件の記事はあへて権威主義的
に書きました。どんなに説明してもまるで聞き入れられず、「専門家が『歴史的かなづかひは科學的だ』といつた證據があるんでしよ? あるんだつたら出してくださいよ」としつこくいつてきてたものだから、圖書館で本を見付けたので、それこそ「専門家」がいつたことだ、これなら「聞く耳」持つか、と思つて「權威」をふりかざしてみた。
ところが向かうは聞くことはなく、往々にして、幾ら答えても納得されません
でした。全く三宅さんのおつしやるとほりでした。
正直、ぼくももう附き合い切れ
ません。
晝食堂で「ビッグコミック」を讀んでたら「ドリームクラブ」の廣告が載つてゐてさすがに吹きはしなかつたものの「うお」とは思つた。
だつて「ビッグコミック」ですよ「ゴルゴ13」の。つふかゴルゴ目當てで讀んでたんだけど。「ビックコミック」讀む層と「ドリクラ」やる層が一致するかなあ。
しかし「ドリクラ」つてこの際だからいふけど、そもそもキヤバクラは「擬似戀愛體驗」なわけで。擬似體驗の擬似體驗?
あ、いま思ひ出したけど親父が讀んでた「週刊ポスト」に「恋姫†無双」の廣告が載つてたな。だからどーいふ客層を。
前述の、『岩波講座日本語』の續き。
つふかページとしては前になるけど。
「定家仮名遣」について。
定家の場合は、昔の基準によっているという意味で、歴史的仮名遣といえることになる。
ぶれがあつたかなづかひを定家は統一したのであるが、「定家仮名遣」といつても何も定家が恣意的に決めたものではなく、文献に據つてゐるのである。
「契沖仮名遣」について。
注目されることは、総論で『行阿仮名遣』が「世俗流布の仮名にまかせて」信じがたいことを指摘したあと、「是によりて、今撰ぶ所は、日本紀より三代実録に至るまでの国史......万葉集......及び諸家集までに、仮名に証すべき事あれば、見及ぶに随ひて、引て是を記す。」と述べて、自己の立場をはっきりとさせていることであろう。そのことは、契沖の『万葉集代匠記』精撰本(1690(元禄3)年)の「集中仮名の事」で、古書の仮名遣を調べることの大切さを説いていることとも結びつく。
「行阿仮名遣」は「定家仮名遣」を増補したものであるが、長年「手本」とされてたそれに契沖は異論を唱へてゐる。契沖もやはり文献に據り、定家を批判してゐるのであり、いはば「反證」してゐるのである。
さらに。
しかし、中には上田秋成の『霊語通』(1699(寛政9)年)のように、定家・契沖の双方を批判の上、「古則(契沖)今話(定家)いづれによるとも......何の是非をかいふべき。......おもふにまかせてかいつけおくなりけり。」という立場の人も出ている。
「定家」、「契沖」などの「かなづかひ」は全く無批判に受け入れられてゐたわけではなく、さまざまな反論、異説が唱へられ續けてゐた、とこの章(ア)歴史的仮名遣では述べられてゐる。
「かなづかひ」に限つたことではないが、日本語の研究は近代に入りヨーロツパから近代言語學が輸入され、上田萬年により科學的な日本語學が始まる以前から、實證的、反證的に研究がなされ續けてきたのである。日本語の研究が始まつたのは遠藤氏によれば漢字の傳來からである。當然のことで漢字は「外國語」なのだから外國語を學ぶためには自國語を知らねばならない。
その仮名(万葉仮名と仮名文字)は、いずれにせよ、中国語と音構造を異にする日本語を表記するものである。そのためには当然、いろいろの工夫がなされたことであろう。例えば、由(ユウ)が由美(弓)のユという音節を表わす仮名として用いられたり、あるいは、相模や因幡をサガミとかイナバと読んで表記する。そのためには、二つの国の言葉の違いへの認識が前提となるわけだから、仮名の発生は、日本語研究のあらわれの一つと考えられないでもない。
そもそも、科學的近代日本語學からみて、「定家」や「契沖」らが、資料としてまるで無価値であるならば、1章を費やして取り上げたりはしない。
石塚龍麿について。
(畧)そのほか今日の目から見れば、検討を要する点がありはするが、昭和の年代以降の上代国語研究のうえに、本書がはたした役割は、まことに大きいといってよい。
またP212〜4語法において「てにをは」--助詞をはじめとした「品詞」や「活用」の研究が早いうちから始められてゐたことも示されてゐる。
「錬金術」は、現代から見れば「科學」とは呼びがたい代物ではあるが、錬金術を始祖とする「化學」や「物理學」が科學ではないかといへば無論そんなことはない。同樣に、近代日本語學が成立する以前の日本語研究が「科學」とは呼び得ないとしても、日本語學が「科學ではない」、といふことにはならないのである。
「科學」といふ言葉自體は中世にすでにあつたらしいが、現代のそれとは意味が違ふ。當然のことで現代でいふ「科學」の概念が當時なかつたのである。契沖や宣長がいまと同じ意味で「科學」と使つてたらそれこそ言語史が覆る「大發見」である。
...て今回書いたことつて、とうに、つふか最初の段階で野嵜さんがいつてることなんだよなこれ。まあいいや、あらためて勉強になつた。
圖書館で興味深い本を見附けた。
この人々(筆者註;東京の國立大學で言語學を學んだ人々)は当時ヨーロッパで学問の主流をなしていた比較言語学・言語史の研究という課題を日本に持ち込み、方言の研究にも正式な学問としての座を与えるなど、従来なかった考え方に立った。それまでの日本語の研究が作歌、作文、あるいは古代語
後の訓詁・注釈の延長上にあり、それらのための技術という観点から出発していたに対して、このヨーロッパ言語学を学んだ人々は、日本語研究をまず科学でなければならないとした。そして、科学として最先端にあるヨーロッパの言語学をもって日本語及び日本語研究を律しようとした。
大野氏はいはずと知れた日本語學の第一人者であり、また上記のこの人々
の1人である橋本進吉氏の弟子である。つまり日本語研究をまず科学でなければならないとした
系統の研究者である。
(畧)結論として要約すれば、従来の日本の言語学者に日本語を正面から科学的言語研究の対象として取上げる姿勢が弱かった点がまずあげられる。そしてこれは日本人が明治以降一貫して西欧のことばかりに気を取られていたことの反映であり、止むを得ないことである。
さう、大野氏、鈴木氏といつた「専門家」が「日本語學は科學である」といつてゐるのである。
歴史的假名遣ひが「国家の規範」になつた時点(明治初期)より後である事は間違ひなささうですね。
歴史的假名遣ひが「国家の規範」になつた時点(明治初期)
?
ああ、爺も「歴史的假名遣ひは明治政府が決めた」と思つてゐるわけか。明治政府は當時使用されてゐたかなづかひをそのまま行政や教育に用ゐただけであつて、「規範とした」わけではないのだが。それこそ「現代仮名遣い」のやうに「國民はすべからくこれを『規範』とすべし」といつたわけではない。
つまり、関連の有無を問ふまでもなく、歴史的假名遣ひが決められる前にはそもそも科学的国語研究はなかつた、といふ事になります。
歴史的假名遣ひが決められる
以降、すなはち「定家假名遣」の時點ですでに、いやいや「万葉假名」の時點で「科學的」であつた、と爺はいつてゐるのである。やうやく、爺も分かつてくれたやうだ。わらひ。
失言でした謝罪します。アイアムソーリ。
冗談でもいはなきややつてられない。肌寒くなつてきてもハヘは沸くやうだ。
爺がブログを作つたのだが、カテゴリに御冗談でせう野嵜さん
てのが。最初からアンチ野嵜ブログであると宣言してゐるのだ。ずいぶんと建設的
なブログだ。
爺はどうやら「戰中生まれ」のやうだが、だとしたら現在70代なかば、34才のぼくと同じくらゐの「孫」がゐてもおかしくない。なんとまあ見苦しい「祖父」であることか。
私等戦後教育(しかも早期の)を受けた者からすると、これはとんでもない暴論であるし、そもそもどこから出てきた考へ方なのか理解に苦しむ。(まあ多分、福田氏の著書から引つ張つてきたのであらう。)
まづ、爺は自分が受けた戦後教育
とは異なる野嵜さんの主張をとんでもない暴論
と片付けてゐるのだが、つまりは自分が受けた戦後教育
、すなはち「自分の考へ」こそが絶對の「眞理」であり、それに異を唱へる野嵜はとんでもない暴論
でしかない、といつてゐるのだ。つまり爺は、自分が知つてゐることのみが「眞實」であり、それ以外は「間違ひ」だと頭から決め付けてゐるのである。理解に苦し
んでゐるわけではない、最初から理解
する氣などないのだ。
戦後教育
、といふか「自分の考へ」が「間違つてゐるかもしれない」とは微塵も思はないらしい。爺のいふことにはそれこそ「反證可能性」が無い。
ぼくはまへに爺に、「福田氏の『當用憲法論』を讀んでみてくれ」といつた。しかしまあ多分、福田氏の著書から引つ張つてきたのであらう。
、つまり今に至るまで讀んでゐないのである。野嵜さんも「橋本進吉の著作を讀んでみてくれ」と爺にいつたのだが、爺は「近所の圖書館になかつたので讀めませんでした」といひわけにもならないやうなことをいつてゐる。
爺は自分の不勉強は棚に上げて、他人の「無知」を嘲笑つてゐるのである。
野嵜さんもぼくも、自分の知識の限界を知つてゐる。だから「専門家や資料に當たつてくれ」とすすめてゐるのだ。しかし爺は自分で理解しやうとする努力は一切せず、ただあぐらをかいてふんぞり返り、「答へを出してください」と要求するばかり。いやぼくらも、自分の「分かる」範圍でなんとか「答へ」は出さうとした。しかし爺は先述したとほり頭からとんでもない暴論
の一言で片付けてしまふのである。
これが「科學」的な態度だらうか。
ニユートンだつてアインシユタインだつて誰かから「答へ」を教えてもらつたわけではあるまい。自分自身の努力で答へを探し當てたのだ。
しかるに爺の言動は「科學」とはまるでかけ離れてゐる。
かつて爺は、
受けいれられなかったら、「どうやって説得してやろうか」って風には考えられないのですか?「自分の方が正しい」と単にいいつのるは、「知的惰情」でしょう。
といつてゐた。これ自體には異論はない。だから野嵜さんもぼくも、単にいいつのる
のではなく、「ああいへば分つてもらへるのではないか」「かう書けば話を聞いてくれるのではないか」と一縷の望みをかけて手を盡くした。ところが爺は「あはは、『説得』してたつもりだつたんですか。あまりにもおつしやることがトンデモなのでまるで氣づきませんでした」と鼻で笑つてきたのである。
文字通り、「何樣のつもりだ」。
たとひ爺が「科學の専門家」、研究者や大學教授であつたとしてもだ、「生徒」でもないのになぜここまで虚假にされなければならないのか。いやむしろ本當に「専門家」であるのならば、「素人」を諭し、導いてくれればいいものを、「素人」を嘲笑ふのは「知つたかぶり」のすることだ。
いや爺は、最初の内は「国語學については素人です」と謙遜してみせたが、今や「野嵜さんの『かなづかひ』論は間違ひだらけです」と平氣な顏をしていつてゐる。「素人」がなぜ「間違ひ」だと分かるのだ。「素人」ならば「素人」らしく、「先輩」である野嵜さんに、頭を下げて教えを乞ふべきだ。
記事のタイトルでも無知杉爺
だとか素人爺
だとか謙遜して「みせて」ゐるが、「みせてゐる」のでしかないことは明らかだ。まさに「慇懃無禮」、人を--野嵜さんを--人とも思つてゐないのである。
爺は二言目にはぼくらを「周章狼狽してますね」と冷やかしたものだが、最初から「周章狼狽」させるのが目的であり、またしてもそのためだけにブログを立ち上げたのだ。
くりかへすが、なんとまあ見苦しい「祖父」であることか。
どうせ爺は、ぼくがなにをいはうが「御冗談でせう佐藤さん」とすましてせせら笑ふのだらう。
大變けつこうなことだ。
上記のやうに非科學的な、なほかつ「アンチ」の人達の方が
すなはち「義」やKirokuroのはうがあなたより「まとも」な事を言ってるように思えます。
といふやうな爺に「御冗談」呼ばはりされる、といふことは、野嵜さんもぼくも「まとも」だといふことだ。
改めて見ると、この記事に書いたことつて、結局「闇黒日記2.0」のコメント欄でさんざん言い盡くしたことなんだがな。
爺に限らずKirokuroも會長も、同じ事を蒸し返すしか能がないから、自然こつちの反論も同じ事の繰り返しになつてしまふ。ま、だからこその「アンチ」なのだけれど。
せつかく「ラーメン」カテゴリを作つたので、最近食つたのからもう1つ。
まへに仕事の用事で新潟市西區の内野に行つたとき、新潟西バイパス(國道116號線)曽和インターで右に曲がつて内野驛への交差點の看板を見て氣になつたので後日行つてみた。ちなみに看板にも書いてあるのだが、「看板見た」と注文時にいふと煮卵をサービスしてもらへる。
看板メニユーだけあつてテーブル上に能書きがあるのだけど、最初味噌ラーメンにしてはあっさり? と感じるかもしれませんが黒辛みそを溶かすと辛さとともに深みが
云々と書いてあつたので、まずスープを一口。たしかにあつさりめである。ラーメンを少し食べてから黒みそを溶くとたしかに辛みと深みが出る。辛い中にも刻みタマネギの甘みがいいアクセント。なかなかでした。來た甲斐あつた。
「ポッチャ飯」といふ小さめのご飯を頼んで最後おじやで食べてもおいしい。ぼくは頼んでなかつたのに出してくれた。體型をみられたかな?
「ヱヴァ」を見に行つた帰りに久しぶりに「吉相」に行くことにした。
まーいまさらぼくが紹介するまでもない新潟市内の有名店ではありますが。
「こってり」だけどスープはさほど濃すぎず、あきのこない味で最後までぺろつといただけました。さすがに有名店。
さーいへば「あっさり」は食べたこと無いので今度「あっさり」にしてみるか。
6回目。
どんだけ「エヴァ」好きなんだおれ。
まーでもBS11の再放送も全話見たしな。14年たつたのか...
にしても、<!-- 以下ネタバレにつきコメントアウト -->
野Q
が負けた
とKIrokuroが大喜びしてゐるが。
この「野Q理論」に従えば、ゲストブックを停止させ出入り禁止にされた爺氏の勝利ということになる。
ぼくなんかKirokuroにアク禁くらつた上にトラツクバツクを拒否されたのだからさしづめ「大勝利」だらう。
無論、羊や鶏のひな
...いや、そんなかはいいものか。「野Qはゴミクズだ」といふのならそれに2年以上もたかつてゐるKirokuroは「ゴミにたかるハヘやウジ」でしかない。そんなのに「勝つた」ところで、むなしさ
しか感じない。
それにしてもKirokuroやその「喜び組」にしてみれば野嵜さんは虎や鷹
のやうな「強敵」なのだろう。「負けた」ことを吹聽し、記録しておきたいほど狂喜してゐるのだから。
ブログやちゃんねる
でおべんちやらしかいはない「喜び組」より、野嵜さんやぼくのはうがよつぽどKirokuroの「ためになる」ことをいつてるんだけどな。「KiQ」は分かつてはくれまい。
たしかに「もう今さら」な話ではあるんですが。
ぼくはどうも腰が重くて、書かう書かうと思つてゐるうたに、「今さら」になつてしまつた。
に、しても。Kirokuroは「喜び組」のおべんちやらが自分の「ためになる」と思つてゐるんだらうか。そもそも「喜び組」はKirokuroの「ためを思つて」ゐるのだらうか。
「ノザキ」に面と向かつて惡口をいふ「度胸」はないが、Kirokuroが矢面に立つてくれるから擔ぎ上げてゐるだけで、いざとなつたらKirokuroはうち棄てられるのではないか。
自分の「味方」は誰なのか、よく考へたはうがいい。