Twitter / コシヌケ1040:http://sep.2chan.net/dat/45/src/1286363483610.jpg 明大前はなぞの薬局。
先日病院に行つて、處方箋をもらひ、藥局で藥を出してもらふやう言はれたんだけど、どこの藥局に行つても處方箋を受け附けてくれなささうで弱つた。
どの藥局にも書いてあるんだ、「処方せん」つて…
『日本人の知らない日本語2』を讀んでたら、外國人は忍者が好きなので忍者の話題になり「忍者は『素破(すつぱ)』とも呼びます」と先生が言つたら「ぢやあ『すつぱだか』も忍者のことですか」と生徒に聞かれてしまひ、「そんな變態忍者いやだ」と思はず突つ込んでしまつた、というエピソードがあつたけど、「ウィザードリィ」だと忍者は「すつぱだか」のはうが強いんぢやなかつたつけ。
twitterのスラングとして有名な「なう」だけど、讀みがいづれ「ノウ」になつたりして。やってくれたなう。
これを掲げる黨があつたら票入れるんだけど。特に1。
文章を入力するときでも頭の中には「文章」は無い、といふ話を前にしましたが、ペンで紙に書くときはどうだらう? と思つて、書きながら思考をトレースしてみたが、ぼくはやつぱり「文字」は思ひ浮かべてゐない。
ATOKで入力するときと同樣、頭の中にはやはり「文字」としては存在してゐなくて、ただこれから書かうとする「ことば」—なきさん風に言へば「音」—として存在してゐる。
難しい漢字を書かうとするときはその「字」を思ひ浮かべるけど、ふつうに文章を書くときは文字はほとんど腦裏には出てこない。1文字1文字、ここはかな、ここは漢字と決めながら書いてゐるわけではなく、無意識のうちに手がかなと漢字を書き分けてゐる。
だからぼくにしてみると1文字ずつ漢字/平仮名を決定していく(=手書きにきわめて近い)
といふことにはならないのです。
言つてしまふと、キーボードではローマ字にしてもかなにしても漢字を直接入力することはできない。連文節變換にしてもSKKにしてもどう頑張つても手書きと「同じ」にはならない。ぼくにしてみれば「漢字かなまじり」では考へてはゐないので、一々漢字かかなか決めながら入力しなければならないSKKよりも、一連の文章をひとまづ入力してしまへる連文節變換のはうがどちらかといへば「手書きに近い」と感じます。
ぼくがSKKを使はうとするのは、外國語を身につけやうとするのと同じことなのではないか
とこれも前に書いたけど、ぼくがSKKを使ふとき、文章として「想起」してからでないと打ち込めないのは、つまりSKKを使ふときのメソツドが腦内に無いからではないでせうか。
ちようど英語の文章を考へやうとすると、バイリンガルでない限り「今日はとても良い天氣です」は"It is very fine today."と一旦訳さなければならない。實際のところ"It is very fine today."くらい一發で出ますが。
とまれバイリンガルであれば一々訳さないで頭に浮かぶらしい。つまり日本語のメソツドと英語のメソツドが腦内にあり、日本語なら日本語、英語なら英語でそれぞれ思考できるそうだ。
なきさんが言ふとほり6ヶ月もSKKを使つてゐればSKKのメソツドが腦内に構築され、ATOKと同樣一々文章として「想起」しなくても打ち込めるやうになるかもしれない。
個人的にはskkはキー操作がカスタマイズ出來れば使つても良いと思つてゐる。漢字の部分は大文字、かなの部分は小文字で打込む。
KYOUhatotemoYOiTENKKIdesu."
このはうが使ひやすいかも。
最初は佐藤さんの言われる「ことば」と「文字」の違いがわからなかったけど、「ことば」とは私の感じている「音」に対応するということになりますかね?
さういふことになると思ひます。なきさんも「漢字かなまじり」で想起してゐるわけではないのか。ぢやあほんとに「慣れ」の問題だといふことになるのでせうか。
そういえばチアダンス。こなた達が卒業生だからじゃないんですかね?文化祭だけど。
であれば、みさおとあやのも一緒になりますよね。なんであの組み合はせになつたのか。
「ダンスがうまい」なら「こなた・かがみ・みゆき・みなみ・みさお」となりさうだし、「見榮え」なら「こなた・ゆたか・みゆき・パティ」となりさうだし。
ぼくがATOK—連文節變換で文章を入力するときは、頭の中に文章はありません。これから打ち込まうとする「ことば」はあるけど、「文字」は存在してゐない。
と打ち出さうとする場合、頭の中には文章としては存在してゐなくて、ただこれから打ち出さうとする「ことば」として存在してゐる。それをキーボードで入力して、畫面に出して、スペースキーを押して變換し、適宜確定していく、といふ手順で「文章」にする。
つまり、腦にある「ことば」を手で「文章」にしているのです。
それがSKKだと一旦「今日はとても良い天氣です」と腦内で文章として「想起」してからでないと打ち込めない。漢字とかなを明確にしておかなければならないからです。さらに「今日」「はとても」とことばを細切れにして打ち込まないとならないから、ぼくにしてみると餘計に「不自然」に感じる。
SKKは打ち込む時點で漢字かかなか決めておかなければならないが、連文節變換はとりあへず「ことば」を1度打ち込んでしまひ、漢字かかなかはあとで決める。たとへて言ふなら、10Kgの荷物を運ばうとするのに、連文節變換は5Kgづつ2度に分けて運ぶのに對し、SKKは10Kg1度に運んでゐる、といふ感じです。
前に書いた「きょうはとても〜」と1つの文章として入力できる連文節變換のはうが日本語の語意識にあつてゐる
といふのは實際にSKKを使つてみて、なほさう思ひました。
しかし、結局は「慣れ」の問題なのかもしれませんが。なきさんはまづ最初に頭の中で漢字かなまじり
で想起して打ち込むやうだし、それならばSKKのはうがあつてゐるかもしれない。腦内で「今日は」「とても」と考へて入力すればさう不自然には感じないでせう。
ぼくも小さい「っ」を打ち込むときは「無意識に」シフトキーを押してるし。
確かにSKKでも訂正
はできますが、それは打ち込んだ後のことであつて、その點はSKKでも連文節變換でも變はりありません。ぼくがSKKと連文節變換の違ひについて述べてゐるのは最初に打ち込むときの話です。
単語登録
については了解です。
ぼくが文章を打ち込むときは上記のやうなメソツドに基づくわけですが、SKKだと違ふメソツドになる。それは連文節變換を使つてゐるぼくがSKKを使はうとするのは、外國語を身につけやうとするのと同じことなのではないでせうか。
どうしてもSKKを使はなければならないならその時は使ひますが、今のところその必要もありませんし。
結論は最低でも6ケ月後くらいになるでしょうが、どんな感想になるのか今から楽しみです。
すでに續けて使はうとはぼくは思はなかつた。
と結論はでてゐます。
JustSystemsのATOK年鑑によると、連文節変換システムになったのは1985年から。SKKは1987年から開発がスタートしているので、確かに単文節変換の復活と言えなくもないけど、現在となってはどちらも四半世紀も前のことだから「復活」という表現はいかがなものかしらね(時間軸で考えた場合)。
SKKの歴史については不勉強でしたが、そんな昔からあつたのか。といふことは「復活」ではなく、「生き殘つてゐた」といつたはうがいいか。
自分は単語登録が魅力なんですけどね。
ATOKは「省入力」機能によつて前に入力した語彙やよく使はれる言ひ回しは數文字入力してタブキーを押せば出てくる。単語登録
する必要がないのです。
繰り返しになりますが、ATOKに慣れてるのでSKKにはそれほど魅力を感じなかつた、といふのがぼくの「結論」ですね。
おもしろい操作感覺ではある。
とはいへ續けて使はうとはぼくは思はなかつた。
ぼくがかな入力とATOK(特に文語—正字正かなと省入力)に慣れてしまつてゐるのと、SKKであつても結局候補から選擇するのにスペースキーを押し續けなければならない。だつたら連文節變換と變はらない。
それにSKKを使つてて思ひ出したのだけど、たしかぼくが10年以上前に使つてたワープロがかーいふ「單文節變換」だつた。いふなればSKKは「舊くて新しい」入力メソツドなのである。昔のワープロだと「無變換」キーを使つてかなを確定してゐたところを逆にShiftキーを先に入力することによつて、變換すべき箇所を指定してゐるのが「新しい」と言へる。
今IMEは連文節變換が主流だけど、辞書や變換精度はさすがに100%とはいかない。だつたら、最初からユーザが變換箇所を指定してしまへばいいといふのがSKKである。しかし先述したとほり、結局は候補の選擇はスペースキーを押し續けなければならないわけで、その點でぼくにはそれほど優れた方式だとは思へない。
それにまた先述したやうに、最初日本語入力は單漢字變換から始まり、そして單文節、さらに連文節變換へと進歩してきた。野嵜さんが「SKKは日本語の文法を無視してゐる點で日本語入力メソツドとしては欠陥品である」と主張してゐるのだけれど、SKKのやうな單文節變換が「今日」「はとても」「良」「い」「天気」「です。」といふやうに日本語を「漢字」と「かな」といふ「部品」として扱ふのに對し、連文節變換ではひとまづ「きょうはとてもよいてんきです。」と入力し、最後に變換する。今現在IMEで連文節變換が主流なのは、「今日」「はとても」と区切らなければならない單文節變換よりも「きょうはとても〜」と1つの文章として入力できる連文節變換のはうが日本語の語意識にあつてゐるからではないだらうか。
しかしさつきもいつたとほり、連文節變換の精度に不滿があるならば、SKKといふ選擇肢もあることは惡くはないと思ふ。
いや逆か。連文節變換に不滿があるからSKKといふかたちで單文節變換が復活したのか。
最近野嵜さんや徳保さんとの間で話題になつてゐるのでどんなものかためしに1回使つてみようか、と思つてMacOSXで使へる「AquaSKK」を見てみたが。
かな入力に對應してないつぽい。
まあぼくも野嵜派—書いた文章をあゝだ斯うだと弄り囘し、訂正に訂正を重ねて、擧句、清書し直すタイプ
—なので、想起された文章を複写する
ためのSKKはあまり向かないと思ふ。