ぼくがATOK—連文節變換で文章を入力するときは、頭の中に文章はありません。これから打ち込まうとする「ことば」はあるけど、「文字」は存在してゐない。
と打ち出さうとする場合、頭の中には文章としては存在してゐなくて、ただこれから打ち出さうとする「ことば」として存在してゐる。それをキーボードで入力して、畫面に出して、スペースキーを押して變換し、適宜確定していく、といふ手順で「文章」にする。
つまり、腦にある「ことば」を手で「文章」にしているのです。
それがSKKだと一旦「今日はとても良い天氣です」と腦内で文章として「想起」してからでないと打ち込めない。漢字とかなを明確にしておかなければならないからです。さらに「今日」「はとても」とことばを細切れにして打ち込まないとならないから、ぼくにしてみると餘計に「不自然」に感じる。
SKKは打ち込む時點で漢字かかなか決めておかなければならないが、連文節變換はとりあへず「ことば」を1度打ち込んでしまひ、漢字かかなかはあとで決める。たとへて言ふなら、10Kgの荷物を運ばうとするのに、連文節變換は5Kgづつ2度に分けて運ぶのに對し、SKKは10Kg1度に運んでゐる、といふ感じです。
前に書いた「きょうはとても〜」と1つの文章として入力できる連文節變換のはうが日本語の語意識にあつてゐる
といふのは實際にSKKを使つてみて、なほさう思ひました。
しかし、結局は「慣れ」の問題なのかもしれませんが。なきさんはまづ最初に頭の中で漢字かなまじり
で想起して打ち込むやうだし、それならばSKKのはうがあつてゐるかもしれない。腦内で「今日は」「とても」と考へて入力すればさう不自然には感じないでせう。
ぼくも小さい「っ」を打ち込むときは「無意識に」シフトキーを押してるし。
確かにSKKでも訂正
はできますが、それは打ち込んだ後のことであつて、その點はSKKでも連文節變換でも變はりありません。ぼくがSKKと連文節變換の違ひについて述べてゐるのは最初に打ち込むときの話です。
単語登録
については了解です。
ぼくが文章を打ち込むときは上記のやうなメソツドに基づくわけですが、SKKだと違ふメソツドになる。それは連文節變換を使つてゐるぼくがSKKを使はうとするのは、外國語を身につけやうとするのと同じことなのではないでせうか。
どうしてもSKKを使はなければならないならその時は使ひますが、今のところその必要もありませんし。