Zeit und Zeit
(2009年12月26日 22:42)
あさりよしとおさんの『まんがサイエンス』から思ひ出した。手元にないので正確な引用ではないけれど。
時間と時計についての回で、解説役の時計怪人が時計の進歩について子供達に教えるのですが、調速機は振り子、テンプ、クオーツ、そしてセシウム原子とより精度が高くなつてきたのだ、と説明したところで、
「ところで、最も正確な時計はなんだか分かるかい」
と子供達に聞いてくる。
「そりや原子時計でしよ」
と當然答へるのだが、
「しかし地球の自轉は正確に24時間ぴつたりといふわけではない。遲くなつたり速まつたり、原子時計もそれにあはせて調節してゐるんだ」
「ぢやあ自轉にぴつたり一致する『日時計』が一番正確つてこと!? そんなバカな!」
とずつこけ、時計怪人が「まあこじつけだけどね」と自分で突つ込む。
そんな回がありました。
まあクリスマスも宣傳による定着のはうが大きいのかもしれない。ヴアレンタインデーの定着を見ればそんな氣がします。ハロウインだつて商業的にはかなり定着してきてゐるし。
ぼくも客商賣なので、「クリスマスフエア」はばつちりやりました。
でもまあ価値觀や信仰心など自覺的でなくても、新年を前に一騷ぎして年忘れ、といふ心理はあるのではないでせうか。
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>でもまあ価値觀や信仰心など自覺的でなくても、新年を前に一騷ぎして年忘れ、といふ心理はあるのではないでせうか。
その通りで、あると思います。ただしその辺は個人的感想の域を出ません。その話なら異議はないのですが、「かつては節分が年忘れの行事だつたのではないか」に基づいて居るとするなら、それは間違いです。節分は四つの季節の最後の日を指して居るので「年忘れの行事」とは限りません。仮に立春の前日に限るという条件を附けても旧暦では十二月だったり一月だったりします。一月に「年忘れの行事」はをかしい。
いろいろ余計な事を書いて居るので分かり辛かったのかも。旧来の慣行を鵜呑みにして考えると筋の通らない事があるという、それだけの事を言いたかったのです。
今年の節分は舊暦の12月20日となつて「年末」ですが、來年は1月1日、さ來年は1月12日となつてしまひ、たしかに「年末の行事」とはいひがたいやうです。
日本では「年忘れの行事」てのはもともとは無くて、「すす拂ひ」をして身も心も清め、静かに新年を迎へるのが本來だつたのかもしれません。
一騷ぎする年忘れはやはり「商賣」による日本人の習慣の變化なのでせうか。なんか「世知辛い」ですが。
今年もよろしくお願ひいたします。