時代の斜めうしろ

カテゴリ「ブログ」

First impression

(2010年6月11日 23:09)

ひよつとしたらもはやなきさんの考へ方も變はつてゐるかもしれないが、思ひ出したので書いておく。

SKKの議論の中でなきさんが、

使い込んでもいないのに悪口を言わないで

といつてゐたのだが、ぼくはこれに違和感を感じてゐた。「『使ひ込んで』ゐるくらいなら、『惡口』を言ふ必要もないではないか」と思つたからだ。

使ひ込まなければ「惡口」—批判することはできない、といふことはない。

ユーザに、使つてみよう、使ひ續けようといふ氣にさせることができないのは、製品としての「欠陥」である。使ひ込む氣がしない、乘り換へるメリツトが感じられない、といふのは正當な批判であり、「惡口」ではない。

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「次の記事」

(2010年6月 5日 22:04)

平成二十二年五月三十日
「ブログ」の使ひ勝手の惡さは異常。
檢索でひつかかつた記事を讀んで、その後の状況を知りたいと思つても、「次の記事」を表示させる事すら出來ない場合がある。過去の記事へのアクセス性を全く考慮してゐない「ブログ」のシステムが矢鱈多い。
そもそも、「ブログ」間の操作性の違ひが大き過ぎる。標準的なページ移動のインタフェイスが「ブログ」界には存在しない。これは「掲示板」でも同じ事が言へる。
2010年2月11日の記事を見た時、次の記事が何年何月であるかすらも判らない事がある。それどころか、「次の記事」に移動する爲のアンカーすらもない場合がある。あるのは「ホーム」か「最近の記事」へのアンカーだけ。「次の記事」には意地でも移動させたくない、と云ふ「ブロガー」は多いらしい。

とりあへず、「次の記事」「前の記事」へのアンカーを敷設してみました。

Movabletypeだとデフオルトではないんですよ。

參考までに、「ブログ記事」のテンプレートに追加したタグを。

<MTEntryPrevious>
  <h4>前の記事<a href="<$mt:EntryPermalink$>">「<$mt:EntryTitle$>」</a>
</MTEntryPrevious>
<MTEntryNext>
|次の記事<a href="<$mt:EntryPermalink$>">「<$mt:EntryTitle$>」</a>
</MTEntryNext></h4>

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「五十六まつり」行つてきた

(2010年5月16日 23:43)

「洋風カツ丼」はおいしいけど、ちよつと味は物足りない感じ? もう1つの新潟のB級グルメたれカツが塩辛すぎるのとある意味好対照? 洋風カツ丼はもうちよつと塩辛く、たれカツは甘くするといいかも。

水饅頭がはけてしまつたのは殘念。こんど買つてきて自分で作つてみよう。

アルパカはたしかにかはいいね。

仮面ライダーWシヨーはかーいふの見るのは初めてだつたけどけつこう面白かつた。ちやんとシナリオも「五十六まつり」にあはせて、會場に集つたお友達に「五十六のやうな立派な大人になれよ!」と呼びかけてゐるのが心憎い。


會場の近くで平和團體が活動してたんだけど、今回のまつりのテーマについてどう思つてたんだろう? 元帥が大東亞戰爭に反對してた、といつても平和主義からぢやなく「勝てないから」なんだけど。

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殘念

(2010年4月21日 20:42)

「議論をしませう」と、ぼくは爺さんにいつた。それに對する爺さんの答へは「No」であつた。

笑ひものに、つまりは「下」に見てゐる相手と「對等」の議論を望んでゐるはずがない。

爺さんにしてみれば「議論」とは「相手を笑ひものにする」ことなのかもしれないが、そんな「議論」はぼくはごめんだ。

好意的に見れば、爺さんはああいふもののいひかたしかできない人であつて、本人としては眞面目に議論してゐるつもりなのかもしれないが…

いや、それは無いな。眞劔なら「敗北主義」がどうのかうのといふはずがない。

追記;(2010年4月22日 22:30)

正直にいへば、爺さんとの「言葉のやりとり」は「勉強」にはなりました。

しかし、爺さんの「人格」は、どうしても受附られません。これはもうぼくの「好き嫌ひ」の問題でどうしやうもありません。


最後に、「糞爺」といつたことは謝ります。すみませんでした。

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大家族

(2010年4月 7日 21:44)

TVで「大家族」なんてよくやつてるけれども、大抵兩親と兄弟たくさん、という構成になつてゐる。

つまり人數が多いだけの「核家族」である。

曾祖父母、祖父母、父母、子ども、孫、玄孫…といふやうに、何世代にも渡つて人數がゐるのでなければ「大家族」とはいへないのぢやないか。

いくら人數が多くても、「核家族」を「大家族」といふのは違和感がある。

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だめもと

(2010年4月 3日 22:11)

「やはり「話」にならない」で取り上げた爺氏のブログ記事だが文中で、

「負けた」と感じ、それを「悔しい」と思ってゐる事が透けて見える

一方的に「負け意識」にこだはるのでは、「いじけ」てゐるやうにしか見えません。

敗北主義に凝り固まってゐる

「負け犬の遠吠え」

よほどぼくが「負けたこと」にして「勝ち誇り」たいらしい。かう書くと爺氏は「またまた佐藤さんの敗北主義が始まりましたね」とか極附けてくるだらうけど、それが「勝ち誇つて」ゐるのである。

透けて見えるにしか見えません、結局爺氏の印象でしかなく、「はあさうですか、そんなつもりはないんですが」としか答へやうがない。

それに、假にぼくが敗北主義悔しがつてゐやうが「正しい」ものは「正しい」のだし、爺氏が「勝ち誇つて」自信滿々であつたとしても「間違ひ」は「間違ひ」である。

敗北主義であらうがなんだらうが、ぼくの主張とはなんの關係もない。主張の是非だけを問ふべきであつて、その點でいへば爺氏の主張は「間違ひ」以前で、中身の無い「いちやもん」でしかない。

爺氏の「正しさ」がぼくの「正しさ」よりも優れてゐるのであればぼくは爺氏の「正しさ」に從ふ。しかし爺氏の「正しさ」はぼくにはまつたく「正しい」と思へない。だから從へない。それを爺氏は佐藤が愚かだから正しいことも「正しい」と分からないのだと嘲ふ。だがいつてしまへばそれは爺氏が「正しさ」を「愚か者」にも分かるやうに説明する責任を押し附けて、ぼくに理解、いや屈服を強制してゐるだけである。


何度もいふやうに眞當な議論は、互ひに得るものがある。しかし爺氏と言葉のやりとりをしてゐても何も得るところがない、それどころか時間の無駄、互ひに損をしてゐるだけである。

「議論」にならない限り、爺氏のコメントは今後も削除せざるを得ない。

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やはり「話」にならない

(2010年3月27日 21:59)

改めて書くけど、このブログは「アンチ」—眞當な批判ではなく、揶揄や中傷でしかないコメントやトラツクバツクは削除する。だから爺氏のコメントは削除してゐるのだけど、削除したコメントを爺氏はブログに轉載してゐる。

どうせ即削除されるんだから

即削除されるやうなコメント、といふことは爺氏自身が「アンチ」だと分つてゐるのである。であれば削除されても文句はいへない。

爺も少々辟易してきたところだったし、(Kirokuro さんに「相手にする価値も無い」と「粘着」を咎めらた事でもあるし)、もう没交渉にしようと思ってゐたのですが、かうやって話を蒸し返すのは何故なんでせうね、佐藤さん。

何故といはれても、ぼくが爺氏をいつ何時批判しやうが自由だし、爺氏がそれに對し反應するのも自由である。辟易してゐるのであれば、こつちがなにをいはうが没交渉にすればいいだけである。

佐藤さんが「当て擦り」を言ってゐる時は、爺も少々「揶揄」に走る傾向が有ります。それは認めます。

ぼくが蒸し返し、当て擦りしてゐるといふが、それに對して「揶揄」に走るのであれば爺氏はぼくと「同レヴエル」、爺氏もそれこそ下愚の性移るべからずといふことになつてしまふ。

もつともぼくは、相手にする価値も無いのにブログや掲示板を立ててまで粘着したことはないが。

あと、議論に詰ると「アンチ呼ばはり」に走るのも、なんだかみっとも無いです。

でも、さうでない時は爺の議論や質問は卒直で答えやうのあるものばかりではないかと思ひます。

みっとも無いもなにも、爺氏のやつてゐることは議論ではない。思ひ込みと極附け、「主觀」と「非論理」の「アンチ」であり、反證可能性がなく答えやうがない。さうでない時が無いのである。

繰り返しになるが、ぼくは「議論」は歡迎する。「アンチ」は御免蒙る。爺氏は即削除されないやうな「議論」をすべきである。

蒸し返し(2010年3月28日 21:09)

ぼくが自己弁護してゐると爺氏はいふが、「議論」とは、自分の主張への質問や反論に對し、説明や補足をして、より自分の主張の正當性を高めることであり、「自己辯護」にほかならない。自己弁護してはならないといふのであれば、爺氏は「議論」そのものを否定してゐるのである。

ともあれ、片方が敗北主義に凝り固まってゐる時に、「Win-Win」の関係を築くのは難しい。

ぼくは「議論」とは「勝ち負けの問題ではない」といつてゐる敗北主義に凝り固まってゐるといふのは、爺氏の主觀でしかないし、前にもいつたやうに無意味な「いちやもん」で「話を逸らしてゐる」のでしかない。「Win-Win」の関係以前に、爺氏は「議論」をしてゐないのである。

片方が敗北主義に凝り固まってゐる「、と極附けてゐる限り、」「Win-Win」の関係を築くのは難しい。

爺氏は自身の主張を「揶揄」「アンチ」だと自覺してゐるが、さうであれば改めるべきである。

「議論」をしませう。

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既視感

(2010年3月23日 00:08)

「御墨附き」、書きながらなんか前にも同じやうなこと書いたやうな? と思つてゐたら、書いてた。

こちらは7年前に書いた禁児賣法、つふかいはゆる「児ポ法」についての記事なんだけど、書いてる内容は今回とほとんど同じだ。

まあ、ぼくが「一貫してゐる」といへばいいか。あるいは問題が7年前からまつたく「進展」してゐないのか。

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御墨附き

(2010年3月16日 23:00)

「非健全圖書」とされるのつて、「行政が認めたエロ」つてことにならないか?

「文化が滅びる」----都条例「非実在青少年」にちばてつやさん、永井豪さんら危機感(ITmedia News) - Yahoo!ニュース

日本はそれこそ、相當「破廉恥」な國になつてしまつたやうだ。

当時も、青少年は異性への関心を持つのが健全な精神の育成だと思って描いていると説明した。異性に関心を持つことが罪悪と思って育つと、大人になった時の衝撃が強すぎる。

条例では18歳未満を青少年と規定しているが、日本では女性は16歳で結婚でき、「高校3年生の半分近くが性体験をしている」(宮台さん)という状況で、高校生の性行為を肯定的に描写した作品が対象になれば表現への萎縮効果は高い。「普通のことをしている人に対して、『お前達は悪いことをやっている』というメッセージを出すことになり、副作用は大きい」(宮台さん)

宮台氏がいふには高校3年生が性体験をするのは普通のことなのださうだ。子どもが性に関心を持つことは否定しない。ぼくだつてさうだつた。しかしそれを「實行」するかどうかは別問題だ。

青少年がセツクスをするのは普通のことだと現状をただ肯定し、なしくづしに認めてしまふのが「健全」なのだらうか。それはただ「甘やかし」てゐるだけではないのか。

例えば井原西鶴の『好色一代男』は、6歳の少年時代からの性の遍歴を描いている。1つの人間の姿を描いているのだから、単純に倫理の問題として裁断し、政治が介入するのは危険

『好色一代男』は子どもの讀むものだつたのだらうか。


正直ぼくは、かうした不健全図書は、「規制すべきだ」と思つてゐる。新潟に住んでゐるぼくに「都条例」はとりあへず關係ないけれど、しかしぼくはこの「改正」に贊成である。

都會ではどうなのかしらないけど、ぼくが住んでゐる近くのコンビニや書店ではさうしたエロ雜誌が子どもの目の觸れるやうな場所に竝べてある。無論ビニール袋をかけてあつたりシールで中は見れないやうにはなつてゐるが、半裸以上のおネーちやんが誘ふやうな表情を浮かべる、十分に劣情を催す表紙はばつちり見えてゐる。

一應、一般の書店やコンビニに竝ぶやうな雜誌は「それなり」の、「大人しめ」の内容で、「棲み分け」てゐるらしいが、ぶつちやけ「使用目的」は同じなのだから、意味のある「自主規制」だとは思へない。それこそ里中満智子先生がいふやうに、表現がエロと感じるかそうでないかは見る人次第で、人はそれぞれ別個の感性を持っている。ぼくはぶつちやけさーいふのを見るのは「嬉しい」が、「不快」しか感じない人もゐるのである。

無論、さうした雜誌は「未成年」の購讀は禁止されてはゐる。しかし子どもの目にも觸れるわけで、関心があるからといつてむやみに「煽る」必要はない。

成長段階に応じて少量ずつ与えていくことが重要誰と見るかなど、コンテンツの受容文脈をコントロールすることが最善といつたところで、大體その「さじ加減」は誰が決めるのか。公權力が決めるのはダメ、自分たち作家や業界が決めるのはいい、なんてのは「わがまま」でしかない。上記のやうに業界の「自主規制」が意味をなしてゐない以上、政治の介入を許す「餘地」を作りだしてしまつてゐるのだ。

18歳未満の性描写漫画規制、里中さんら反対(読売新聞) - Yahoo!ニュース

都青少年・治安対策本部は「すべての性描写が規制されるわけでなく、大人への流通も制限されない」として、漫画家の創作活動には影響しないと反論している。

あとこれは「邪推」でしかないんだけれど、もはやエロ雜誌といふのは1つの「産業」、つまり「税源」となつてゐるわけで、税源を潰すやうなことを行政がするだらうか。行政に「認められた」出版社は營業を續けることができるわけで、とつくに「話はついてゐる」とか...


再び「ITmedia News」から。

文化が興るときにはいろんな種類の花が咲き、地の底で根としてつながっている。根を絶つと文化が滅ぶ

「規制」されて滅ぶ「文化」は、もはや命脈がつきてゐるのである。

生命力がある、作り手にも情熱があり、需要もある文化はいくら「根を絶」たれたところで芽は生き殘り潰れはしない。むしろ規制をかいくぐり、より表現を花開かせる。

江戸時代は今よりはるかに「表現」の規制は強かつた。浮世繪や讀物はたびたび取り締まられ、規制は強化され續けたが、それでも存續してゐた。時代が下がるにつれ浮世繪も讀物もよりその表現力を擴げていつた。しかし明治になつて、寫眞や小説など新たなメデイアが登場するとあへなく滅び去つてしまつた。

マンガが、「規制」されて滅びるやうであれば、つまり「その程度」の文化でしかないのである。

自由な漫画の発想があったからこそ日本の漫画やアニメは発展し、世界に注目されてきた。表現規制を行った韓国は、漫画の発展が遅れた

そもそも韓国には、『鳥獸戯畫』のやうな「繪物語」文化が無かつただけのことではないのか。日本ではマンガの發展する下地があつたが、韓国には無かつた、といふことではないだらうか。

純粋培養では少年少女は"健全"にならない。漫画はエネルギーを逃がす弁として存在するはず。ある程度強い刺激でないと、弁を開けない人もいる。

「ポルノを規制すると『はけ口』がなくなり、性犯罪が増加する」といふ「ガス抜き理論」はこの手の「ポルノ規制」問題になるとよく出てくるけど、逆に「ポルノを解放すると性に對する罪惡感が薄れ性犯罪を助長する」といふ「キツク理論」だつて成り立ちさうである。まあまんま「反對派」と「贊成派」の主張ではあるけれど。

あとポルノは一切規制されてゐるイスラーム圏ではどれだけ性犯罪の發生率が高いのか。まあイスラーム圏だと「性犯罪」よりも「性差別」のはうがより「問題」といふ氣がするが。


ぶつちやけさあ、「エロ」つて、「後ろめたい」からこそ「いい」んぢやないか? 呉氏が文化や芸術はその時代の倫理や教育とかい離がある場合があるが、それを描くことも役割だといふやうに、藝術とはいはば「制限」の中でどれだけ「エロス」=「人間」を出せるか、といふ試みであつたはず。白昼堂々セツクスできる人間社會だつたら、文化は發展したかな。

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食べちやひたいくらゐ

(2010年3月 9日 22:57)

先週上越の水族館に行つてさんざん魚を見たせいか、出た後寿司が食いたくなつた。

で思つたんですが、ホエールウヲツチングをしながらクヂラ料理、といふイベントつてできないかしら。

「いけす料理」なんてさーいふことでしよ。


でもをととし、鶴岡市の加茂水族館に行つてきたんですが、ここつてクラゲの展示「料理」が名物なんだよな。

あつさりしてておいしかつたけど、秋口だつたんで體が冷えて困つた。夏向けのメニユーですね。

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