つふかあきれた。
喜六郎のブログを見たら1番目の記事がちようど2年前の日付になつてゐて、やつぱり野嵜さんや木村さんを愚弄する内容なのだ。で、2年後のいまも野嵜さんや木村さんを愚弄し續けてゐるわけである。
「野嵜や木村の言うことは論ずる価値も無い」と喜六郎はいひ續けてゐるわけだが、2年もの月日をかけて「論ずる価値」があることを自ら證明してゐる。
文字通りの「粘着」である。
巨人フアンでよかつた。
といふか、佐藤氏はながいこと傳字を傅字にあやまつてゐるのだけれど、気づかないのかなあ。
ありがたうございます。訂正いたしました。
つふか、今の今まで「傳」と「傅」を同じ字だと思つてた。こないだ視力檢査をしたら兩目とも1.5だつたんだけど。
「捕虜を處刑するのなんて戰場ぢや當り前のことぢやん」(http://pu-lab.sakura.ne.jp/sealilies5.htm#sealilies20080624)といふやうなことを書いてゐるかたと表記が似てゐるといふだけで思想傾向もおなじだと思はれるやうなことがあるといやだなあ、と思ふ。
自分ではノンポリアニオタのつもりだつたんですが。よしりんの名前を出しちやつたからだらうか。
捕虜を處刑するのなんて戰場ぢや當り前のこと
ぢやないのでせうか。
また方言で畫面にむかつて叫んでしまひました。
おととひの深夜、特になにを見るでもなくチヤンネルを切りかへてゐたら。
事実を積み重ねることが必ずしも真実に結びつくとは限らない
あなたには隠された真実が見えるだろうか?
といふテロツプが。
あ! 「放送禁止」だ。6回目の「デスリミット」だつた。また見逃した…
前回の放送は1年半まへか。まさに忘れたころだつたな。
お釋迦さまの指のささくれに追加。
登つたのは下渡より先なんですが。日本国や朴坂山もまだ書いてないし。
下記の「下渡山」は「げどやま」と讀むのですが。
ぼくが學生のころ「架空戰記」ブームがありまして、村上市を舞臺にした架空戰記のネタをほくも思ひ附きまして、それで下渡山が最終決戰場になるといふ。
タイトルはズバリ
「下渡戰記」
なんかかう、酒でも欲しい氣分ですね
山登りの記録のコンテンツを新設しました。
前回大事なことを書き忘れてた。
靖國神社にお參りしたことあります。
といふか映畫見たあと新潟市美術館に行つてから、近所だからつてSと新潟縣護國神社にお參り行きましたが。
新潟市のシネ・ウインドで公開されたので、22日の日曜に、軍オタで社會派の友人Sが興味あるかと思つたので一緒に見ようと誘つたら、「中共の宣傅傳映畫を観たいとは思はない」とばつさり。さらには「『上映中止』なんてさんざん騷いでおいて結局は公開してるんだからやつぱり『宣傅傳』でしかなかったんぢやないの」「事前にあれだけ話題になって問題化されていながら、公開されたらサツパリ。てのは、ああやつぱりね、つて内容なんでしよ」とのこと。實際「さうかもなー」とも思つたけど、見るだけは見てみた。
「宣傅傳」効果はばつちりだつたやうで、公開2週間目であるにもかかはらずほぼ滿席であつた。まあ日曜だつてこともあるんだらうけど。
「SAPIO」6月11日号の『ゴーマニズム宣言』でよしりんが愚にもつかない駄作
低レベルで悪質な反日プロパガンダ映画
といつてたけど、プロパガンダにもなつているかどうか? 神道なんかクソみたいなものだ
つて、クソ
はまづいでしよクソ
は。だから愚にもつかない
のか。まあ成功してゐるかどうかはともかく「軍国神社」といふ観點から撮られた映畫ではある。
ところでポスターやサイトのトツプにもなつてゐる軍服姿の男だが、隊列を組んで參拜してゐたので「本物の自衛官!?」と思つて、見終わつたあとSと合流して「これつて本職?」と聞いたら「コスプレイヤーでしよ」とのこと。「古い制服に似て無くはないけど、最近のコスプレイヤーはけつこう動作も本格的だし、第一本職がしかも隊列組んで參拜してたらマスコミがほうつておかないつて」なるほど。
私のようなサブカル人間にとっては、靖国神社に終戦記念日に わらわらと集うコスプレ集団の姿をこれだけたくさん記録したという だけで貴重なフィルムである、と絶賛したくなる。
ぼくも唐沢俊一さんのようなサブカル人間
なので、たしかに靖国コスプレイヤーをいろいろ見れてそれは面白かつた。本人達は眞劔なんだらうけど、ある意味「大道藝」になつてしまつてゐることはいなめない。反對派にはインタヴユーしてゐるのだから、コスプレイヤーたちにも「なぜそのやうな格好で參拜するのか」とインタヴユーすればよかつたのに。
また映畫のなかで日本刀で捕虜を處刑する寫眞が出てきて、Sに「捕虜を處刑するのなんて戰場ぢや當り前のことぢやん」といつたら、「毆米人は『首狩り』や『刀傷』に嫌惡感をいだくらしいからそれを狙つてるんぢやないの」たしかにさういつた寫眞はプロパガンダに使はれてるものなあ。
まあよくいはれてるとほり、246万6千余の軍人の魂が移された一振りの刀が靖国神社の御神体である
なんていふ初歩的な間違ひをこの映畫はしてゐるわけで、刀
ではなく「神劔及び神鏡」だし、「神體」は魂が移された
ものではなく「依り代」である。Sに「反對派は『魂を返せ』なんてよくいつてるけど、魂を封じ込めて動けないやうしてあるわけぢやなし、位牌や遺骨も無いのに」といふと「位牌や遺骨つて無いの!?」と驚いてゐた。先述のとほりSは自衛官の制服が見分けられるほどの軍オタ社會派である。それでもこんなものらしい。一般人の、ましてや中國人監督の誤解もやむなきかな。
この映畫つて、日本人ではなく、中國人や毆米人に向けて作られたもの、という氣がしてきた。
映畫のあと新潟市美術館でやつてた「大ナポレオン展」をみたのだけれども、宝飾品の展示場は薄暗くしてあつて展示物にスポツトライトが當てられてゐるのだけれど、「ロシア皇帝のハットピン」が回轉して展示されてゐて、ちりばめられたダイヤにスポツトライトが反射してまるで「ミラーボール」のやうになつてゐた。
「らきすた」を見てゐて氣附いたんですが。
こなたたちつて、2年のときも3年のときも黒井先生の授業がありますが。
世界史2年間やつてるつてこと?
世界史のカリキユラムつて1年ぢやないのか。文系クラスらしいが、どんだけ世界史に力入れて授業してるんだ。
つて、最近世界史つて2科目になつたのか。ならありえるか。
- 鳥坂先輩
- 人生には息抜きというものが必要だぞ。
- 曲垣
- あんたたちは、息抜きのあいまに人生やってるんだろう!!
あまりにも喜六郎のブログが「つつこみどころ」だらけなので批判のコメントを投稿してゐたら、投稿をはねられてしまつた。どうやらアク禁をくらつてしまつたやうだ。
野嵜さんと同じ扱ひを受けたわけで、これでおれも「web論客」の仲間入りかな。
冗談はさておき、はねられたコメントを下に記す。
>政治を道徳確立の為の手段として良いと言うことにはならないし、逆に道徳を政治 の道具にしてもならない。 木村さんが主張する「政治と道徳の峻別」とはまさにそういうことで、そこまで分かっ ているのになんで >そもそも「政治と道徳の峻別」を二項対立を解釈していたのは、森英樹ら松原信者 ではなかったのか? なんて誤解をするのだろう。もっとも木村さんは >「政治と道徳は対立するものではなく交叉するもの」『だからこそ』、政治を道徳 確立の為の手段として良いと言うことにはならないし、逆に道徳を政治の道具にしても ならない。 と主張しているのだが。 「政治と道徳の峻別」を「二項対立」としかとらえらていないのは喜六郎氏ではないか。
人樣のブログのコメントなので多少は遠慮してそこまで分かっているのに
と書きはしたが、實のところ喜六郎は分かつて
などゐない。「政治と道徳の峻別」
を結局理解できてゐないため、「反論」ではなくただの「いちやもん」にしかなつてゐない。「反論」とは相手の言ひ分を理解した上で、なほ疑義を申し立てることなのだが、理解してもゐないのに反論ができるわけがない。
道徳を政治の道具にしてもならない
と喜六郎は言つてはゐるが、別の記事では
たしかに政治が道徳的であれかしと自分も思わないでもないが、九十九匹の利益を損じてまで道徳を追求すべきではない。
つまり「道徳は政治の從屬物でしかない」と主張してゐるわけだが、それは「道徳」は「政治」の道具に過ぎないと言つてゐるのと同じである。政治のためならば道徳はあとまはしにして構はないのであれば、道徳は政治の道具でしかないではないか。喜六郎の主張は矛盾してゐる。
また別の記事では
旧字旧かなが新字新かなよりも「論理的」であるというのは事実なのかも知れないが、それだけで安易に乗り換えるのは軽佻浮薄だなと思う。
私はネット上で旧かなを実践することが、旧字旧かなを守ることには繋がらないと考えている。
つまり「『論理的』なことをするのは『軽佻浮薄』」「言葉を守るためには言葉を使つてはならない」と主張をしてゐるのだが、「間違つてゐる」と分かつてゐながら平氣でゐること、すなはち「非論理的」であることを軽佻浮薄
といふのである。また使はれない言葉は死ぬ。喜六郎の主張は杜撰きはまりない。
喜六郎のでたらめさはこれだけにとどまらないが、ほかは「鳩笛雑記帳」の喜六郎批判をご覽いただきたい。
しかし野嵜さんがいふとほり、結局喜六郎は、野嵜さんや木村さんら「松原信者」に對する罵倒を並べられればそれでいいのであつて、自分がいくら矛盾してゐようが杜撰であらうが全くおかまひなしである。いくら反論されようが「松原信者必死w」と嘲笑するか無視して、別の話題に變へて前の話はなかつたことにすればいいだけのことである。
軽佻浮薄
チンケ
と他者を罵るのであれば自身はさうであつてはならないはずだが、上記のやうに喜六郎の言動は實に軽佻浮薄
だし、陰口を叩くためだけにブログを運營するといふもつともチンケ
なまねをしてゐる。
結局「資材係」や「一無名人」、「会長」らと同じで、喜六郎は自分のことは棚に思いつ切り放り上げて、他人を誹謗しているのである。
ネツトの匿名性は、「言論の自由」を實現させるためのシステムである。「言論の自由」とは、「博士」でも「大臣」でも「ニート」でも「アニオタ」でも意見を出すことができ、優れた意見は「ニート」や「アニオタ」の意見であつても取り上げられ、価値が無ければ「博士」や「大臣」の意見であつても捨て去られる、つまり全ての意見が同等に扱はれることをいふ。ネツトは發言者をすべて匿名にすることでそれを實現できるはずなのだが、陰口をいくら言つても「名無しの權兵衛」だから責任をとる必要はない、ぐらゐにしか喜六郎らは考へてゐない。ちようど「いぢめ」の加害者が、「みんながやつてたから」「だれも止めなかつたから」と集團にまぎれることで自身の責任を免れようとするのと同樣に、ネツトの匿名性によつて責任を回避できると考へてゐるのである。でなければ自分の言動に對する責任をここまでないがしろにできるはずがない。それは「言論の自由」の「惡用」にほかならないのだが、無責任な人間がどうして他人の責任を論ふことができようか。他人を軽佻浮薄
だのチンケ
だのいふならば、わが軽佻浮薄
チンケ
ぶりをなほしてからである。
ところで喜六郎のブログは自分を賢者と思いこむ愚者を笑い飛ばすブログ
なのださうだ。自分は愚者
を笑ひ飛ばせる賢者
だとでもいふのだらうか。笑ひ飛ば
されてゐるのは誰なのだか。
「おうさまははだかだ!」と
子どもが得意になつて騷いでゐるが
王樣はちやんと服を着てゐて
子どものはうが下着すらはいてゐなかつたといふ
寓話
アニメの「らきすた」の第2話でこなたたちが「女性向きのリラツクスできる齒醫者」つて話をしてて、實際にあつたらいいだらうな、と思つてゐたら、ほんとにあるやうだ。
アロマテラピー
とか、マツサージ
とか、音樂
とか、劇中でいつてたやうなことをほんとにやつてるさうだ。
でも高輪か。埼玉からは遠いなあ。
あでもみゆきは田園調布住まひらしいから通へるか。でも、齒醫者さんはやつぱりいやです
…て、なんでみゆきは田園調布から埼玉の學校に通つてるんだ。1時間半もかかるぢやないか。
けふ友人Sと書店に行くと、児童文學コーナーに目が止まつた。青い鳥文庫やフォア文庫があつたからですが。まあ文庫ものはかういふのもアリなのかな。
と思つてたら。
フォーチュン・クエストが児童文庫のコーナーにあつた。まあほかのスニーカー文庫に比べれば子ども向けでもいいのかもしれませんが。しかし20年近くも前のシリーズですよ。まあ今でも續いてゐるらしいですが。最近のフアンタジーブームに乘つかつたんでしようか。
書店を出たあとSに上記のやうな話をして、それから狼と香辛料の話をして、非オタのSに「主役は狼少女で」といつたあとに、「『ウソつき』といふ意味ぢやないからね」と念を押したら、「さういふ意味だと思つた」といはれた。「若い狼女」といつたはうがよかつたかな。
NHKBSで「スター・トレック」をやつてるのでたまにみてるのですが。エンタープライズ號の操舵士に「ミスターカトウ」がゐますが。
ブルース・リーも「ミスターカトウ」つて役をやつてますよね。
「カトウ」つて歐米人になぢみやすい名前なのでせうか。
つてなことを「ローマ人の物語」を讀んでてふと思つた。
大カトー。
小カトー。
つて「スタトレ」のはうのミスターカトウつてのは日本版での呼び名で、原版だとヒカル・スールー
なのね。
すんづれいしました。
けふの晝休み、職場で先輩が
「『雲の手』つていつて、友達から送られてきたんだけど、沖縄で年に何回か起こる自然現象で、幸福のしるしなんだつて」と携帶の畫象をみんなに見せてゐた。
ぼくも見せてもらつたんだけど、へえと思つてぐぐつてみたら。
チエーンメールでした。
しかも實はかなり下品な。
まあ、先輩やほかのみんなは幸福のしるし
と思つてゐるやうなので、黙つてゐましたが。赤外線でやりとりしちやつたりしてたし。
でも見た人の多くが「なんか氣味惡いね」と最初いつてゐたのだけど、それは當つてゐたわけか。
『電王』最終回見逃した、といふか録り逃した……
AQUOSの地上波デジタルチユーナをHDDレコーダに接續して録畫してゐるのですが、レコーダの予約は入れてあつたのだけどAQUOSのはうの設定を忘れてた。晝前に起きて、録畫メニユーを見てみたらなにも映らなかつたのでそこでやつと氣附いた。
しやうがない、DVD出るまで待つか。7月か…遠いな……
なんで地デジチユーナを通してゐるかといふと、ぼくの住んでる地域はUHFの電波状態が惡く、まともに映らないことさへある。でも地デジなら實に鮮明に映るので、かういふしちめんどくさい手順を踏んでゐるわけです。
ただ、レコーダが地デジチユーナに對應してゐないので、チユーナのデジタル信號をアナログに變換し、それをレコーダでデジタルに再び變換して記録するわけなのであまり畫質はよくない。アナログを直接録畫するのとあまり變らない。まあ映らないよりましなのですが。
ところでまへにぼくは「地デジ移行はTVの終焉を招く」と書いたんですが、實をいふと地デジに期待してた。理由は前述のとほり。まへに使つてたTVがぼつこれたのでこの際だからとAQUOSに買ひ換へたのである。ノイズが無いのはいいなあ。
ネツトがTVにとつて代はる日はまだまだ遠さうだし。
職場で同僚が「夕食は鏡餅の雜煮だ」といつていたので、たしかにけふ11日らしい。
うちではいつも7日に鏡餅を片附けてしまふので7日だと思つてゐた。
さういへばこの正月は1回しか餅食つとらんし。
全然「傅傳統的」な暮らしをしとらんなア。
「かがみもち」を飾つたといふことで。
だつちゆーの。
今年も「舊かなづかひロリコンイラストサイト」ですのでよしなに。
さてずつと「闇黒デー」を續けてきたわけですが、すでに「闇黒日記」は復活してゐるわけで、いつまでも「闇黒日記」スタイルシートを使用してゐるのもなんだかな、と思つてゐたのですが。
最近ありみかさとみさんのねこめしにっきの更新が止まつてゐるし、さとみかんも停止してゐる。
ぼくがHTMLやCSSのについて興味を持ちだしたのは、野嵜さんやありみかさんの影響が大きいのですが、ありみかさんのwebでの活動が停止してゐるのは殘念なことであります。
そこで、といふのもなんですが、ありみかさんのサイトのスタイルシートのカラーを參考にした「ぴんく闇黒」スタイルを使用し、野嵜さんやありみかさんへのリスペクトとしたいと思ひます。
ありみかさん、お子さんもお生まれになつていろいろとお忙しいこととは存じますが、たまにはwebにも顏を出してください。
新年といふことで縁起物。
これを描きながらふと「パイレーツ」つて今なにしてんのかなーとか思つてみたり。
本年もよろしくお願いいたします。
BOOKOFFで『ヒストリエ』を立ち讀みして氣にいつたので、新刊をけふ買つてきて讀んでたら。
アラララライ
で吹き出してしまつた。
關係あるのかしら。
友人Sと長岡に遊びに行つた時。
驛前に長岡辯のアヒルのCMで新潟縣民にはおなじみの高野不動産の看板がありまして。
Sが軍オタだつたのでふと思つて聞いてみた。
「高野不動産て山本元帥となんか關係あらんだか」
「さあ?」
けふスタバに行つてラテを飲んで上記のことをふと思ひ出しました。
スタバはやつぱラテらてね。
なぜ見てるんです!
「仮面ライダー剣」いまさらながら見てるんですが。
そんなに滑舌惡いかなあ? 普通に本當に裏切つたんですかー!
に聞こえるし。
おれも滑舌惡いから普通に聞こえるだけだつたりして。
でも後期OPの歌ひ出しは「タカナルツルギ」に聞こえて「高鳴る劔」なんてかつこいいぢやんと思つたんですが。