4回見ました。
音樂も氣に入つたのでサントラを買いました。聴いてゐると各シーンを思ひ出してしまひ、また見に行つてしまひました。
都合、5回見ました。
「序」がTV版のダイジエストであつたのに對し、「破」は基本的なストーリーは變はらないものの、餘計な物は削ぎ落とし、しかし新たな要素も加えて物語に擴がりが増してゐる。
しかし月の血痕は、<!-- 以下ネタバレにつきコメントアウト -->
あと「正かな派」としては、「ヱ」と「ヲ」はいらんだろ、と思ふのですが、いやこれにも意味があるのか? どうも「エヴァ」は勘ぐつてしまふ。
24日午後11:35新潟發。
見たか乘つたぞムーンライトえちご。
見てのとほり、舊式の特急車兩を使用してゐるので、夜行といつてもシートは普通。となりに人がゐなかつたので無理無理横にはなれたのでよほど樂だつた。乘つたことがある友人Sは「夏は冷房効かせすぎで寒いぞ」といつてゐたが、薄手のジヤンパー1枚で平氣だつた。つーか帰りは醉つてそのまま寢てしまつたけど全然平氣だつた。Sは痩せてて寒さに弱いんだ。
酒飲んで起きると新宿に着いた。明けて25日朝5:10。
さすがにどこもなにもやつてないので、都廳行つてみたりする。
新宿をぶらつきながら朝飯をどうしよう、東京來てまでマツクや松屋、てのもな、と思ひつつ、銀座から皇居まであるいてみて、なんか適當なところに入らう、と思ひ立つてメトロで銀座へ。
メトロを出て皇居方面に歩いていくと。
歌舞伎座があつた。
一應、この邊は1度とほつたことがあるので、歌舞伎座なんてあつたつけ? と思ひながらさらに進むと、築地に出た。
さすがにあれ? と思つて地圖を見直してみると。
ええさうです。逆方向でした。
まあせつかく築地まで來たので、市場の朝飯を食べることにした。
築地どんぶり市場の市場丼。朝つぱらから豪勢だ。
うまいけれど、それほどでも? ふだん新潟の魚と米を食つてるせいかな。まぐろほほ肉ステーキ丼にすればよかつたか。
腹ごしらへもできたので、メトロで皇居方面へ。
予定にうるさいホテルはなんだ。
かゆいところに塗る武将はなんだ。
なんこう。逆光は勝利!
代々木公園から皇居周邊を散歩してゐると9時になつたので、最初の目的の國立國會圖書館に向かふ。
今回の目的はまづはガンダムだけど、國立國會にも1度行つてみたかつたのだ。樂しみはあとあと。
日本の知の殿堂。
國立國會はレフアレンス専門で、閲覽室で自由に閲覧できるのは二次資料、目録や辞典の類のみで、一時資料すなはち通常の圖書や雜誌はカウンタで頼まないと閲覽できない。しかも館外持ち出しはできず館内閲覽のみである。しかしそれ二次資料だけでも膨大な量を誇つてゐる。見て回るだけで1時間以上かかつた。
國立國會を一回りすると晝になつたので、晝の目當てにしてゐる淺草に行くことにした。
これが凶つていふやつかな
晝は淺草の大黒屋別館で食べることにしてゐた。前に職場の旅行でここで天丼を食つて氣に入つたので、東京に來ると食べに來てゐるのである。
ところが。
この日は臨時休業だつた。本館にも行つてみたがやつぱり休み。
すつかり當てが外れてしまひ、とりあへず仲見世の揚げ饅頭で空腹を抑へて、まづ淺草寺を參拜することにした。
お參りし、おみくじを引いた。番號は「77」、おつ、いい數字だと引き出しを開けて取り出した。そしたら。「凶」。
ああ、なるほど。
さらにあとの話になるのだけど、コインロツカのキーを落としてしまひ、辨償することになつてしまつた。たしかに「失せ物出ず」つて書いてあつたよ。
くじは枝に結んで厄落としし(落ちきつてなかつたみたいだけど)、晝をどうしようかと思つて淺草を歩き回つたけど、雷門の近くに三定があるのを見附けてここにすることにした。
メトロに廣告があつたのを覺えてて、もし見つけたら入らう、と思つてゐたのだ。やつぱり天丼。
うまかつた。大黒屋のは天ぷら自體もつゆもかなり濃い目だけど、ここはあつさり目。
ところで友人Sに、「淺草行くんだつたら神谷バー寄つてみたら。おみやげに電氣ブランよろしく」といはれたんだが、サイトで見たら火曜定休だつたんで、一應確認してみたんだが、
やつぱり休みでした。
さて一度新宿に戻りおみやげを買ひ揃へよう、と思つてメトロの藏前驛に向かふとその途中で、
なんだこのビルは。
バンダイ本社でした。台東區にあるとは知らなんだ。
新宿驛でおみやげをそろへて、いよいよガンダムに行くことにした。山手線で新橋へ、ゆりかもめに乘り換へ。
さすがにゆりかもめは混んでゐた。
お台場驛に着くと、さらに人の波。ニユースで見てはゐたが、さすがに多い。實は後にしたのは、時間が遲いはうが人が少ないかな、と思つたんだけど、そんなことは無かつたぜ。
會場の潮風公園の林を抜けると。
後ろ。
横。
おおおおおお〜。
壓倒される存在感。ただそこにあるだけなのに。ガンダムが實在するといふ實感。ただ見てゐるだけで胸が躍る。
觸れる、といふので並ぶと途中で止められた。何かと思つてゐると。
動き出した! といつても首が少し回つて、スチームを噴き出すくらゐだけど。突つ立つてるだけでも感激なのに。
かういふギミツクがあるとは聞いてゐたけど、見れるとは思はなかつた。
どこから見ても繪になるぜ。
興奮しながら一旦會場を出て、アクアシテイでおみやげを見てゐると終了の8時近くになつてきたので最後にもう1回見ておくことにした。
日が落ちてライトアツプされてゐたがこつちのはうが迫力があるかもしれない。
8時になり、ライトも落ちたので大滿足で帰らうとすると。
アナウンスが「8時45分よりガンダム結婚式を行ひますので、お時間のある方はどうぞご參加ください」。今日だつたのか。
しかし「ガンダム前」結婚式とは。ガンダムは「神樣」になつたらしい。
いや、ガンダムは神だ。この巡礼者の群れを見よ。終了前が1番人が集まつてゐた。
新宿に戻り、歌舞伎町の天下一品でラーメンを食つて帰りのムーンライトに乘りこんだ。
25日午後11:10新宿發。
さらば東京。
ただいま新潟。26日朝4:51。
準優勝おめでたう。
今回のタイトルのこれ何年前にいはれたんだつけ。調べてみたら8年前か。つふかそんなにやつてたのかおれ。
世の中には、不思議なポリシーを持つひともいるらしく、こんな表記がネット上には有る。
でぼくの文章が擧げられてゐるのだけれども、?シ、IVE(DIVE)
豬キ逋セ蜷?3(海百合3)
とタイトルが盛大に文字化けしてゐるのはなんなんだらう。
とまれ。
近代日本語にとっては、歴史的仮名遣いを現代かなづかいに変えて、良かったと思う。もう、歴史的仮名遣いの世界は、汚染されることなく残り続けるわけだから。
また別の記事だけど、
福田恒存の『私の国語教室』とか、国語教育について政治的に負けた恨みの強さに辟易して読みきらなかった私ですが、旧かなが使われなくなったのは、近代日本語にとってはいいことじゃないかと思う。変体少女文字で記される旧かな、コギャル言葉で記される旧かな、アスキーアートにまみれる旧かな、そういうものに耐えなくても良くなったのだから。
歴史的かなづかひを文化財、あるいは骨董品と思つてゐるらしい。研究、鑑賞の對象だと。それこそ「つふか」、現代かなづかいはいくら汚染
されてもかまはない、といふのだらうか。
yanoz氏がいふ現代かなづかい
とは内閣告示「現代仮名遣い」そのものではなく、告示を元として現代の日本で使用されているかなづかひを指すのだらうけど、コギャル言葉
やアスキーアート
は現代かなづかいであつても「耐へがたい」ものである。あるいはそれらが、現代かなづかいによつて生まれた素晴らしい日本語だ、とでもいふのだらうか。
yanoz氏は
小飼弾が「傷つく前の日本語」として想定しているらしい「歴史的仮名遣い」もまた、歴史的に復元され作られた仮名遣いであり、それが規則として普及したのは明治政府の言語政策の結果に他ならない。明治政府の言語政策が、どんな言語も傷つけ無かった、とは言えないわけである。
さらには
今や、「現代かなづかい」の方が、歴史的仮名遣いよりも長い伝統を持っているのだ!
とまでいふのだが。
現實に、歴史的假名遣は「あつた」のだから仕方がない。そして、今でも、私が「ここ」で書いてゐるのだし、「ある」のである。
紫式部、清少納言、藤原定家、吉田兼好、鴨長明、飯尾宗祇、松尾芭蕉、小林一茶、本居宣長、契沖、式亭三馬、......、これらの人々の用ゐた假名遣と、夏目漱石、森鴎外、與謝野晶子、芥川龍之介、或は、小林秀雄、保田與重郎、福田恆存、松原正、......、これらの人々の用ゐた(用ゐてゐる)假名遣と、實際にどれほどの違ひがあると言ふのか。
「彼ら」の書いた文章の假名遣ひと、現代の「我々」(私を除く)が書く文章の假名遣ひとを比較して見れば良い。明かに「彼ら」の假名遣ひは歴史的假名遣であり、「我々」の假名遣ひは「現代仮名遣」である。ならば、歴史的假名遣は「あつた」のだし、「ある」のだ。
白石氏やその他の「歴史的假名遣は明治政府のでつち上げ」説を唱へる人々は、尤もらしく理窟を言つてゐるに過ぎない。しかし、「明治政府がでつち上げた」と云ふのは、實際にはなかつた事で、ただ、「あれば歴史的假名遣を否定するのに都合が良い」から、理論として採用されたに過ぎない。即ち、「明治政府によるでつち上げ」説こそでつち上げだつたと云ふ訣だ。」
野嵜さんもぼくも、明治政府が用ゐてゐたものを「歴史的かなづかひ」と呼んでゐるわけではない。「かなづかひの歴史」そのものを歴史的かなづかひと呼んでゐるのである。
漱石や一葉の使つてゐたかなづかひが現代かなづかいに近いものである、といふか漱石や一葉、當時の日本で使用されてゐたかなづかひを研究、體系化してできたのが「現代かなづかい」であるならばぼくも「現代かなづかい」を使ふ。しかし實際の「現代かなづかい」は1部の人間が政治的に決めたものであり、かなづかひとして正しいものではない。だからぼくは「現代かなづかい」に非ざるもの=「歴史的かなづかひ」を使ふのである。普及してゐやうが定着してゐやうが間違つてゐるものは間違つてゐる。yanoz氏も、福田恒存の『私の国語教室』とか、国語教育について政治的に負けた恨みの強さに辟易して読みきらなかった
さうだけど、福田氏の主張自體を否定はしてゐない。まあ明治政府が用ゐてゐた「契沖かなづかひ」が、體系としてもつともよくまとめられてゐるので、ぼくらのかなづかひもそれに近いものになつてゐるでせうが。
それにしても、ぼくはwebにおける現代語歴史的かなづかひの代表は野嵜さんのサイトだと思つてゐたのだが、ぼくなんかが「例」でよいのだらうか。さておき。
日々の業務であつかう報告書なり企画書なりを、奈良や平安の伝統をふまえた規則を覚えた上で書かなければいけないなんて理屈には、いまさら誰も説得されはしないだろう。
しかし「説得されしない」にかかはらず、「現代かなづかい」も奈良や平安の伝統をふまえた規則
なのである。
現代かなづかいは眞空からぽこつと飛び出てきたわけでもない。それこそ歴史的かなづかひをベースとした、表音主義の「パツチ」でしかない。奈良や平安のかなづかひがあつて、「現代」のかなづかいも成立してゐるのである。
いつてしまへば、「現代かなづかい」も「歴史的かなづかひ」なのである。正確に言へば「現代かなづかい」は「歴史的かなづかひ」の1部なのだ。ちよつとまへに『かなづかい入門』といふ新書が出て、サブタイトルがズバリ歴史的仮名遣VS現代仮名遣
なのだけれど、この2つは對立することはない。現代仮名遣
は歴史的仮名遣
に含まれるのだから。「現代かなづかい」の對義語として「歴史的かなづかひ」といふ「ことば」があるだけで、「現代かなづかい」が生まれてゐなければ「歴史的かなづかひ」は「歴史的」などと頭につくことはなく、ただ「かなづかひ」と呼ばれてゐただけである。
しかし「現代かなづかい」は、かなづかひの歴史上誰も使つたことがない。最初「現代かなづかい」として告示され、その後「現代仮名遣い」に改正されるのだけれど、告示される前はむろん、された後も誰も使つてはゐない。完璧に「現代仮名遣い」に從つてかなを使つてゐる人など誰もゐない。告示と實際に使はれてゐるかなづかひが同じならばそれこそコギャル言葉
やアスキーアート
が存在するわけがない。なぜなら「現代仮名遣い」自體が「完璧」ではないからだ。「特例」が存在する以上、完全な規則であるとはいひがたい。ぼくが表音主義の「パツチ」でしかない
といつたのはさーいふことである。
文字の用法もまた、時代や場所によってさまざまだったのであり、「万世一系」の文字体系が日本語として時代を貫いていたなんてこともありえないことなのだった。発話の世界がさまざまな方言のそれぞれの変化のなかで多様であったように、文字使用も多様であった。
漱石には漱石の、一様には一葉のかなづかひがあつて當然である。ことばは1人1人違ふ。書き言葉のみならず、話しことばも實は人それぞれに違ふ。しかしコミユニケーシヨンが成立するのは、大部分で共通してゐるからにすぎない。違つてゐる部分をそれぞれ自身で補完してコミユニケーシヨンが成り立つてゐる。あるいは、違ふ部分を補ひ切れずデイスコミユニケーシヨンが起こるのである。しかしその各人で違ふはずの、それこそ多様
であるべきかなづかひを「みんな一緒にしろ」といふのが告示「現代仮名遣い」なのである。
「現代仮名遣い」は告示として、よりどころ
といひながら事實上強制されてゐる。だが告示としての「現代仮名遣い」も「常用漢字」も廢止すべきである。「歴史的かなづかひ」の「押しつけ」はダメで、「現代仮名遣い」が押しつけられるのはよいといふyanoz氏の基準は、ぼくには分からない。
現代かなづかいも政治から解放されるべきだ。現代かなづかいが、本當に現代の日本に定着してゐる、現代日本語にふさはしいかなづかひであるのならば、国家によつて強制される必要はあるまい。
なにより、現代かなづかいによってしか伝えられない情感を、私たちは、ほとんどその中に呼吸するように、生きてしまっているという伝統をすでに長く持っているのであり、英語の文法や表記が不合理の塊であるのを受け入れることも英語の伝統につながることであるように、現代かなづかいを使うこともまた、戦後の断絶によってしか明らかにならない日本語の伝統につながるということなのだ。
yanoz氏は自分の言葉は現代でのみ通じればよい、後生に殘らなくてもよい、と考へてゐるやうだ。なぜなら、現代かなづかいは文字通り現代
でしか通用しないことばだからである。「現代仮名遣い」が使はれ續けるとしても、いづれ話し言葉の實態にあはなくなつてゆき、改訂される日が來る。話し言葉に合はせるのが「現代仮名遣い」の「理念」だからである。だがさうなると今の「現代仮名遣い」はそれこそ「旧仮名遣い」になつてしまひ、旧「現代仮名遣い」で書かれた文章は讀めなくなつてしまふ。現代かなづかいによってしか伝えられない情感
は次の時代へ傳へることはできないのである。
英語の文法や表記が不合理の塊
とはいふけれど、ぼくは學生時分、英語の勉強をしてゐて「合理的だなア」と感心することがしばしばだつたけど。つふか英語に限らず、言語にある法則性を研究、體系化したものをそもそも「文法」と呼ぶのぢやないだらうか。不合理の塊
がなぜ研究
の對象たりえるのだらうか。
戦後の断絶
といつても、ぼくは断絶
なんかしてゐないと思つてゐる。戰前の精神主義が戰後物質主義に轉換しただけで、良くも惡くも「和を以て貴しとなす」精神性の根本は變はつてゐない。断絶
したやうに思へるとすれば、それこそ「現代かなづかい」でことばが「新しく」なり、「日本国憲法」で「民主主義国家」になつた、やうに思ひ込んでゐるだけだ。
本當に断絶
してゐるとすれば...ぼくは斷絶したままではいけないと思ふ。
つふか
やさーいへば
が「歴史的かなづかひ」として正しいのか、といはれるかもしれない。
つふか
は「といふか」の略ではありますが、さーいへば
はぶつちやけふざけてます。だけど『東海道中膝栗毛』だとそふいはネヘ
みたいなかなづかひが出てきます。これは「さういはねえ」と書くべきですが、江戸時代ではわりと普通に使はれてゐたらしい。
「そら見ろ『歴史的かなづかひ』なんか使つてゐなかつたではないか」といはれるかもしれませんが、しかしこれは「ふ」を[ウ]、「へ」を[エ]と讀む、すなはち「歴史的かなづかひ」があつたからこその表記です。『膝栗毛』だつてそもそも本文は歴史的かなづかひで書いてあります。「つふか」や「さーいへば」が『膝栗毛』のかなづかひとそんなに變はるものでもないでせう。
「現代仮名遣い」は強制だから、規則に從つてきつちり書くことが要求される。だから「歴史的かなづかひ」もさうだと思ひ込み、「つふか」や「さーいへば」に目くじら立てることになる。
しかしそれこそそふいはネヘ
は江戸時代の変体少女文字
とでもいふべきものでせうが、これは汚染
ではないのでせうか。
ツてどんだけ正月氣分だつたんだ、しかも去年と同じ發想だし。これまた畫像に大きな畫像へのリンクがあります。
實は下繪はすでに1月には描いてあつたんだがスキヤナで取り込んだはいいがどういふわけか手を着ける氣がせず今の今まで放置プレイ。デスクトツプにうつちやつてあつたので「塩漬け」といふよりはさしづめ「日干し」か。ふと開いてみて「よしやろう」と思い立つとすぐできた。この7ケ月はなんだつたんだ。
背景に使つたクロアゲハも上げておく。例によつて大きな畫像にリンク。