「荒らし・粘着はスルー」といふのが“ネットマナー”とされてゐるが、野嵜さんは「“スルー”は荒らし・粘着を容認することだ」と主張してゐて、そのため粘着には徹底的に批判する。
すると批判された粘着は大抵かう言ふ。「こつちを粘着だと言ふなら、野嵜だつて粘着ではないか」と。
これは反論にはなつてゐない。
「自分は粘着ではない」と論證するなら—“粘着”以外の何物でもないことがほとんどなのだが—これは“反論”ではある。
しかし「お前も粘着だ」と言ふのは反論ではなく“居直り”でしかない。「〈たしかに粘着は惡いことだ、だが〉こつちを粘着だと言ふなら、野嵜だつて粘着ではないか」と、粘着が“非”であることを認めた上で、しかし責任を他者に押し附けてゐるからだ。責任を轉嫁したところで、自分の“非”が消えるわけではない。
…出前? ちよつと違ふな。自分で用意した食材を外で調理してもらつて持ち帰つて食べるのつてなんて言ふんだろ。
フランスでは假綴じの本を買つて、業者に依頼して製本するさうだけど。
この場合、本そのものには著作權はなくて、中身の印刷物にある、といふことになるのだらうか。
日本では最初から出版元が製本した本が商品として賣り出されるわけで、出版元に“製本”の著作權があり、“個人”の範圍を超えてしまふ“自炊代行”はアウトと言ふことになると思ふ。
むかしファミコンのカセツトコピー機なんてのがあつたな。…つて今でも「マジコン」つてのがあるのか。
就活は3年生からが當たり前、1年生でも早過ぎはしない、つて時代になつてしまつたやうだ。
しまひにや受驗生の段階から「この大學に入つてかういふ勉強をしますから、貴社に就職を希望します」とかなつたりして。
…そりやある意味まちがつちやいないのか。進學つてのは卒業後の進路も見越してだから。
“青田買ひ”を通り越して“苗買ひ”? “籾買ひ”? “先物買ひ”?
近所のスーパー行つたら「食玩」のコーナがあつて、男の子向けと女の子向けで分けてあつて、「ボーイズ」「ガールズ」とポツプが立ててあつた。
「ボーイズ」には「ゴセイジャー」とか「仮面ライダーオーズ」とか、「ガールズ」には「プリキュア」とか置いてあつたんだが。
「エヴァ」のフィギュアが「ガールズ」に置いてあつた。
いやまあ、たしかに女の子のフィギュアではあるけど。「ガールズ」。うーん「ガールズ」……
この商品は「BOX」、いはゆる「大人買ひ」なので注意。
バンダイのサイトを見てたら「けいおん」の食玩もあつたんだけど、これはその店には無かつたが、どつちに置かれるんだらう。
たぶん理解できないと思ふ。
野嵜さんがたしかもし高校野球のマネージャーが妹だったら
つてツイートを書いてたと思ふが見付けられなかつた。ラノベぢやん
と突つ込みが入つてたと思ふ。
ちよつと前までは、『らきすた』とか『とらドラ』とか、短いタイトルが流行つてたけど、“揺り戻し”てるのかしら。
21世紀版映像の世紀が作られるとしたら、それについて確実に言えることはツインタワーに突っ込む航空機から始まるだろうということ以外に何かあるだろうか。私はあると思う。
それは20世紀版より面白くないだろうということだ。
「21世紀版映像の世紀」第2集の最初の映像は、今回の尖閣事件の流出映像になると思ひます。
事件そのものの重要性ではなく、「映像が、マスコミの手を離れた象徴」として。
「この屏風のトラを縛ることが出來るか?」
「かしこまりました。ではトラを屏風から追ひ出してください」
「危ないから縛れと言つておるのぢや!」
これも『ねないこだれだ』に竝ぶスタンダード。
ぼくが望むのは對等な議論だ。對等でありさへすれば全く正反對の意見でも耳を傾ける。議論は互ひに對等の立場が無ければ成り立たない。
だが「年長だ」「經驗者だ」と氣取り自分を“上”に置いたり、「味噌つ滓」「負け犬根性」と相手を“下”に見たりしてゐては“對等”に議論は出來ない。それは議論ではなく、「負け犬根性の味噌つ滓は、大人しく年長の經驗者に從へばよいのだ」といふ、ただの押しつけでしかない。
それに「年長」「經驗者」といふのは自分でことさら吹聽するものではない。言動が伴つてゐなければなほさら輕蔑されるだけだ。
そもそもネツトで「年長」「經驗者」だと言つたところで意味がない。「爺」と名乘つたところで實際は10代かもしれないし。