだつたしな。

「祭り」や「荒し」に逢ふやうなサイトを作つてゐる時點で既にその管理者は「厨房」の素質有り、なのだが、さう言ふ目に逢ふと管理者はどうするか。サイトを閉鎖してしまふのである。サイトや2chに、「お前らのせゐだ!」みたいな泣き言を書き殘してwebから居なくなつてしまふ、と言ふのも大體共通してゐる。多少からかはられただけなのに、すぐに被害者根性に陷つて臍を曲げてしまひ、お家に歸つてしまふのである。2ch用語で言へば「ウワアアアンモウコネエヨ!」である。でも、2、3ヶ月もするとHNを變えてまた別のサーバにサイトを作るが、内容は殆ど變わらない。で2ちやんねらーにまたすぐ見つかつてしまひ、しかもやつてる事は前と同じなので餘計に祭り上げられる。でまたサイトを閉鎖する。でもまた戻つてくる。でまた祭り。でまた……ちやうどいぢめつ子といぢめられつ子の關係と同じで、どんどんエスカレートしてしまふのだ。ま、祭りに逢ふやうなサイトを作る方も、祭りを始める方もどつちも厨房なのだが。

つまり、祭り上げられるやうな「痛い」サイトを作る厨房は、自分を客觀視出來ない。自我の塊だから、自分を見て慾しくて堪らない。それでサイトを作るわけだが、餘程の天才で無い限り、自我だけで作つた作品が他人の鑑賞に耐へ得る事は先づ無い。しかし、厨房は「下手くそだなー」と言はれるのは嫌なのだ。賞贊だけが慾しいのである。不思議な事に、かう言ふ「痛い」サイトには逆に王樣女王樣扱ひしてくれる熱烈なフアンが居たりするのですよ。ひよつとしたら内心バカにしつつ、譽めれば譽める程サイト主が勘違ひしていく樣子が面白くておべんちやらを言ふのかもしれないが。かうした讚美の聲ばかりならサイト主も滿足してゐるわけだが、しかし「祭り」や「荒し」と言ふのは、つまり批判や中傷の一齊射である。その彈幕に厨房の膨れ上がつた自我は絶えられない。簡單にぱちんと彈けてしまふ。だけど自我はすぐにまた膨れ上がり、しかも懲りる事無くサイトを作つてしまふ。されど浴びせられるのは賞贊ではなく中傷。でまたぱちん。

でも祭る方も祭る方でまた厨房なのである。批評を飯の種にしてゐるわけでもないのに、しかも自分も素人なのに素人相手に「お前は下手だ」なんて言ふのはまあ失禮な話しだ。餘りにも「痛い」サイトを見つけてしまつた、こりや笑へる、誰かに教へずには居られない。と言ふわけで、2chでスレを立てる。「言はぬが華」ではないけど、自己滿足の世界に浸つてゐるサイトとその主を笑ふスレを立ててしまふのはあまり「大人氣」は無いかもしれない。とは言へ、批判する權利は誰にだつて有るわけだし、webと言ふ公に發表された意見に對し、やはりwebで批判するのは道理が行つてゐる。

2chではローカルルールとして「直リン禁止」と言つてかうしたサイトウヲツチの場合、リンクは張らない事になつてゐる。かう言ふサイトウヲツチを目的とする掲示板も2chにはあるくらいで、如何に「祭り」が多いか分かる。2chではURLを書き込むと自動的にリンクが張られるやうになつてゐるのだが、URLを書かなきや肝腎のサイトの在り處が分からないので、http://〜の"h"を拔ゐたりしてリンクが發生しないやうにするのがお約束、とされてゐる。例へばこのサイトで言へば、ttp://pu-lab.infoseek.ne.jp/と書く。何故そんな事をするかと言ふと、リンクを張つてしまふと、ウヲツチ對象のサイトのアクセス解析からばれてしまふ事があるからだ。先述したやうに2chでからかはれてゐるのを知ると大抵のサイトは閉鎖してしまふ。さうなるとウオツチヤーもつまらない。同樣にそのサイトの掲示板を「荒し」てしまふ「乘り込み」も歡迎されない。「ウヲツチ」と書いてゐるがそれこそバードウヲツチングと同じ事で、鳥の生態を邪魔する事無く、ありのままの姿を觀察するのがウヲツチングの基本、とされてゐるやうに、ネットウヲツチングも觀察對象のサイトをマターリとウヲツチするだけで、干渉してはいけないのだ。でもまあ、「笑ひ者」にしてゐるわけだから餘り譽められた事ではないかもしれないけど、「祭り」自體は行はれても仕方ない。だがリアルスペースの祭りでも、盛り上がつてくると「活氣」と「騷音」の區別がつかないバカが出てくるのと同樣、2chの「祭り」でも乘り込んで「荒し」てしまふ手合ひは出てくる。

「痛い」サイトもそれをウヲツチするスレも、互いが接觸しなければ平和なのに、自己滿足の「痛い」サイトを作るのも厨房なら、掲示板やメールで面と向かつてからかふのも厨房である。どちらも分別が無いからだ。

批判するのにも資格がある、と言ふ事か。いい批判、的確な批判なら對象を育てる事もあるからだ。わたしは批判してきた相手が厨房ではなかつたので自分も厨房にならずに濟んだのかもしれない。運が良かつた。

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<section19>何が言ひたいわけ?

以前、「ねこめしにつき」のありみかさとみさんと「同人活動」に就いて意見を交はした事がある。わたしが「今の同人活動つてのは間違つてるんでねえのかい?」とコラムで書いたところ、實際に同人活動もやつてをられるありみかさんが「門外漢が氣付くやうな問題點は、實際に同人活動をやつてゐればもつとよく分かる」と反論し、わたしは「いやその問題の立脚點からして間違つてるんぢやないの」と再反論した。まあそれで終はりの「論爭」とも言へない意見のやり取りでしかないが、わたしは同人活動そのものは否定はしない。と言ふより、人の趣味を否定する事なんて出來ないでせう。「同人」と言ふのは「趣味を同じくする人」だから周りに「同じくする人」が居ないのならメンバーが1人だけでも同人「サークル」と呼んでも差し支へは無からう。

小説やマンガ、アニメやゲームが大好き、大いに結構。まあ「大きいお友逹」には「いい年こいて何やつてんの」と言ひたくはなるが年齡の事もまあいいとしませう。その好きな作品に對して、感想文や解説を加へたり、「自分だつたらこのキヤラはかう動かすな」とか「こー言ふエピソードが在つたら面白いな」と考へて、マンガや小説を書く。これは「2次創作物」と呼ばれるもので、著作權的には黒白つけがたい(わたしとしてはほんとに「グレー」としか言ひやうが無いんではないかと思ふ)けど、かうした作品を「同人誌」として纒める。或は、趣味で小説やマンガを書いてゐるサークルが、「會誌」として出す。これはありだ。で、同人誌を、サークル以外の人にも廣く讀んでもらゐたい。と言ふわけで他のサークルと聯絡を取り合つて、即賣會を開く。ここまではOKとしよう。

だけど、即賣會に出すから、同人誌を作るつてのは本末轉倒してるんぢやねえのかい。

創作活動の結果として、同人誌が有るのは分かる。だけど即賣會が有るから同人誌を作るつてのは變だ。同人誌は「商品」ではないでせう。夏と冬の「コミケ」の季節になると、休業してしまふマンガ家も最近多いけど、あんたの仕事は何なんだよ。仕事より趣味を優先させてどないすねん。「コンテスト」だつたら、それに間に合ふやうに作品を仕上げるのは話は分かる。だけどコンテストにしたつて間に合はなければ次囘があるなら次囘に囘せばいいことだし、コミケなんか年2囘あつて、その他にも各地で大小樣々な即賣會が行はれてゐるのだから、無理して作品を間に合はせる必要などないはずだ。創作活動が趣味なのは大變よいことだし、それを1人でも多くの人に目にしてもらゐたいと言ふ慾求も分かる。わたし自身もさうだからだ。即賣會はさうした作品を發表する「機會」ではあつても、それが「目的」になつてしまふのはわたしは腑に落ちない。

即賣會には、「參加する事に意義がある」面も在るのは分からないでもないが、それとも今は即賣會に參加する事を「同人活動」と言ふのだらうか。活動の目的としては何だか矮小に思へるのはわたしだけだらうか。

さて昨今の「同人活動」の問題は、webにおいても言へる事だと思ふ。

わたしはこのやうに創作活動をweb上で行つてゐる。何故かと言へば、紙媒體である同人誌より、すぐに作品を出版できるし、多くの人の目に觸れてもらへる、と思つたからだ。

元々wwwはプレゼンテーシヨンの場である。wwwの登場まではインターネツトもやはり既存のパソコン通信と同じくフアイルや電子メールのやり取りが主だつた。wwwが登場しなかつたなら、インターネツトは精々研究所や企業、自治體間のコンピユータネツトワークシステムに留まつてゐただらう(或はその方が良かつたのかもしれないが)。しかしwww、http、そしてhtml。この3本柱の登場により、インターネツトは爆發的に一般に普及するインフラとなつた。これまでの社會の有り樣をも變えてしまふ可能性、電腦社會への變革の鍵と言はれるまでになつた。(わたしはそんな事はないと思ふんだけど。これに就いては別の機會で)

とまれwwwの登場が、インターネツトと言へば「ホームページ」の認識を世間に廣めた、と言つて良からう。そして、ホームページを閲覽するだけでなく、ホームページを自分でも作つて、情報を世界に向けて發信しよう! と言ふのが昨今のインターネツトの風潮である。でもつて猫も杓子も、企業も自治體もホームページを作らなければ時代に乘り遲れる、客をゲットできないと言ふ感じだ。そして個人も、皆がホームページを作る。「車に就いてのコダワリ」成る程なるほど。「うちのペツト可愛いでせう」はいはい。「家族を紹介しまーす」よくありますねえ。「僕の描いた繪を見てください」ふむふむ。「私と彼の激しいカラミを見て」よーやるなあ。ところで……あなたがwebにアツプしようとしてゐるその情報、本當に「見てもらひたい」んですか?

あなたは自信滿々なのかもしれないけど、ひよつとしたら、誰も讀んでくれないかもしれない。幾ら飾り立てやうと、見た目は竒麗であらうと、閲覽者は自分が必要としない情報には目を通さない。あなたが「世界に向けて」發信した情報は、あなた以外には世界中の誰にとつても必要でない情報かもしれないのですよ。幾ら地團駄踏まうと齒噛みしやうと、必要でない情報は讀んではもらへないのである。

假へ、誰かが讀んでくれたとしても、「何言つてんの」「馬鹿ぢやねえの」と言はれる確率は、「その通り」と言つてもらへる確率より遙かに大きい。web全體のコンテンツのうち、「誰も讀んでくれない」確率は70%、「馬鹿ぢやねえの」と貶される確率は30%、「流石ですね」と譽めてもらへる確率は……web全體から見ればまあ1%に滿たないでせうな。

果たしてその1%未滿に賭けてみる勇氣は有るだらうか。70%の無視か、30%の批判かの覺悟は有るだらうか。そして30%に當たつてしまつた場合、耐へられますか? 厨房になつて「ウワアアアンモウコネエヨ!」と逃げ歸る事は無いですよね?

webは繰り返しになるがプレゼンテーシヨンの場である。しかし「webで何を發表するのか」、つまり自己表現の手段の1つなのであつて、「ホームページを作ること」が目的になつて、そのために無理矢理自己表現の材料を捻り出さうとする。「趣味」や「ペツト」「家族」、何となると「自分」しか發表出來るものが無かつたりする。それらがどうにか「作品」の體裁をとつてゐればまだいい方なのだが、大抵は素材をそのまま竝べてゐるだけだ。食材をぶつ切りにして、調理も味付けもなしに「さあ食へ」と言つてゐるのと同じである。

みんながみんな「表現」する必要なんて無いんだぞ。

</section19>

<section20>授業の一環

これまで「厨房」、精神年齢が中學生程度の連中の話をしてきたわけですが、今囘は「リア厨」、所謂本物の中學生の話にしませうか。まア中學生に限らず、小中高つてなことで。

今やホームページコンテストと言ふのも結構あちこちで行はれてるやうですが、授業でホームページを作ることも多いこともあつて、學校のホームページが結構上位に入賞してたりする。

で入賞してたホームページを見てみたら、「ActiveXをダウンロードせエ」とダイアログが出やがつた。「いいえ」にしますはな當然。え? ダウンロードする? あさう。まあとまれ「いいえ」にしたんですよ。そしたらアンカーと思しき畫像が表示されず、別のコンテンツが見れないんですな。うーむ。ちやんと要ActiveXと注意書きまでしてるし、なんとユーザビリテイに配慮されてないサイトだ。

別のコンテストの入賞作を見てみると、テキストまで畫像にしてあつて、ブラウザの設定で畫像OFFにすると代替テキストも用意してないから「戻る」とか「次」とかだけで後はもう真つ白なのが素晴らしい。

ソースを見ればmeta要素には"HomepageBuilder"、さもなきや"FrontPage"。tableタグでレイアウトはバツチリ。H1要素もH2要素も無いのにいきなりH3要素が出てくるし。要素? スタイルシート? 何それつて感じですな。

ま、こんなもんでせう。

例へばさ、應募してきたはいいけど文章が原稿用紙の裏側に書いてあつたりするやうな作文を、「作文コンクール」の審査員は讀みませんよね。でも「ホームページコンテスト」だとさー言ふ400字詰め原稿用紙に200字しか書いてない作文が入賞するやうな審査が行はれてゐるのだ。應募規定もちやんと守れないやうな作品は審査の對象にならなくて當然であるのに。でもまあ、「HTML文書」ではなく「ホームページ」が審査の対象、つまり如何に見榮えのするハリボテを作るかと言ふコンテストなのか。なら主催者のサイトがAnotherHTML-lintに掛けると-200点とか-300点とかでもいいわけだ。尤も學校の授業で作るやうなものなんて、大抵ハリボテだけどね。圖畫や技術の授業で「實用性」のあるやうなもの、作りましたか?

「ホームページ」つて何ですかと聞かれると、主催者も、指導した先生も、作つた生徒も説明できるだらうか。HTMLと言ふ單語が出てくればいいところではないのか。だけどHTMLを知らないと言ふのは、それこそ作文コンクールなら原稿用紙の使ひ方が分からないのと同じことなんだが。下手すりや「インターネツトのこと」とか言つたりして。ホームページだけがインターネツトぢやないぞー。

今やコンピユータルームのある學校も珍しくなく、教育にもIT化が進んでゐる、いやIT社会に向けてコンピユータの技能が必要になる、なんてよく言はれるけど、ホームページコンテストの開催主旨は特に學校關係だと「IT社会に適應できる事」を謳つてたりすることが多いんだけど……適應できてないやんけ。

Spec. 読め

W3C で公開されている仕様(HTML 4.01)には、しっかりと Headings: The H1, H2, H3, H4, H5, H6 elements と書いてあるわけです。見出しは見出しでも heading なのでした。つーか、ことだらう。なんて推測する前に仕様を確認しよう(駄洒落)。

……やつちまつた。おれも適應できてねえ。

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