「讀み」「書き」
(2009年12月26日 18:18)
音聲言語は耳と口によつて、文字言語は目と手によつてやり取りされる。といふことは、聲と字が、完全に一致することはありえない。視覺と聽覺を置き換へることは不可能だからだ。
最終的には兩方とも腦の言語野で處理されるとしても、視覺野か聽覺野に入つて來て、出て行くときには手か發聲の運動野、と別の經路をたどる。文字ははじめ音聲を表す記號として生まれるが、その後乖離していく。これは文字は定着性があるが音聲は瞬間的であるため、といふ説明がなされるが、腦内での經路の違ひ、そして神經自體の經路も關係してゐるのかもしれない。
なにをいはんとしてるかといふと、歴史的かなづかひで事足りてたんだから、わざわざ發音にあはせて現代仮名遣いなんか作らなくてもよかつたんぢやないか、といふこと。
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「そんな事はいいから歴史的假名遣が科學的な事を示せ」と云ふ爺氏のコメントが來ると豫想。そして、如何なる説明も、兔に角けちをつけて却下するのが、爺氏のやり方。爺氏の論理こそ非科學的なのですが、非科學的な人だから爺氏が自分の非科學性を認識する事はありません。トンデモさんは自分がトンデモだと認識しない。ただもつともらしい言葉を言ひ續けて因縁を附け續ける。困つたものです。
歴史的假名遣が、ありとあらゆる書き言葉の事象の意味を説明するもので、「書かう」でも「書こう」でもともに「正しい」ものとして説明してしまふのなら、「意味を説明する」ものでこそあれ、科學的でも何でもありません。が、「現代仮名遣」における「書こう」の背後に「書かう」がある事を示し、そこに組織的な體系がある事を示すならば、それは世界3に實在するものを示すものであり、科學的だと言ふ事が出來ます。その組織的な體系としての實在を我々は歴史的假名遣と呼ぶわけです。
> 「そんな事はいいから歴史的假名遣が科學的な事を示せ」と云ふ爺氏のコメント
> が來ると豫想。
あはは、外れ。佐藤さんにはもとより野嵜さんにもその根拠を示せない事はよう
くわかりましたから、今更そんな無駄な事はしません。何より、もう自分で「科
学的とは言へない」と納得しましたから。(ダメモトで聞いてみてもやっぱり無
駄でしたし。)
それとも、それを示せる自信ができたから、爺から尋ねて欲しいのですか?
> そして、如何なる説明も、兔に角けちをつけて却下するのが、爺氏のやり方。爺
> 氏の論理こそ非科學的なのですが、非科學的な人だから爺氏が自分の非科學性を
> 認識する事はありません。トンデモさんは自分がトンデモだと認識しない。ただ
> もつともらしい言葉を言ひ續けて因縁を附け續ける。困つたものです。
「如何なる説明も」って、説明なんて一度でもしてもらいましたっけ。説明らし
き主張が出てきて、それを爺が少し問ひ質そうとすると、頭が固いだ、非科学的
だとの非難が始まり「説明」は立ち消え。困ったものです。
> 歴史的假名遣が、ありとあらゆる書き言葉の事象の意味を説明するもので、「書
> かう」でも「書こう」でもともに「正しい」ものとして説明してしまふのなら、
> 「意味を説明する」ものでこそあれ、科學的でも何でもありません。が、「現代
> 仮名遣」における「書こう」の背後に「書かう」がある事を示し、そこに組織的
> な體系がある事を示すならば、それは世界3に實在するものを示すものであり、科
> 學的だと言ふ事が出來ます。その組織的な體系としての實在を我々は歴史的假名
> 遣と呼ぶわけです。
うーむ、折角反証主義の大御所に言及してゐながら、しかもその「反証主義」は
簡単だと嘯いてゐながら、それをあっさり放り出して、何か別の論拠を借りて来
ようといふ訣ですか。つまりは「反証主義」は諦めたのですね。
ところで、ここで何が科学的だとおっしゃってゐるのかよくわかりませんが、
「組織的な体系」なんでせうか。さうだとすると、体系が組織的であれば科学的
であるといふ前提に立ってゐると?うーむ、凄い long shot ですね。それにして
も、そもそも歴史的假名遣ひはどんな体系なんですか?
>つまりは「反証主義」は諦めたのですね。
?
ポパーの反證主義を御存じないのですか。
>「組織的な体系」なんでせうか。
そもそもポパーは、反證主義以前に實在主義であるわけですが?
私は、書き言葉の領域における世界3の實在としてのXが「ある」と言つてゐるのですが。そして、所謂歴史的假名遣がそのXであると言つてゐるのですが。
全てポパーの考へ方に基いてゐます。
「反證できるかどうか」ですが、歴史的假名遣は反證できます。「現代仮名遣い」はできません。「現代仮名遣い」だと、全ての規則について意味を説明してゐますが、それには反論も批判も出來ません。けれども歴史的假名遣の規則には反論も批判も出來ます。
爺氏は、言語について考へる事に危惧を抱いてゐますが、「言語と云ふ事實」に危惧を抱く必要はないでせう。