時代の斜めうしろ

場で朽ちる

(2010年7月27日 00:18)

大相撲の「プロ野球賭博」が取り沙汰されてゐるが。プロ野球の方でも「大相撲賭博」やつてたりして。

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正かなう

(2010年7月26日 01:14)

twitterのスラングとして有名な「なう」だけど、讀みがいづれ「ノウ」になつたりして。やってくれたなう。

追記;(7月27日 02:10)

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電子巻物

(2010年7月25日 23:36)

野嵜さんのtwitterより。

電子書籍に人氣がないのは、ビューアの書籍風のインタフェイスが鬱陶しい事も大きな原因だと思ふ。テキストエディタみたいなので十分だと思ふのだが。

なんで「本だからめくるインタフェイスがいいのだ」なんて、どのプログラマもデザイナも端から思ひ込んでゐるんだらう。

本のページをめくると云ふメタファが「あり」なら、スクロールだつて卷き物のメタファだと言張れば、電子書籍のインタフェイスとして「あり」と云ふ事にならないか。

實際、webブラウザはスクロールになつてるわけで、なんで電子書籍はページごとにしてしまふのだらう。「書籍」といふ言葉からどうしても「冊子」を思ひ浮かべてしまふのか。webテキストは最初から電子テキストとして作成するが、紙の本を「電子化する」といふ考へが「ページ」を作らせてしまふのか。

本は最初巻物、それこそ「スクロール」といふ形だつたが、讀み易くするため折つたり切つたりして「冊子」になつた。巻物を切つて束にしたためにページが發生したのだが、巻物には當然ページは無い。電子化によつて「巻物」に戻し、ページも無くなつたはうがよい、といふことになるのだらうか。實際電子書籍だと次のページを讀み込むときタイムラグが生じたりするから、イツソテキスト全部表示して、スクロールできるやうにしたはうがスムーズに讀めるのではないか。

昔の「ホームページ講座」で、ページは小分けにしたはうが良い、といはれてたのは當時の通信速度の問題もあつたけど、今考へてみると、ブツクマークしづらい—ページの途中でブツクマークすることができない、といふ點もあるやうな氣がする。

id屬性なしでもページ途中でブツクマークできるやうになるといいのだけど。

巻物といへば忍者が口に咥へる、といふ繪はいつからあるのだらう。あれは咥へてることで巻物に書いてある呪文を唱へたぞ、といふことなのか。

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地動説

(2010年7月23日 22:19)

今朝出勤時にカーステでNHKの「夏休み 子ども科学電話相談」を聞いてたら、「科學」の先生が内田麻理香さんて方だつたんだけど。NHKで、科學で、マリカつてことはやつぱゴスロリだつたんだらうか。相棒はチョーさんで。

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挽歌

(2010年7月23日 00:38)

前に書いた「死と使徒」でつかこうへい氏の遺書の「散骨」について觸れたが、それについてもう少し書いてみたい。

最近は散骨は宗派に據らない、自由な葬送の形として選擇する人も増えてゐる。「自然に帰りたい」、つか氏なら「日韓の架け橋となりたい」といふ理由となるが、散骨も葬送の一種である以上、宗教的行爲に他ならない。

「死んだ後自分がどうなるか」は殘つた者に託すしかない。死後も精神—「モノ」が存在し續けてゐるとしたら、自分の思つたとほりに遺體が扱つてもらへなければ無念だし、存在しないとしても遺志を無視されたことになる。

自らの死後の安寧を願ふ、もしくは死者を悼むこと自體が「宗教的感情」である。それは本人が「無宗教」だと思つてゐても特定の宗派に據らない、といふことであり、「非宗教」ではない。自分は「無宗教」、もしくは「宗教なんかくだらない」、と思つてゐても、それは自分にある宗教心に氣附いてゐないだけではないか。

前に宗教とは、「自分は何のためにここにゐるのか」といふ問ひかけである、と書いたが、それは言ひ換へれば「何のために生まれ、死んでいくのか」といふことでもある。「自分ではどうしやうもないこと」、自然、運命、そして生死、これらを問ふのが宗教である。

ただ、塗炭さんのコメントを讀んで氣附いたのだが、宗教は死者ではなく、殘された、そしてこれから死ぬ生者にこそ必要なものだ、といふ視點を忘れてゐた。「究極の主觀」である宗教をぼくはあまりに理屈で考へてゐるかもしれない。

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至言

(2010年7月20日 00:31)

闇黒日記;平成二十二年七月十九日
モンテーニュ『隨想録』の引用。

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仮面ライダーこなた

(2010年7月19日 21:25)

「忠音キチと歓喜の船越字佐美次男さん (tadsan) on twitter」の壁紙、ガタックディケイドは初見で分かつたけどなんでライア? と思つたら、「海之」なのね。

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死と使徒

(2010年7月19日 00:38)

「死體を特別扱ひすることは宗教である」とぼくが書いたら、爺さんは死體をただ捨てれば犯罪になるからですよといつてきた。

だとすれば、原始人が死者を丁重に葬つてゐたのも犯罪になるからなのか。事故などで遺體が行方不明の場合、空の棺で葬儀が營まれることがあるが、それも法律によつて決められてゐるのか。

話は逆で、死體は特別扱ひすべきであるといふ通念があるから、「死體をゴミとして捨ててはならない」と法律が定められたのである。

人が1人死ぬ、といつたところで、社會からみれば1人減つただけである。現に、行政では死亡届を出せば、戸籍から抹消されてそれで終はりである。

それに死體は「物體」としてみればただの肉の塊なのだから、「大きな生ゴミ」でしかない。食べ殘した魚の骨は一々丁重に葬つたりはしない。ゴミに出しておしまひである。人間の死體だつてさうしてもよいはずである。

だが人間は、家族や知り合ひが死ねばその死を悲しむし、できうるかぎり丁重に弔ひ、墓を建てる。さらには家に祭壇を設け、折に觸れて死者を思ひ出す。これはなぜなのか。

人が死ぬ。

きのふまで食ひ、喋つてゐた人間が全く動かなくなる。

でもその人間はそこに存在してゐる。では食ひ、喋つてゐた「モノ」はどうなつたのか。體が死ねば、「モノ」も同時に消えてしまふのか。

いや、「モノ」が體から拔け出たことで、體は動かなくなつたのかもしれない。

さういへばこないだ死體を毆つたやつがゐたが、そいつは大ケガをしてしまつた。「モノ」が怒つて仕返しをしたのかもしれない。死ぬときつと「モノ」は體から拔け出るが、見えないだけで生きてゐるときと同樣「モノ」は動き續けてゐるのだらう。

であれば、死體は丁重に葬り、死者を忘れないやう墓や祭壇も設けよう。さうすれば「モノ」も怒らない。いや逆に、生きてゐる者に恩も返してくれるかもしれない。

さうすれば何より自分が死んだときも、丁重に葬つてもらへる。忘れないでもらへる。

上記はぼくの想像でしかない。地域や民族によつて死體と「モノ」についての捉へ方も千差万別である。けれど、つまるところ死體、死者に靈性、神秘性を感じることが宗教の始まりではないか。そのほかにも自然への畏怖や運不運など、「人智」を超えたものを考へることが原始的な宗教となり、部族の風習となる。

それが部族同士の交はりにより影響し合ひ、國家規模、さらには國を超えたものにもなる。これが現在の宗教である。

近代化は世俗化、宗教からの獨立だといふが、西洋の個人主義はキリスト教の神の元での平等によるところが大きい、といふか元々個人は全て平等である、王も市民も奴隷も、いま偶々その身分であるだけであつて、機會があれば奴隷も王となれる、といふ社會があつて、それを下地にキリスト教、といふより聖書宗教は成立したのではないか。

餘談だけれど、支那においても天命により民も王、皇帝となる。「王侯将相いずくんぞ種あらんや」。大陸の東西においてこの相似は興味深い。

ともあれ、「近代國家」を具現化したアメリカでも、遺體を生ゴミに出せるわけではない。死に對する本能的な恐怖や不安がある限り、人間は宗教を否定できない。

最近の佛教は「葬式佛教」なんて揶揄されることもあるけど、普段の生活では縁遠くても、死に際して宗教の出番があるのはむしろ當然なんぢやないか、とこの記事を書いてて思つた。

丁度先日、つかこうへい氏が亡くなつたが、遺書に私には信仰する宗教もありませんし、戒名も墓も作ろうとは思っておりません。とある一方で日本と韓国の間、対馬海峡あたりで散骨してもらおうと思っています。つまりは自分の遺體を意味のある場所に安置したい、自分の死を意味のあるものにしたいつてことだよね。

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「味噌つ滓」にも五分の魂

(2010年7月18日 21:20)

ぼくは爺さんといふ人物を全く信用してゐないので、ごめんなさいされても素直に受け入れることができません。

謝つていただく必要はない。

議論さへしてくれれば、それでいいのです。

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比べるのも烏滸がましい

(2010年7月12日 14:34)

中村さんは爺さんとは全く違ひます。@Twitter / 中村明裕: 11:55 PM Jul 4th,Twitter / 中村明裕: 12:01 AM Jul 5th

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