野嵜さんの「闇黒日記2.0」に「爺」というアンチが現れ、實に5ケ月にも渡つて粘着し續けてゐた。粘着があまりにひどかつたため野嵜さんは「闇黒日記2.0」のコメント欄やゲストブツクを閉ぢざるをえなかつた。
「ひとりごちる」の江洲さんやぼくも野嵜さんに加勢、あるいは横槍? したのだが、「爺」は慇懃無禮、馴れ馴れしい、上から目線、責任轉嫁というまさしくアンチで、さんざん非難したのでいまさらくだくだいふ氣はしない。
「爺」をKirokuroが「叱つてゐる」のだが、當然のごとく「叱つて」などおらず、仲間として大絶賛してゐるのである。それに氣をよくした「爺」がすり寄つてきて、Kirokuroものぼせあがつたのか、
爺さん、お疲れ様でした。
馬鹿3人(野嵜・江洲・佐藤)が周章狼狽する姿、非常に面白かったです。
野嵜さんの主張の是非を問ふてゐるわけではなく、野Qら
が周章狼狽
しさへすればいいただのアンチであることを語るに落ちた。「馬脚」も何もはなから分かつてはゐたことだが。
「爺」にしろKirokuroにしろ、「いまいましい」のを通り越して「おぞましい」とさへ感じる。
人間ここまで醜惡になれるのか。
いまはもう出てないやうですが、以前セブンイレブンで「チョコバナナちぎりパン」を賣つてまして。
そのパンを見かけたとき、「平成仮面ライダーフェア」のポツプがパンコーナーにありまして。
「ディケイドパン」かと思つた。
「ディケイドパン」ちやんとあつたのね。
最近野Q
などとKirokuroがいつてゐて、なんのこつちやと思つてゐたら。
主人公の阿Qは偉大な人物では全く無く、実力もないくせに自尊心が高く物事を何でも自分の都合の良い方に解釈するどうしようもない男で、最期は強盗犯の濡れ衣を着せられて銃殺されてしまうのである。
この作品をひとどおり読んでみて、ふと阿Qって誰かさんにそっくりだなと思った。
誰に似てるのかなとしばらく考えてみて、そう!あの野嵜健秀ではないか!とポンと膝を打った次第。
今後は野嵜の事を「野Q」と呼ぶことにしたい。
野嵜さんほど阿Qとかけはなれた人はゐないと思ふのだが、ぼくも阿Qにそつくりな人間には心當たりがある。アーカイブ
だのちゃんねる
だのを作り、野Q
などと仇名を付けて自分より劣つてゐると極め付け、自分は実力はあるが自尊心は低く物事を決して自分の都合の良い方に解釈したりはしない高潔な男
と精神的勝利
にふける。
今後はKirokuroの事を「KiQ」と呼ぶことにしたい。
冗談はともかく、魯迅は、Kirokuroのやうに、阿Qをただ嘲り、蔑めといふつもりで「正傳」を書いたのだらうか。違ふ。魯迅にとつて阿Qは、革命によつて救はれるべき中國民衆そのものであるはずだ。
(前略)ところが魯迅は愚民としての民衆を徹底して批判し、そのうえでそれを救おうとする。目覚めさせようとする。阿Qはそういう愚かで情けない民衆の象徴だった。
魯迅はそういう阿Qのような民衆を叩き壊し、「雄叫びをあげて一国の民を新たにすること」をめざした。
いつてしまへば魯迅は、阿Qに向けて「阿Q正傳」を書いたのである。當時の中國民衆にとどまらない、未來、世界中の阿Qに向けて書かれたのだ。
阿Qにとどまらず、「正傳」の登場人物はみな「阿Q根性」の持ち主である。阿Qが周圍の人間全てを見下して得意になつてゐるのと同樣、周圍の人間全てが阿Qを見下して得意になつてゐる。最後の「處刑」のシーンに象徴されるやうに、阿Qを諭し、導く者、阿Qを愛する者はどこにもゐない。
いや、1人だけゐる。作者たる魯迅その人である。魯迅は阿Q、すなはち民衆を愛するがゆへに、阿Qを唾棄し、さうして阿Qを救はうとしたのである。
さういふ意味でいへば、實はKirokuroは「阿Q正傳」を讀むべき人間なのである。自らの中の「阿Q」に氣付き、「阿Q」を反省し、目覺めるべきだつたのだ。しかし、阿Qが最後まで阿Qでしかなかつたやうに、Kirokuroは自身の「阿Q」を省み、目を醒ますことができない。
福田恆存氏の『私の國語教室』同樣、何を見ても何を聞いても、Kirokuroは野Q
に精神的勝利
するための道具としか思へないのである。
實際のところ、「阿Q」でない人間は「阿Q正傳」を理解できる。「阿Q」は「阿Q正傳」を理解できない。「情け無いやつだ」と、自分自身の姿だとも気付かず、阿Qを嘲笑ふだけである。そこが阿Qが阿Qたる所以なのである。
阿Qは救はれない。では魯迅が「正傳」を書いたことは徒勞であつたのか。いや、だからこそ、阿Qは救はれなければならないのである。
...なんか思はぬ結論になつてしまつた。最初はもつとKirokuroをこつぴどく叱るつもりだつたのだが。
つふか、Kirokuroをダシにした「阿Q正傳」の感想になつてゐるやうな氣がする。
「Webマガジン 月刊チャージャー」の「Dr.ホッピー」、好きなので讀んでるんだけど今月號の記事で。
ところで......。最近「風邪クスリ」のCMにお目にかからないのゥ。前からオイラが咆え続けていたように、はっきり言って検査をしなければインフルエンザであると診断できないし、諸兄のイメージのような強烈な症状ばかりがインフルエンザではないから、CMにだまされて「のど風邪」「せき風邪」とかの自己診断のもとにかぜ薬を買わせていると、結果的に感染者を野放しにして新型インフルエンザを大流行させちまう恐れがあるんで、自粛しているんだろうな。それは企業自らの判断か......?厚労省の指導か......?。
「製藥會社の自主規制」や、「厚勞省の指導」であるならイツソのこといいのだが。
ただ單に、風邪藥のCMは冬向けに作つてあるので、今の季節に流せないだけぢやないのか。TVの前で汗かいてるのに、コート着て震えられても。
いま製藥會社は夏季向けのCMを作つてゐて、でき次第流すだけだつたりして。
案外「邪推」ぢやなかつたかもしれない。冷え込んできたらCM見るやうになつてきた。
24日午後11:35新潟發。
見たか乘つたぞムーンライトえちご。
見てのとほり、舊式の特急車兩を使用してゐるので、夜行といつてもシートは普通。となりに人がゐなかつたので無理無理横にはなれたのでよほど樂だつた。乘つたことがある友人Sは「夏は冷房効かせすぎで寒いぞ」といつてゐたが、薄手のジヤンパー1枚で平氣だつた。つーか帰りは醉つてそのまま寢てしまつたけど全然平氣だつた。Sは痩せてて寒さに弱いんだ。
酒飲んで起きると新宿に着いた。明けて25日朝5:10。
さすがにどこもなにもやつてないので、都廳行つてみたりする。
新宿をぶらつきながら朝飯をどうしよう、東京來てまでマツクや松屋、てのもな、と思ひつつ、銀座から皇居まであるいてみて、なんか適當なところに入らう、と思ひ立つてメトロで銀座へ。
メトロを出て皇居方面に歩いていくと。
歌舞伎座があつた。
一應、この邊は1度とほつたことがあるので、歌舞伎座なんてあつたつけ? と思ひながらさらに進むと、築地に出た。
さすがにあれ? と思つて地圖を見直してみると。
ええさうです。逆方向でした。
まあせつかく築地まで來たので、市場の朝飯を食べることにした。
築地どんぶり市場の市場丼。朝つぱらから豪勢だ。
うまいけれど、それほどでも? ふだん新潟の魚と米を食つてるせいかな。まぐろほほ肉ステーキ丼にすればよかつたか。
腹ごしらへもできたので、メトロで皇居方面へ。
予定にうるさいホテルはなんだ。
かゆいところに塗る武将はなんだ。
なんこう。逆光は勝利!
代々木公園から皇居周邊を散歩してゐると9時になつたので、最初の目的の國立國會圖書館に向かふ。
今回の目的はまづはガンダムだけど、國立國會にも1度行つてみたかつたのだ。樂しみはあとあと。
日本の知の殿堂。
國立國會はレフアレンス専門で、閲覽室で自由に閲覧できるのは二次資料、目録や辞典の類のみで、一時資料すなはち通常の圖書や雜誌はカウンタで頼まないと閲覽できない。しかも館外持ち出しはできず館内閲覽のみである。しかしそれ二次資料だけでも膨大な量を誇つてゐる。見て回るだけで1時間以上かかつた。
國立國會を一回りすると晝になつたので、晝の目當てにしてゐる淺草に行くことにした。
これが凶つていふやつかな
晝は淺草の大黒屋別館で食べることにしてゐた。前に職場の旅行でここで天丼を食つて氣に入つたので、東京に來ると食べに來てゐるのである。
ところが。
この日は臨時休業だつた。本館にも行つてみたがやつぱり休み。
すつかり當てが外れてしまひ、とりあへず仲見世の揚げ饅頭で空腹を抑へて、まづ淺草寺を參拜することにした。
お參りし、おみくじを引いた。番號は「77」、おつ、いい數字だと引き出しを開けて取り出した。そしたら。「凶」。
ああ、なるほど。
さらにあとの話になるのだけど、コインロツカのキーを落としてしまひ、辨償することになつてしまつた。たしかに「失せ物出ず」つて書いてあつたよ。
くじは枝に結んで厄落としし(落ちきつてなかつたみたいだけど)、晝をどうしようかと思つて淺草を歩き回つたけど、雷門の近くに三定があるのを見附けてここにすることにした。
メトロに廣告があつたのを覺えてて、もし見つけたら入らう、と思つてゐたのだ。やつぱり天丼。
うまかつた。大黒屋のは天ぷら自體もつゆもかなり濃い目だけど、ここはあつさり目。
ところで友人Sに、「淺草行くんだつたら神谷バー寄つてみたら。おみやげに電氣ブランよろしく」といはれたんだが、サイトで見たら火曜定休だつたんで、一應確認してみたんだが、
やつぱり休みでした。
さて一度新宿に戻りおみやげを買ひ揃へよう、と思つてメトロの藏前驛に向かふとその途中で、
なんだこのビルは。
バンダイ本社でした。台東區にあるとは知らなんだ。
新宿驛でおみやげをそろへて、いよいよガンダムに行くことにした。山手線で新橋へ、ゆりかもめに乘り換へ。
さすがにゆりかもめは混んでゐた。
お台場驛に着くと、さらに人の波。ニユースで見てはゐたが、さすがに多い。實は後にしたのは、時間が遲いはうが人が少ないかな、と思つたんだけど、そんなことは無かつたぜ。
會場の潮風公園の林を抜けると。
後ろ。
横。
おおおおおお〜。
壓倒される存在感。ただそこにあるだけなのに。ガンダムが實在するといふ實感。ただ見てゐるだけで胸が躍る。
觸れる、といふので並ぶと途中で止められた。何かと思つてゐると。
動き出した! といつても首が少し回つて、スチームを噴き出すくらゐだけど。突つ立つてるだけでも感激なのに。
かういふギミツクがあるとは聞いてゐたけど、見れるとは思はなかつた。
どこから見ても繪になるぜ。
興奮しながら一旦會場を出て、アクアシテイでおみやげを見てゐると終了の8時近くになつてきたので最後にもう1回見ておくことにした。
日が落ちてライトアツプされてゐたがこつちのはうが迫力があるかもしれない。
8時になり、ライトも落ちたので大滿足で帰らうとすると。
アナウンスが「8時45分よりガンダム結婚式を行ひますので、お時間のある方はどうぞご參加ください」。今日だつたのか。
しかし「ガンダム前」結婚式とは。ガンダムは「神樣」になつたらしい。
いや、ガンダムは神だ。この巡礼者の群れを見よ。終了前が1番人が集まつてゐた。
新宿に戻り、歌舞伎町の天下一品でラーメンを食つて帰りのムーンライトに乘りこんだ。
25日午後11:10新宿發。
さらば東京。
ただいま新潟。26日朝4:51。
準優勝おめでたう。