音聲言語は耳と口によつて、文字言語は目と手によつてやり取りされる。といふことは、聲と字が、完全に一致することはありえない。視覺と聽覺を置き換へることは不可能だからだ。
最終的には兩方とも腦の言語野で處理されるとしても、視覺野か聽覺野に入つて來て、出て行くときには手か發聲の運動野、と別の經路をたどる。文字ははじめ音聲を表す記號として生まれるが、その後乖離していく。これは文字は定着性があるが音聲は瞬間的であるため、といふ説明がなされるが、腦内での經路の違ひ、そして神經自體の經路も關係してゐるのかもしれない。
なにをいはんとしてるかといふと、歴史的かなづかひで事足りてたんだから、わざわざ發音にあはせて現代仮名遣いなんか作らなくてもよかつたんぢやないか、といふこと。
Wikipediaには書かれていないけれども洗脳だから嫌だよ。日本の政治による表記の押し付けは戦後から始まった。から
そうなるとそんな人が従うべき仮名遣いは改革以前の人が従っていた物しか残っていない。の記事。
「歴史的かなづかいも明治政府の押しつけである」、「夏目漱石や樋口一葉は歴史的かなづかいでは書いていない」といふ、「現代仮名遣い擁護派」の主張。
しかし、「漱石や一葉が歴史的かなづかいでは書いていない」のならば、「押しつけ」ではないではないか。福田恆存や丸谷才一、いや「漱石や一葉」さへ「現代仮名遣い」になほされてしまふのは「押しつけ」でなくてなんなのだらう。
100年後、日本語がさらに變化して、現在の「現代仮名遣い」とあはなくなり、改訂された、としよう。
すると100年後の日本人は、「現代仮名遣い」と歴史的かなづかひ、そして「旧現代仮名遣い」の3種類のかなづかひを學ばなければならなくなる。
さらに100年經てば、「現代仮名遣い」と歴史的かなづかひ、そして「旧現代仮名遣い」、さらには「旧々現代仮名遣い」の4種類を學ばなければならなくなるのだ。
それは1部の研究者だけのはなしであつて、一般人はその時々の「現代仮名遣い」を使ふだけかもしれない。かくして「歴史的かなづかひ」はいよいよ「訓詁の學」となり、日本人はますます過去と「斷絶」するのであつた。
前述の、『岩波講座日本語』の續き。
つふかページとしては前になるけど。
「定家仮名遣」について。
定家の場合は、昔の基準によっているという意味で、歴史的仮名遣といえることになる。
ぶれがあつたかなづかひを定家は統一したのであるが、「定家仮名遣」といつても何も定家が恣意的に決めたものではなく、文献に據つてゐるのである。
「契沖仮名遣」について。
注目されることは、総論で『行阿仮名遣』が「世俗流布の仮名にまかせて」信じがたいことを指摘したあと、「是によりて、今撰ぶ所は、日本紀より三代実録に至るまでの国史......万葉集......及び諸家集までに、仮名に証すべき事あれば、見及ぶに随ひて、引て是を記す。」と述べて、自己の立場をはっきりとさせていることであろう。そのことは、契沖の『万葉集代匠記』精撰本(1690(元禄3)年)の「集中仮名の事」で、古書の仮名遣を調べることの大切さを説いていることとも結びつく。
「行阿仮名遣」は「定家仮名遣」を増補したものであるが、長年「手本」とされてたそれに契沖は異論を唱へてゐる。契沖もやはり文献に據り、定家を批判してゐるのであり、いはば「反證」してゐるのである。
さらに。
しかし、中には上田秋成の『霊語通』(1699(寛政9)年)のように、定家・契沖の双方を批判の上、「古則(契沖)今話(定家)いづれによるとも......何の是非をかいふべき。......おもふにまかせてかいつけおくなりけり。」という立場の人も出ている。
「定家」、「契沖」などの「かなづかひ」は全く無批判に受け入れられてゐたわけではなく、さまざまな反論、異説が唱へられ續けてゐた、とこの章(ア)歴史的仮名遣では述べられてゐる。
「かなづかひ」に限つたことではないが、日本語の研究は近代に入りヨーロツパから近代言語學が輸入され、上田萬年により科學的な日本語學が始まる以前から、實證的、反證的に研究がなされ續けてきたのである。日本語の研究が始まつたのは遠藤氏によれば漢字の傳來からである。當然のことで漢字は「外國語」なのだから外國語を學ぶためには自國語を知らねばならない。
その仮名(万葉仮名と仮名文字)は、いずれにせよ、中国語と音構造を異にする日本語を表記するものである。そのためには当然、いろいろの工夫がなされたことであろう。例えば、由(ユウ)が由美(弓)のユという音節を表わす仮名として用いられたり、あるいは、相模や因幡をサガミとかイナバと読んで表記する。そのためには、二つの国の言葉の違いへの認識が前提となるわけだから、仮名の発生は、日本語研究のあらわれの一つと考えられないでもない。
そもそも、科學的近代日本語學からみて、「定家」や「契沖」らが、資料としてまるで無価値であるならば、1章を費やして取り上げたりはしない。
石塚龍麿について。
(畧)そのほか今日の目から見れば、検討を要する点がありはするが、昭和の年代以降の上代国語研究のうえに、本書がはたした役割は、まことに大きいといってよい。
またP212〜4語法において「てにをは」--助詞をはじめとした「品詞」や「活用」の研究が早いうちから始められてゐたことも示されてゐる。
「錬金術」は、現代から見れば「科學」とは呼びがたい代物ではあるが、錬金術を始祖とする「化學」や「物理學」が科學ではないかといへば無論そんなことはない。同樣に、近代日本語學が成立する以前の日本語研究が「科學」とは呼び得ないとしても、日本語學が「科學ではない」、といふことにはならないのである。
「科學」といふ言葉自體は中世にすでにあつたらしいが、現代のそれとは意味が違ふ。當然のことで現代でいふ「科學」の概念が當時なかつたのである。契沖や宣長がいまと同じ意味で「科學」と使つてたらそれこそ言語史が覆る「大發見」である。
...て今回書いたことつて、とうに、つふか最初の段階で野嵜さんがいつてることなんだよなこれ。まあいいや、あらためて勉強になつた。
圖書館で興味深い本を見附けた。
この人々(筆者註;東京の國立大學で言語學を學んだ人々)は当時ヨーロッパで学問の主流をなしていた比較言語学・言語史の研究という課題を日本に持ち込み、方言の研究にも正式な学問としての座を与えるなど、従来なかった考え方に立った。それまでの日本語の研究が作歌、作文、あるいは古代語
後の訓詁・注釈の延長上にあり、それらのための技術という観点から出発していたに対して、このヨーロッパ言語学を学んだ人々は、日本語研究をまず科学でなければならないとした。そして、科学として最先端にあるヨーロッパの言語学をもって日本語及び日本語研究を律しようとした。
大野氏はいはずと知れた日本語學の第一人者であり、また上記のこの人々
の1人である橋本進吉氏の弟子である。つまり日本語研究をまず科学でなければならないとした
系統の研究者である。
(畧)結論として要約すれば、従来の日本の言語学者に日本語を正面から科学的言語研究の対象として取上げる姿勢が弱かった点がまずあげられる。そしてこれは日本人が明治以降一貫して西欧のことばかりに気を取られていたことの反映であり、止むを得ないことである。
さう、大野氏、鈴木氏といつた「専門家」が「日本語學は科學である」といつてゐるのである。
歴史的假名遣ひが「国家の規範」になつた時点(明治初期)より後である事は間違ひなささうですね。
歴史的假名遣ひが「国家の規範」になつた時点(明治初期)
?
ああ、爺も「歴史的假名遣ひは明治政府が決めた」と思つてゐるわけか。明治政府は當時使用されてゐたかなづかひをそのまま行政や教育に用ゐただけであつて、「規範とした」わけではないのだが。それこそ「現代仮名遣い」のやうに「國民はすべからくこれを『規範』とすべし」といつたわけではない。
つまり、関連の有無を問ふまでもなく、歴史的假名遣ひが決められる前にはそもそも科学的国語研究はなかつた、といふ事になります。
歴史的假名遣ひが決められる
以降、すなはち「定家假名遣」の時點ですでに、いやいや「万葉假名」の時點で「科學的」であつた、と爺はいつてゐるのである。やうやく、爺も分かつてくれたやうだ。わらひ。
今回のタイトルのこれ何年前にいはれたんだつけ。調べてみたら8年前か。つふかそんなにやつてたのかおれ。
世の中には、不思議なポリシーを持つひともいるらしく、こんな表記がネット上には有る。
でぼくの文章が擧げられてゐるのだけれども、?シ、IVE(DIVE)
豬キ逋セ蜷?3(海百合3)
とタイトルが盛大に文字化けしてゐるのはなんなんだらう。
とまれ。
近代日本語にとっては、歴史的仮名遣いを現代かなづかいに変えて、良かったと思う。もう、歴史的仮名遣いの世界は、汚染されることなく残り続けるわけだから。
また別の記事だけど、
福田恒存の『私の国語教室』とか、国語教育について政治的に負けた恨みの強さに辟易して読みきらなかった私ですが、旧かなが使われなくなったのは、近代日本語にとってはいいことじゃないかと思う。変体少女文字で記される旧かな、コギャル言葉で記される旧かな、アスキーアートにまみれる旧かな、そういうものに耐えなくても良くなったのだから。
歴史的かなづかひを文化財、あるいは骨董品と思つてゐるらしい。研究、鑑賞の對象だと。それこそ「つふか」、現代かなづかいはいくら汚染
されてもかまはない、といふのだらうか。
yanoz氏がいふ現代かなづかい
とは内閣告示「現代仮名遣い」そのものではなく、告示を元として現代の日本で使用されているかなづかひを指すのだらうけど、コギャル言葉
やアスキーアート
は現代かなづかいであつても「耐へがたい」ものである。あるいはそれらが、現代かなづかいによつて生まれた素晴らしい日本語だ、とでもいふのだらうか。
yanoz氏は
小飼弾が「傷つく前の日本語」として想定しているらしい「歴史的仮名遣い」もまた、歴史的に復元され作られた仮名遣いであり、それが規則として普及したのは明治政府の言語政策の結果に他ならない。明治政府の言語政策が、どんな言語も傷つけ無かった、とは言えないわけである。
さらには
今や、「現代かなづかい」の方が、歴史的仮名遣いよりも長い伝統を持っているのだ!
とまでいふのだが。
現實に、歴史的假名遣は「あつた」のだから仕方がない。そして、今でも、私が「ここ」で書いてゐるのだし、「ある」のである。
紫式部、清少納言、藤原定家、吉田兼好、鴨長明、飯尾宗祇、松尾芭蕉、小林一茶、本居宣長、契沖、式亭三馬、......、これらの人々の用ゐた假名遣と、夏目漱石、森鴎外、與謝野晶子、芥川龍之介、或は、小林秀雄、保田與重郎、福田恆存、松原正、......、これらの人々の用ゐた(用ゐてゐる)假名遣と、實際にどれほどの違ひがあると言ふのか。
「彼ら」の書いた文章の假名遣ひと、現代の「我々」(私を除く)が書く文章の假名遣ひとを比較して見れば良い。明かに「彼ら」の假名遣ひは歴史的假名遣であり、「我々」の假名遣ひは「現代仮名遣」である。ならば、歴史的假名遣は「あつた」のだし、「ある」のだ。
白石氏やその他の「歴史的假名遣は明治政府のでつち上げ」説を唱へる人々は、尤もらしく理窟を言つてゐるに過ぎない。しかし、「明治政府がでつち上げた」と云ふのは、實際にはなかつた事で、ただ、「あれば歴史的假名遣を否定するのに都合が良い」から、理論として採用されたに過ぎない。即ち、「明治政府によるでつち上げ」説こそでつち上げだつたと云ふ訣だ。」
野嵜さんもぼくも、明治政府が用ゐてゐたものを「歴史的かなづかひ」と呼んでゐるわけではない。「かなづかひの歴史」そのものを歴史的かなづかひと呼んでゐるのである。
漱石や一葉の使つてゐたかなづかひが現代かなづかいに近いものである、といふか漱石や一葉、當時の日本で使用されてゐたかなづかひを研究、體系化してできたのが「現代かなづかい」であるならばぼくも「現代かなづかい」を使ふ。しかし實際の「現代かなづかい」は1部の人間が政治的に決めたものであり、かなづかひとして正しいものではない。だからぼくは「現代かなづかい」に非ざるもの=「歴史的かなづかひ」を使ふのである。普及してゐやうが定着してゐやうが間違つてゐるものは間違つてゐる。yanoz氏も、福田恒存の『私の国語教室』とか、国語教育について政治的に負けた恨みの強さに辟易して読みきらなかった
さうだけど、福田氏の主張自體を否定はしてゐない。まあ明治政府が用ゐてゐた「契沖かなづかひ」が、體系としてもつともよくまとめられてゐるので、ぼくらのかなづかひもそれに近いものになつてゐるでせうが。
それにしても、ぼくはwebにおける現代語歴史的かなづかひの代表は野嵜さんのサイトだと思つてゐたのだが、ぼくなんかが「例」でよいのだらうか。さておき。
日々の業務であつかう報告書なり企画書なりを、奈良や平安の伝統をふまえた規則を覚えた上で書かなければいけないなんて理屈には、いまさら誰も説得されはしないだろう。
しかし「説得されしない」にかかはらず、「現代かなづかい」も奈良や平安の伝統をふまえた規則
なのである。
現代かなづかいは眞空からぽこつと飛び出てきたわけでもない。それこそ歴史的かなづかひをベースとした、表音主義の「パツチ」でしかない。奈良や平安のかなづかひがあつて、「現代」のかなづかいも成立してゐるのである。
いつてしまへば、「現代かなづかい」も「歴史的かなづかひ」なのである。正確に言へば「現代かなづかい」は「歴史的かなづかひ」の1部なのだ。ちよつとまへに『かなづかい入門』といふ新書が出て、サブタイトルがズバリ歴史的仮名遣VS現代仮名遣
なのだけれど、この2つは對立することはない。現代仮名遣
は歴史的仮名遣
に含まれるのだから。「現代かなづかい」の對義語として「歴史的かなづかひ」といふ「ことば」があるだけで、「現代かなづかい」が生まれてゐなければ「歴史的かなづかひ」は「歴史的」などと頭につくことはなく、ただ「かなづかひ」と呼ばれてゐただけである。
しかし「現代かなづかい」は、かなづかひの歴史上誰も使つたことがない。最初「現代かなづかい」として告示され、その後「現代仮名遣い」に改正されるのだけれど、告示される前はむろん、された後も誰も使つてはゐない。完璧に「現代仮名遣い」に從つてかなを使つてゐる人など誰もゐない。告示と實際に使はれてゐるかなづかひが同じならばそれこそコギャル言葉
やアスキーアート
が存在するわけがない。なぜなら「現代仮名遣い」自體が「完璧」ではないからだ。「特例」が存在する以上、完全な規則であるとはいひがたい。ぼくが表音主義の「パツチ」でしかない
といつたのはさーいふことである。
文字の用法もまた、時代や場所によってさまざまだったのであり、「万世一系」の文字体系が日本語として時代を貫いていたなんてこともありえないことなのだった。発話の世界がさまざまな方言のそれぞれの変化のなかで多様であったように、文字使用も多様であった。
漱石には漱石の、一様には一葉のかなづかひがあつて當然である。ことばは1人1人違ふ。書き言葉のみならず、話しことばも實は人それぞれに違ふ。しかしコミユニケーシヨンが成立するのは、大部分で共通してゐるからにすぎない。違つてゐる部分をそれぞれ自身で補完してコミユニケーシヨンが成り立つてゐる。あるいは、違ふ部分を補ひ切れずデイスコミユニケーシヨンが起こるのである。しかしその各人で違ふはずの、それこそ多様
であるべきかなづかひを「みんな一緒にしろ」といふのが告示「現代仮名遣い」なのである。
「現代仮名遣い」は告示として、よりどころ
といひながら事實上強制されてゐる。だが告示としての「現代仮名遣い」も「常用漢字」も廢止すべきである。「歴史的かなづかひ」の「押しつけ」はダメで、「現代仮名遣い」が押しつけられるのはよいといふyanoz氏の基準は、ぼくには分からない。
現代かなづかいも政治から解放されるべきだ。現代かなづかいが、本當に現代の日本に定着してゐる、現代日本語にふさはしいかなづかひであるのならば、国家によつて強制される必要はあるまい。
なにより、現代かなづかいによってしか伝えられない情感を、私たちは、ほとんどその中に呼吸するように、生きてしまっているという伝統をすでに長く持っているのであり、英語の文法や表記が不合理の塊であるのを受け入れることも英語の伝統につながることであるように、現代かなづかいを使うこともまた、戦後の断絶によってしか明らかにならない日本語の伝統につながるということなのだ。
yanoz氏は自分の言葉は現代でのみ通じればよい、後生に殘らなくてもよい、と考へてゐるやうだ。なぜなら、現代かなづかいは文字通り現代
でしか通用しないことばだからである。「現代仮名遣い」が使はれ續けるとしても、いづれ話し言葉の實態にあはなくなつてゆき、改訂される日が來る。話し言葉に合はせるのが「現代仮名遣い」の「理念」だからである。だがさうなると今の「現代仮名遣い」はそれこそ「旧仮名遣い」になつてしまひ、旧「現代仮名遣い」で書かれた文章は讀めなくなつてしまふ。現代かなづかいによってしか伝えられない情感
は次の時代へ傳へることはできないのである。
英語の文法や表記が不合理の塊
とはいふけれど、ぼくは學生時分、英語の勉強をしてゐて「合理的だなア」と感心することがしばしばだつたけど。つふか英語に限らず、言語にある法則性を研究、體系化したものをそもそも「文法」と呼ぶのぢやないだらうか。不合理の塊
がなぜ研究
の對象たりえるのだらうか。
戦後の断絶
といつても、ぼくは断絶
なんかしてゐないと思つてゐる。戰前の精神主義が戰後物質主義に轉換しただけで、良くも惡くも「和を以て貴しとなす」精神性の根本は變はつてゐない。断絶
したやうに思へるとすれば、それこそ「現代かなづかい」でことばが「新しく」なり、「日本国憲法」で「民主主義国家」になつた、やうに思ひ込んでゐるだけだ。
本當に断絶
してゐるとすれば...ぼくは斷絶したままではいけないと思ふ。
つふか
やさーいへば
が「歴史的かなづかひ」として正しいのか、といはれるかもしれない。
つふか
は「といふか」の略ではありますが、さーいへば
はぶつちやけふざけてます。だけど『東海道中膝栗毛』だとそふいはネヘ
みたいなかなづかひが出てきます。これは「さういはねえ」と書くべきですが、江戸時代ではわりと普通に使はれてゐたらしい。
「そら見ろ『歴史的かなづかひ』なんか使つてゐなかつたではないか」といはれるかもしれませんが、しかしこれは「ふ」を[ウ]、「へ」を[エ]と讀む、すなはち「歴史的かなづかひ」があつたからこその表記です。『膝栗毛』だつてそもそも本文は歴史的かなづかひで書いてあります。「つふか」や「さーいへば」が『膝栗毛』のかなづかひとそんなに變はるものでもないでせう。
「現代仮名遣い」は強制だから、規則に從つてきつちり書くことが要求される。だから「歴史的かなづかひ」もさうだと思ひ込み、「つふか」や「さーいへば」に目くじら立てることになる。
しかしそれこそそふいはネヘ
は江戸時代の変体少女文字
とでもいふべきものでせうが、これは汚染
ではないのでせうか。