見るたびに思ふんだけど、なんで自演乙は女の子のコスプレで出てくるんだらう。普通にしてれば結構かつこいいのに、女の子コスすると途端にキモくなる。
あーいふ、男が女の子のキヤラのコスプレするつてのは、そのキヤラと一体になりたい、といふ心理なんだらうけど、フアイターなんだから強いキヤラ、それこそTBSなんだからエドとか刹那とかのコスすればいいのに。
なんならアルとか00とか。
しかし今回は殘念な結果には終はつたが、今後も「コスプレフアイター」を貫き通してもらひたいものである。人と違ふことを1度始めたら、死ぬまでやるべきだ。
ぼくは歴史的かなづかひは「正しい」と思つてゐるから使つてゐる。
爺氏が言ふには、「歴史的かなづかひは『科學的』でも『正しい』わけでもなく、現代仮名遣いはすでに定着してゐるし、實用的である。歴史的かなづかひはそれこそ古典を讀むための「訓詁の學」、趣味や教養であればよい」とのことである。
しかし、爺氏は歴史的かなづかひを使つてゐるのである。「正しく」もないものをなぜ使ふのか。
あるいは、「自分にとつて歴史的かなづかひはあくまで趣味であつて、『正しいかどうか』で使つてゐるわけではない」と爺氏は言ふかも知れない。
だが「正しいかどうか」でないのであれば、つまりは「どうでもいい」ことでしかない。「どうでもいい」ことを、正しいかどうか論ふ必要はない。逆に「正しいかどうか」を論ふのであれば、結果「正しくない」と結論した物を用ゐるのは「正しくない」。
つふか。
これもまた「闇黒日記2.0」でとうにいつてることである。爺氏が、いかに「蒸し返し」してゐるか、といふことだ。
いつもありがたうございます。
100年後、日本語がさらに變化して、現在の「現代仮名遣い」とあはなくなり、改訂された、としよう。
すると100年後の日本人は、「現代仮名遣い」と歴史的かなづかひ、そして「旧現代仮名遣い」の3種類のかなづかひを學ばなければならなくなる。
さらに100年經てば、「現代仮名遣い」と歴史的かなづかひ、そして「旧現代仮名遣い」、さらには「旧々現代仮名遣い」の4種類を學ばなければならなくなるのだ。
それは1部の研究者だけのはなしであつて、一般人はその時々の「現代仮名遣い」を使ふだけかもしれない。かくして「歴史的かなづかひ」はいよいよ「訓詁の學」となり、日本人はますます過去と「斷絶」するのであつた。
件の記事はあへて権威主義的
に書きました。どんなに説明してもまるで聞き入れられず、「専門家が『歴史的かなづかひは科學的だ』といつた證據があるんでしよ? あるんだつたら出してくださいよ」としつこくいつてきてたものだから、圖書館で本を見付けたので、それこそ「専門家」がいつたことだ、これなら「聞く耳」持つか、と思つて「權威」をふりかざしてみた。
ところが向かうは聞くことはなく、往々にして、幾ら答えても納得されません
でした。全く三宅さんのおつしやるとほりでした。
正直、ぼくももう附き合い切れ
ません。