時代の斜めうしろ

前を向くことを許さない日本人

(2011年6月17日 22:52)

上記で批判されてゐる、朝日新聞の6/7號の「許して前を向く日本人」を讀んでみた。ぼくはいがらしみきおさんの「ぼのぼの」や「ネ暗トピア」が好きなので、どんなことを書いてるのか、見てみたかつたのである。

人を信じることが出来ないので、自分はどこから来てどこへ行くのか、この世界はいったいなんなのか、なぜ生まれてきたのか、そんなことばかりを考えてきたはずなのだ。

いがらしさんは、特定の宗教を信じてゐるわけではないが、上記のやうな素朴な信仰心は抱いてゐるやうだ。だがいがらしさんは人を信じることが出来ないが、日本人はみんながみんな、まるで信仰のように人を信じてゐる、日本人のみならずいがらしさん自身も許すことでしか前を向けないことに我々はもう気がついているのではないだろうかと結んでゐる。

だが日本人は、「許して前を向く」ことができるのかどうかと、ぼくは思つた。「許して前を向く」のではなく、「前を向くことを許さない」のではないか。「許す」のではなく、「忘れる」「無かつたことにする」ことで、日本人は苦難を逃れてきた—乘り越えるのではなく—のではないか。

「原爆」に關して言へば、「忘れる」と言ふよりは「忘れさせられた」と言ふ面が大きいと思ふが、とまれ原爆を忘れ、原發を次々に建てて、過去の地震や津波、施設の構造的欠陥や老朽化を無かつたことにしたせいで、あれほどの災害を招いてしまつたのではなかつたか。

「忘れる」ことで「前を向く」わけでもない。「忘れた」「無かつたことにした」ことを蒸し返すことは許されない。蒸し返すこと—問題をあへて提起することは「前を向く」第一歩である。少なくとも原發では、樣々な問題が無かつたことにされ續けた。「前を向く」ことは許されなかつたのである。

これは原發に限つた話ではなくて、飛躍するが明治維新や大正デモクラシーの民主化運動を無かつたことにして、帝國憲法の時代は人權が抑圧されてゐたが、日本国憲法の成立によつて—自分たちで作つたわけでもないのに—日本は最早一端の民主主義國だと自讃してゐたり、假名遣ひの傳統を無かつたことにして現代仮名遣いを用ゐたりと、「無かつたことにした」ことで日本人は前進したと思ひ込んでゐるが、實は問題から目を逸らしてゐるだけなのである。

「忘れる」ことは「前を向く」のではなく「同じ失敗を繰り返す」第一歩に他ならない。苦難から顏を背け、逃げるのは「乘り越える」ことにはならない。苦しくても、「忘れる」べきではないのである。

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